第28話 美青年は恋人のために奔走する


(……カタリナお嬢様を悲しませているのは、いったい誰なんだ!?)

 あの日の朝、叔母さんが持ってきた新聞に目を走らせて、私は唇を震わせた。

 見出しの文字を読んだだけで、その悪意は感じられて気分が悪くなるほどだった。

 今や「カフェ・カタリナ」は王都では、異例の人気店になっている。

 経営者がうら若き令嬢。しかも、彼女自らがお菓子作りや接客を行っていることもあって、ライバル店の「カフェ・ベルトラ」よりも注目度は高い。

 そうした状況を考えても、記事の出所はライバル店の経営者であるエレオノール・ベルトラ子爵令嬢ではないか――。

 オープン当初から、あの店は怪しいと思っていた。

 なぜなら、内装も外装も「カフェ・カタリナ」にそっくりそのまま。しかも、メニューも似通っていると聞く。

 実は、カタリナお嬢様には内緒で社員に偵察に行かせてみた。

 若干は見た目を変えているものの、味は似ているそうだ。

「でも、おいしさはカフェ・カタリナのほうが断然上ですよ。素材が引き立っているっていうか、新鮮っていうか」

 そんな社員の感想を耳にして、私はお嬢様に店舗をお貸ししている大家として誇らしく思った。

 「カフェ・ベルトラ」で買ってきてもらった焼き菓子を試食してみたが、社員が言ったことは本当だった。

 自慢ではないが、私は味覚音痴なほう。それでも、カタリナお嬢様のお菓子は上品で口に合っていると断言できる。

 それゆえ、ライバル店が近くにオープンしただけなら心配していなかった。

 近隣に二軒カフェがあるから一軒だけよりもお客さんが集まることもあるし、競争することで互いの店のクオリティーが上がることもある。競合というのは、けっしてマイナス面ばかりではないのだ。

 それに、私としては「カフェ・カタリナ」の店内が混み過ぎていないほうがありがたかったりする。

 なぜなら、たまにはカフェでコーヒーを飲みながら仕事をしたいから。

 そうすれば書類を見ながら、その先にいるメイド服姿のカタリナお嬢様を眺めることも……あ、いや、何でもない。

 と、ともかく、この状況も一時的なものだから、私は私なりに楽しもうかなぁと思っていたわけだ。

 ライバル店のオープンだけなら、客入りについては時間が解決するはずで心配はいらなかった。

 しかし、新聞記事による風評被害となると深刻だ。原材料の汚染を指摘されたら、低迷が長く続く可能性がある。

 ゼラチンと皆が言っているものは、もともと接着剤として使われていたもの。

 たしかに、豚や牛の骨で作るが安全面で問題があるわけではない。

 自信を持っている彼女の熱意に圧されて、食用にしても問題がなさそうな品質のものを探して納入した。

 安価なものではないし、製造元にも確認もしているから、何ひとつ問題はない。

 だから、今回の新聞記事は事実無根で、ユーレック商会への挑戦状も同然だ。

 私は新聞を握り潰すと、会社の弁護士のもとに急いだ。



 カタリナお嬢様も、この件で私が動くことを快く思ってくれているらしい。

 それでなくとも、彼女は日々忙しく働いている。

 新聞の件でパンナコッタを販売停止するため、新規のメニュー作りや広報の作業で手一杯のようだ。

 懸命に努力するカタリナお嬢様ほど力強く、輝いている女性はいない。

 そんな彼女が喜んでくれるのなら、私は彼女の足下にひざまずくことさえ厭うことはないだろう。

 初めて事業に携わるお嬢様にとってハードルが高い法務手続きも、私がやれば大したことはない。

 いつも世話になっている弁護士や行政窓口に行き、着々と準備を進めていった。

 そうする間にも自分の仕事をこなし、社員のフォローをし、遅くまで仕事をするカタリナお嬢様を気遣う日々が続いた。

 そして、訴訟準備のために雇っていた密偵から、新聞記事騒ぎの首謀者について報告が入った。

「……ジュリアン・マルニアックにルブラン・ベルジーニ?」

 その名前に、聞き覚えがあった。

 私がカタリナお嬢様と初めて出会った日、ホテルの中で彼女に言い寄っていた許しがたい連中である。

 たしか二人とも、ルドニック合同会社の社員だったはず。この国に留まって、つまらない記事のでっちあげ作業に精を出しているところを見ると、鉄道入札業務に参加できなくて会社をクビにでもなったのだろうか?

