第15話 寝取り令嬢はご立腹


 ――わたくしの名は、エレオノール・ベルトラ。

 ベルトラ子爵家の嫡女であり、南部地方で有数の美女と言われているわ。

 物心ついた頃から周りから褒め称えられて生きてきた。貴族の子女が教わる礼儀作法や教養を完璧に身につけ、見た目も美しいのだから賞賛されるのは当然だった。

 こんなわたくしが社交界にデビューすると、もちろん殿方たちの視線は釘づけになったわ。

 殿方たちから人気があると、毎日が本当に大変なの。

 夜ごと行われる舞踏会のパートナーに、我先にとみんながわたくしのパートナーになりたがったわ。

 当たり前よね……こんなに美しいわたくしの隣にいられるんですもの。パートナーの座を巡って、貴族令息たちの決闘騒ぎが起こるのも日常茶飯事。

 ああ、美しさってなんて罪深いことなのでしょう?

 もちろん、求婚状だってほとんどの貴族の子弟から届いたわ。

 ベルトラ子爵家は、そこまで格式が高い貴族というわけじゃない。用意ができる持参金だってたかが知れている。

 それなのに、王家とつながりがある公爵家からもわたくしと子息との縁談を進めたい、という打診があったのよ! もちろん、断りましたけど。

 こんな風に、人気がありすぎると困ってしまうのよね。毎回、素敵な殿方を泣かせてしまうのだもの……わたくしったら、本当に罪深い女だわ。

 でもね、わたくしだって好きな相手から求婚されたら、すぐにでも結婚するわ。

 ……だって、そうでしょう? わたくしは結婚に必要なものは、家柄やお金ではないと思っているの。

 そう……燃えるような愛なのよ!

 ただ、残念なことにわたくしが恋い慕う方には婚約者がいる。



 フィリップ・グラストン侯爵子息――この世に、あんなに完璧で美しい男性がいるだなんて思いもしなかったわ。

 デビュタント舞踏会で彼と出会ったとき、どんなに胸が高鳴ったでしょう?

 さらさらとした亜麻色の髪も、少し甘い感じの面立ちも、青緑色の湖の底のような神秘的な瞳も……すべてが、わたくしの理想だったの。

 次男だから、グラストン侯爵家の家督を継ぐことはできないって知っていた。それでも、いいって思えたのはあまりにも彼が素敵だったから。

 そう思っている令嬢は、ほかにもたくさんいたわ。彼は南部地方で一番の美男子だったから。

 おとぎ話みたいに美しい王子様は美しいお姫様と結ばれればいい。

 そう……誰が見ても、わたくしとグラストン侯爵令息はお似合いだった。

 なのに、彼が婚約者として選んだのは、垢抜けないわたくしの友人。

 それが、どんなに屈辱的なことかおわかりになるかしら……?



 ――カタリナ・エルフィネス。

 グラストン侯爵子息の心を奪った彼女を、わたくしは到底許すことができなかった。

 なぜなら、彼女は彼の隣にいるのが滑稽に思えるほど、目立たない令嬢だったから。

 顔形は愛嬌はあるかもしれないけれど、南部地方で一番の美女と言われるわたくしに比べたら劣るに決まっている。

 強いて言えば、実家の爵位くらいよね。

 ……えっ、お菓子作りの腕前?

 それはたしかに、味わったことがないような面白いものを作るとは感じていたわよ。

 ただ、それって貴族の令嬢にとって美徳かしら? 考えてもごらんなさいな。

 貴族の奥方は、自分で厨房に立つことはしないもの。それなのに何を好んで下女の真似をしているやら……。

 要は、カタリナは変わり者の令嬢なのよ!

 舞踏会や夜会に行っても、社交に興じるわけでもない。貴族の子息から話しかけられても、気にしているのは食べ物やお菓子のことだけ!

 舞踏会でダンスもせずに、ブッフェテーブルに張りついているような意地汚い令嬢を、グラストン侯爵子息が選んだことが、わたくしにとっては驚きだったわ。

 だから、決心したの……カタリナから彼を取り戻そうって。



「……それなら、婚約破棄をさせるよう仕向ければいいのよ」

 略奪愛を成就させたモンパス伯爵夫人に、悩みを相談したらそう言われた。

 彼女は妻帯者の伯爵と恋仲になった途端、あらゆる手を使って正妻をノイローゼにさせ、自ら離婚を申し入れさせた魔性の女。

 晴れて後妻の座に収まった彼女は、わたくしに紫色のカードを手渡した。

「なんですの? 魔女の館……?」

「ええ。あの人の前妻がノイローゼになったのは、ここの魔女に力を借りたお陰なのよ」

 あら……この世の中には、まだ魔女なんて存在していたの? わたくしは思わず耳を疑ったわ。

 だって、歴史書によれば二百年前に魔法を使う者たちは全員王室に管理されて、魔法省の役人になったはず。

 魔法は国民の役に立つことだけに使うように定められ、それ以来、新たな発明品が生まれるようになった。

 ……それが、誰かを害する魔法を使う魔女がいるですって? そもそも、それは違法ではないのかしら?

