第32話 寝取り令嬢の悔し涙2


 すぐにすべてが元通りになると思っていたのに、その希望が打ち砕かれたのは翌週のこと。

 相変わらず、「カフェ・ベルトラ」には客足が戻らず、そんな有様に不安を感じたのか従業員も二人ほど辞めていった。

 別に、辞めたければ辞めればいいのよ。そのうち、後悔するのは目に見えている。

 せっかく高給で雇って差し上げたのに、恩を仇で返すとはこのことだわ!

 フィリップが新しいドレスを買ってくれなくて散財したから、二人分の給金が浮いたのはよかったわ!

 まったく……彼の甲斐性のなさは、本当に困ったわ。

 美形でグラストン侯爵家子息のブランドがなければ、わたくしのほうから婚約破棄しているところよ。

 逆を言えば、甲斐性がなくても見た目と出自のよさでお釣りがくるっていうのは強いわね。その顔でグラストン侯爵家に生まれた幸運を大事になさいな、フィリップ。

 しかも、わたくしのような南部地方で一番の美女と結婚できるなんて果報者だわ。

 鏡の中に映るわたくしは、まるでおとぎ話に出てくる王女様のよう。

 褐色の髪を結い上げ、デコルテラインが美しく見えるシンプルな青いドレスを着る。東方から輸入された金とターコイズを組み合わせた耳飾りと首飾りは、今回の舞踏会のために買い求めたもの。

 できるだけシンプルにしたつもりが、まるで大輪の薔薇のよう。

 やはり、美しさというのは罪なものね……わたくしが会場に姿を現わしたら、殿方の視線を独占してしまうじゃない?

 わたくしにはフィリップという婚約者がいるというのに、そんな残酷なことはいけないわ。

 だって、求婚状の一通も手にしていないような令嬢も、この王都にはいるわけじゃない?

 そういう方も、「カフェ・ベルトラ」のお客様かもしれないんだもの。

 殿方にアピールする絶好の機会を奪うなんて悪いわよねぇ……。

 うふふ……まぁ、いいわ。せっかくの舞踏会だものね。

 そんなモテないご令嬢方のことは、とりあえず気にしないでいきましょう。

 最近、事業がうまくいかなかったから鬱憤が溜まっているのよ。

 フィリップと踊り明かして、楽しい気分になりたいわ!



 わたくしは、フィリップのエスコートでマルモット伯爵邸の大広間へと入場した。

 そう……大規模なお茶会をするマルモット伯爵夫人のお屋敷よ。

 この前はお茶会でいやな目に遭ったけれど、もしかしてあの子たちも来ているかしらね?

 新興貴族が出入りする場所なんて、わたくしだって行きたくないわ。

 でもね、仕方がないのよ。

 南部地方と違って、王都でお金を持っているのは新興貴族とブルジョワですもの。まだ、まるっきりの平民が出入りしないだけマシだと思わないとね。

 今夜は新興貴族の令嬢と交流を深めて、「カフェ・ベルトラ」に来てもらおうかしらね。

 狙いを定めるべく、わたくしはいかにも垢抜けない令嬢たちの集団に近づいていったわ。

 そうしたら、彼女たちはダンスフロアのほうをちらちらと見ながら、カフェの話をしていたのよ。

「……本当に素敵ですわよね、カタリナ様は」

「ユーレック子爵様とお似合いですわぁ。お二人のダンスの息が合っていること!」

 その会話を聞いて、フロアのほうを見ると……いたわ、カタリナが!

 あの子ったら金髪に金のカチューシャ、黄色のドレスってどういうことかしら?

 まるで生まれたてのヒヨコみたい。あの壊滅的なセンスを、誰かどうにかしてやってちょうだい!

 ただ、お相手のユーレック子爵はダンスを踊る姿も優雅でいらっしゃるわ。

 黒の燕尾服にグレーのベスト、すらりとした足がステップを踏む様は、見ている令嬢たちを夢見心地にさせる魔力がある。

 カタリナには、もったいない相手だこと!