 だとしたら、私に個人的な恨みを持っていて、ベルトラ子爵令嬢と結託したとしても不思議はない。

「そうです。二人はベルトラ子爵令嬢と接触し、記事の続きの準備をしている様子でした」

「それだけは、絶対に阻止しなければな」

 まだ完全に調査し終えていないが、急がねばならない。

 名誉毀損の訴訟は、ただの宣戦布告。

 その次に他の新聞社に今回の件が帳消しになるような、先方の醜聞記事を出すつもりだ。

 やられたことをやり返すだけでは、抑止力にならない。さらに相手の上をいくことをしなければ。

 じわじわと相手の社会的な生命を絶っていく……それが、カタリナお嬢様を苦しめる天敵への一番いい復讐方法だと思っている。



 ベルトラ子爵令嬢と同じくらい、私が許せないのはカタリナお嬢様の元婚約者・グラストン侯爵令息だ。

 お嬢様が彼のことをどう思っていたか……そして、いまどう思っているのか、私が知る由はない。

 ベルトラ子爵令嬢と浮気して、手紙一枚寄越して婚約破棄をした男だ。

 どうしようもなく薄情で、カタリナお嬢様を馬鹿にしている男だと思っていた。

 ところが、うちが「カフェ・カタリナ」に一階店舗を貸すようになってから、ちらちらと令息と出くわす頻度が上がった。

一度や二度なら、メインストリートに面している場所柄、買い物に来たと言われれば納得する。

 ……が、それがほぼ毎日。

 許婚者であるベルトラ子爵令嬢の店舗だって近くにあるのに、決まって令息は一人でいるのだ。

 しかも、街灯や街路樹に体を隠すように「カフェ・カタリナ」のほうを見つめていると、さすがに気味が悪い。

(……もしや、ストーカーか?)

 知らぬ間に冷や汗が出てきた。

 グラストン侯爵令息はどういうつもりで彼女につきまとっているのか、意味がわからない。

 考えられるのは、復縁を望んでいるということ。

 ついついベルトラ子爵令嬢の色香に惑わされて浮気をしてしまったものの、しばらくぶりにお嬢様に再会して気持ちが盛り上がってしまったのかもしれない。

(それは困る……すっごく、困るんだが!)

 ふと浮かんだ想像に、私は焦った。

 なぜなら、私はカタリナお嬢様と将来結ばれたいと思っている。

 それには、やるべきことが山積みだし、人生で一番やりたくないこともしなければいけないけれど……それでも、彼女と結婚できるためなら、何でもやるつもりだ。

 そんなわけで、私はカタリナお嬢様にグラストン令息が接触しないよう、秘密裏に護衛を雇った。

 お嬢様にもマルコという護衛がいるが、「カフェ・カタリナ」は人手不足の様子。

 何だかんだで従業員と同じような仕事をさせているので、護衛という意味ではとてつもなく手薄である。

 そんなわけで、前職が紛争地帯での傭兵という物騒な身の上の男をギルドで斡旋してもらい、グラストン侯爵令息を尾行させた。

 基本的には尾行のみで、日々の行動報告のみさせる。

 しかし、カタリナお嬢様の十メートル以内に接触しようとしたら、その時は迷わず拘束して、私のところに連れてこい、と命じた。

 かくして、護衛を雇ってから二週間後に令息は、私の目の前に突き出されることになる。

「これはどういうことでしょう? 侯爵令息」

 猿轡を噛まされ、後ろ手に拘束された状態の令息を私は見下ろした。

 護衛が猿轡を外して、背中から令息を小突く。

「おい、さっさと答えろや!」

「……ひっ」

「手荒な真似はしなくて結構……今はね」

 そう言いながら、私はわざと酷薄な笑みを浮かべた。

「……で、令息はいったい何をされたというのですか? 最近、我が家の周りでこそこそしているようですが」

「こそこそって……失敬な! 僕はカタリナに声をかけようとしていただけなのに……」

 身の程も知らず、彼女を呼び捨てにする令息に一瞬理性を失いそうになる。

 しかし、ここで腹を立ててしまったら最後。逆に法的手段に訴えられかねない。

 拳を握りしめて、私は我慢をした。

「過去に彼女とどういう関係だったかは知りませんが、いまはあなたの許婚者は違う女性ではありませんか。そして、カタリナお嬢様は私の恋人なのですよ?」

「うぅ……」

 令息は胸の痛みに耐えかねたように、綺麗な顔を歪めている。

 そこまでお嬢様のことを好きならば、なぜ浮気なんかしたのだろう?

 まぁ、自分以外の人間の心など理解できるものではない。

 大事に思う必要があるのは、私にとっては血が繋がった母と……あとは、将来自分と家庭を持つかもしれないカタリナお嬢様だけ。

「申し訳ありませんが、私は独占欲が強いほうでして。社交の場で、あなたもベルトラ子爵令嬢を連れている状態でしたら理解するのですが、個人的にカタリナお嬢様に接触するのはおやめいただけませんでしょうか?」

 あえて慇懃無礼な調子で、私は令息にお願いした。

「……そうしていただかないと、法に反することをしてしまうかもしれませんからね……」

 にやりと笑うと、護衛がボキボキと手を鳴らしてきた。

 その不気味な空気感に耐えかねたのだろうか……。

 グラストン侯爵令息は、私が用意した『覚書』に署名することになった。

 万が一、侯爵令息がお嬢様に再度接触しようとした場合、代理人不可の決闘を私とする、という内容だ。

 ちなみに、銃の腕前でも剣の腕前でも、私に勝つ者はいないという自負がある。

「ひぃ……っ!」

 それを知った令息は、真っ青な顔をして私の前から去っていった。

 後ろから不意打ちされないか心配そうに、何度も何度も後ろを振り返りながら。


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