「……伯爵夫人、わたくしは法律に反することはしたくありませんわ!」

「完全に違法というわけではないわ。けっして、身体的に傷をつけたり命を脅かしたりするものではないもの……表向きは占い師としているし、魔法については紹介でしか受付しないらしいの」

「では、精神的な魔法ですの?」

「そうね。主に夢を操る術を使う魔女だわ。私が前夫人にかけてもらったのは、このまま結婚生活を続けていると私に殺されるっていう夢よ。毎日見させれば、さすがにメンタルが病むわよねぇ」

 にやりと笑う伯爵夫人に、背筋が寒くなる。

 背に腹は代えられない。

 人を害することなく、グラストン侯爵子息がわたくしと結婚してくれるのだとすれば、これ以上いいことはないと思った。

 そう思って、わたくしは魔女に依頼をすることにしたの。



 彼が一人暮らしをしているベルンを訪問し、わたくしは二人で食事をするところまでこぎつけた。

 わたくしは、婚約者の友人だと思われている。カタリナの近況を伝えたい、と言ったら喜んで受け入れてくれたわ。

 滞在先のホテルに来たグラストン侯爵子息の夢を、傍で控えていた魔女は安々と操作した。

 飲み物に睡眠剤を入れられて眠り込んだ彼は、夢のせいでわたくしと『既成事実』ができた、と勘違いした。

 そのような幻想を見せたのだから当然よね。

「すまなかった……君のことを傷つけるつもりじゃなかったんだ! でも、カタリナには秘密にしてもらえないかな?」

 そんなことを言われたら、とどめを刺したくなるというもの。

 わたくしは医者を買収して、妊娠したように見せかけた。

 それを知ったお父様がグラストン侯爵邸に怒鳴りこめば、カタリナとの婚約破棄のカウントダウンが始まるわ。

 うまく事が運び、彼女との婚約破棄が成立したあと、わたくしは彼と婚約した。

 妊娠の件は間違いだとお父様にはバレたけれど、事業を拡大するうえでもグラストン侯爵家と結びつきを持ちたかったようで、婚約の儀が終わるまでは内緒にしてくれた。

 妊娠していなかったと知っても、既成事実があるから婚約破棄はできないはず。

 王都への転勤が決まったフィリップはすでに腹を括って、わたくしと生活する新居も用意してくれていたのよ。

 彼の婚約者として過ごす生活は、まるで夢みたいだった……王都でカタリナに再会するまでは。



「なんですって? フィリップが、あの子のカフェに現れた……!?」

 フードで顔を隠したわたくしは、同じく変装したメイドから報告を受けていた。

 そう……カタリナのカフェが人を募集していると聞いて、お金に困っていたメアリーをスパイとして送り込んだの。

 舞踏会の夜、カタリナに未練たらたらだった婚約者を見張るため。

 そして、二人が復縁するのを未然に防ぐための保険のつもりだったけれど、こんなに早く動きがあるなんて!

「そうなんです! 婚約者様はあの方のことをあきらめていないご様子でした。よりを戻したいとおっしゃっていて」

「……な、なんてことかしら……?」

 わたくしは怒りに震えていた。

 どう考えても、おかしいじゃないの。

 なぜ、カタリナだけが素敵な殿方の心を掴んでしまうのだろう?

 彼女よりもわたくしのほうが美しく、教養もあるというのに……。

 王都で彼女が見つけた新しい恋人だってそう。探偵の報告によれば、新興貴族だと言うけれど、事業は成功していてそれなりに財産はあるようだった。

 婚約破棄を経験した女の二度目の相手としてなら、あの美青年は十分すぎるわよ。

 それに飽き足らず、フィリップを惑わすなんて恐ろしい女!

(カタリナ・エルフィネス……! わたくしは、あなたを許さないわ!)

 わたくしは、心に決めた。

 あの子のしあわせをどこまでも邪魔しよう、と――。



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