 円舞曲のクライマックスの調べに乗ってくるくるとターンをする二人に、令嬢たちが感嘆する。

「素晴らしいですわ。そう言えば、カタリナ様のカフェにこの前行きましたのよ」

「あの話題のオリエンタルゼリー、召し上がりました? 美容にいいって評判ですわよね」

「ええ! 並んだ甲斐がありましたわ。爽やかで甘さも上品で」

「そうなんですの? 羨ましいですわ。ねぇ、今度ご一緒しませんこと? わたくしもカタリナ様のように美しい令嬢になりたいですわ」

「もちろんご一緒いたしましょう! あのゼリー、ずっと食べているとウエストが細くなるってスタッフの方も言っていましたわ……カタリナ様の細い腰回り、ご覧くださいな!」

「わぁ、楽しみですこと! いつにしましょうか?」

 令嬢たちはダンスフロアを見ながらも、「カフェ・カタリナ」に行く計画を立てている。

 何なのかしら、この言い知れぬ敗北感は……。

 いつものわたくしなら、この令嬢たちを自分のほうに向けさせる自信はあるはずなのに、どうしても卑屈になってしまってダメだったのよ。

 よくよく観察すれば、彼女たちはウエストだの美容だのを話題にするだけあって、少々ぽっちゃり気味だ。

(あぁ、わかったわ……)

 わたくしは「カフェ・ベルトラ」の新商品が、令嬢たちに受け入れられなかった理由を理解した。

 高価な砂糖、こってりした卵、甘ったるいチョコレートを使った濃厚なカスタードプディング――あれは、わたくしのようにコルセットが必要ないほど細い腰を誇る、選ばれた令嬢のためのお菓子なのだ。

 お腹の肉を気にする女性たちは、カタリナの新商品に飛びつくだろう。

 そして、メアリーがあのプディングのレシピを持ってきたのは、カタリナが「カフェ・ベルトラ」を警戒しているからじゃないかしら?

 ……あのレシピはダミーだった。

 意図的にカタリナが流したのか、メアリーが裏切ったのかはわからない。

 けれど、ひとつだけ確かなことがある。

 それは、わたくしにはもう誰も味方がいないということ。

(……悔しいわ、わたくしをこんな気分にさせるだなんて!)

 どん底に惨めな気分になり、目頭が熱くなってしまう。

 そこに、飲み物をとってきたフィリップが声をかけてきた。

「あれ、青い顔して具合でも悪いのかい? エレオノール」

「何でもないわ……」

 渡された葡萄酒のグラスを、気つけ薬代わりに一気飲みする。

 お酒でも飲まなきゃ、やっていられないわ。

 ダンスを終えて喝采を浴びているカタリナたちを目の当たりにして、正気でいられるほどわたくしは強い女じゃないの。

 全身黄色のダサい格好をしている彼女が、なぜあんなに輝いて見えるのかしら?

 なぜ、あんなにも美しい殿方に大事にされるのかしら?

 わたくしの中に尽きぬ疑問がぐるぐると回る。

 給仕から新たなグラスをもらうと、それもひと息に飲み干した。

 ああ、ようやく少し落ち着いたわ。

 そんなわたくしを、フィリップは心配そうな顔で見ている。

「そんな風に飲んだら、せっかくの舞踏会なのに酔ってしまうよ。僕と踊るのをあんなに楽しみにしていたじゃないか」

「うるさいわね! もう帰るわよ!」

「エレオノール……ま、待ってよ! 馬車呼ぶからさっ、待ってったら!」

 情けない顔で、後からついてくる婚約者。

 わたくしの顔を今は見ないでちょうだい……涙が零れそうなのよ。

 残念なことに、フィリップはわたくしに残された唯一の財産かもしれない。

 でも、この先「カフェ・ベルトラ」が潰れてしまったら、彼との婚約も終わりになってしまうかしらね……。

 

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