第49話 寝取り令嬢の凋落
――魔女の予言なんて、信じていなかった。
いえ、信じないようにしていた。
そのために、夜な夜なベルンで行われる舞踏会に行き、底知れぬ不安を払拭するかのように色々な殿方と踊り明かしたわ。
その中には、かつて情熱的に愛を囁いてくれた令息もいた。
でも、ダンスを踊って少しお話をするくらいで、それ以上のことは何もなかったわよ!
当たり前じゃない。わたくしにはフィリップという婚約者がいるんですもの。
それに……残念なことに、かつてわたくしを好きだと言ってくれた殿方のほとんどは、すでに意中のお相手がいたり、縁談の話が進んでいたりしている様子。
彼らがわたくしと話がしたかったのは、どうしたら令嬢の心を掴めるかを知りたかったからなのね……もう、失礼しちゃうわ!
明け方まで踊り明かし、おいしい葡萄酒を飲む。楽しく夜明けまで語り尽くせば、翌日の昼間までグッタリよ。
そんな状態では、食欲があるわけがないわ。
午餐も兼ねて山羊のチーズと新鮮なイチゴを使ったサラダ、ミルクティーという美意識の高いメニューをいただいていると、ダイニングルームの扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、長らく王都に滞在していたお父様――シルクハットを手にしながら、何やら渋い表情をしている。
「お帰りなさいませ、お父様!」
立ち上がって挨拶をしたわたくしを、お父様は睨みつけてきた。
「エレオノール……! お前に話がある。後で書斎に来なさい」
「は、はい。わかりました、お父様……」
あまりの剣幕に怯えるわたくしを、そばに控えていた侍女が心配そうに見守っていた。
その後、お父様に告げられたことは、心穏やかではいられない内容だった。
そして、例のナンパ男……ジュリアン・マルニアックがお金を要求してきた件については、今後はいっさいわたくしとの関係を口外しないという念書を書かせて解決したらしい。
それについては、わたくしも胸を撫で下ろしたわ。
だって、あんな下品な男たちにこれからも悩まされるのはまっぴらですもの。
ただ、それだけでは終わらなかった。
「……グラストン侯爵と面会してきた。お前の店が新聞沙汰になっているのを、ひどく悲しんでおいででな」
「申し訳ございません、ご心配をおかけしてしまって」
肩を落とすわたくしに頓着せず、お父様は話を続けた。
「心配どころの話ではないぞ、エレオノール! 侯爵はお前が令息の元婚約者であるカタリナ嬢に対抗心を燃やしているのを、苦々しく思っていたそうだ。しかも、先日のベルンでの舞踏会でお前が他の男と仲睦まじい様子を見て、堪忍袋の緒が切れたようでな」
「えっ!?」
それを聞いて、どこの舞踏会だろうと思い出そうとした。
こちらに戻ってきて、憂さ晴らしをするように多くの舞踏会に出席しているわたくしだけれど、そうした場でグラストン侯爵の顔を見た覚えはなかった。
他のことに気を取られている間に、いらっしゃったのかしら?
ただ、どこで会ったとしても結果はさほど変わらない。
だいたいの舞踏会で、モテるわたくしは殿方たちと楽しい時間を過ごしていたから。
美しいっていうことは、それだけで罪深いことなのよね。
「申し訳ございませんでした……わたくしの配慮が足りなかったようです。でも、けっして殿方たちとふしだらなことをしたわけではございませんわ」
「言い訳はもういい。今後はしばらく舞踏会に参加するのを自粛しなさい」
「え……、そんな……!」
「お前の持参金は、使い果たしてしまった。お前が事業に失敗したのもあるし、我が家の財産から補填できる分についても、マルニアックとかいう男との示談金でなくなった。こんな状況で、グラストン侯爵家がお前を快く令息の嫁として迎え入れるわけがなかろう?」
そう強く言われて、わたくしは目の前が真っ暗になる心地がした。
持参金の額の不足……それは、十分な婚約破棄理由になる!
「カフェ・ベルトラ」が閉店した時点で、それはある程度覚悟していた。
ただ、安定した事業をされているお父様の財力があれば、何とか補填してくださるのではないかと心のどこかでおかしな自信を持っていたの。
でも、ナンパ男の示談金ですべて使い果たしてしまったなんて……!
グラストン侯爵は、フィリップとわたくしを破談させるために様々な材料を揃えているところなのかもしれない。
カタリナとの破談の時は、わたくしが妊娠したと思わせていたので侯爵家としては、仕方がなかった。
ただ、懐妊していないのであれば話は別。持参金の不足や貞操を疑うような事実があれば、侯爵家の側からわたくしに婚約破棄を言い渡すことができるのだ。
「お、お父様……わたくしはどうしたらよいのでしょう……? フィリップに婚約破棄されてしまったら、わたくしは……」
あまりのことにボロボロと涙を流し始めたものの、お父様の反応は冷ややかだった。
「とにかく、おとなしくしていなさい。まだ、婚約破棄されるとは決まったわけではない。しかし、最悪の状況になったとしても、令息を恨まないようにな」
そう窘められて、わたくしは項垂れるしかなかった。
――最悪なニュースは、その翌週もたらされた。
外出の一切を禁じられたわたくしは、テラスでお茶を飲みながら読書をするのが日課になっていた。
そんなわたくしにとって、お友達を屋敷に呼ぶことが唯一の社交。とりあえず、一番仲がいいモンパス伯爵夫人にこの不安な胸のうちを明かそうと手紙を書いた。
その翌日、焦燥した様子の伯爵家の使者が屋敷に姿を見せた。
「あら、どうかなさったの? 青い顔をして……伯爵夫人は?」
そう尋ねると、彼は涙ながらにこう言った。
「実は奥様は、昨日から魔法省の取り調べを受けておりまして……しばらくはエレオノールお嬢様のもとに伺うことができないのです」
「ま……魔法省の取り調べですって!?」
思いがけない断りの理由に、わたくしは目を丸くする。
「はい! 魔女の館という占い館のオーナーが捕まったようで、顧客名簿にあった奥様が事情聴取を受けているのです。奥様から、エレオノールお嬢様にも十分お気をつけになるように、と伝言が」
それを聞いて、愕然としてしまう。
このベルクロン王国では、黒魔術を使うのは罪に問われるが、使用を命じた者もそれなりの刑罰を問われると記憶している。
ただ、魔女の顧客名簿に載っている人物は、相当の数に上るだろう。
魔法省が魔女を尋問して、各顧客との関係や内容を確認している最中なのかも……。
「ど、どうしましょう。気をつけるって言ったって、何をどうすれば……」
使者が帰った後も、テラスでうろたえるわたくしのもとにまた客人がやってきた。
しかも、それはまさに身の破滅を予感させる者――。
「あなたは……」
応接間に入った途端、黒いローブを着た老人が慇懃な挨拶をしてくる。
「エレオノール・ベルトラ子爵令嬢、初めまして。魔法省の検察官マロジニでございます」
「……魔法省の方が、なぜこんなところにいらっしゃったのかしら……?」
白を切るわたくしに、マロジニという検察官は不気味な笑みを浮かべる。
「いえ、令嬢が関わったと思われる黒魔術の事件が発見されましてな。つきましては、事情聴取を行わせていただければありがたいのですが」
「何をおっしゃるの? まったく身に覚えのないことですわ。なぜ、わたくしが……」
誤魔化そうとしたものの、そんなに簡単に解決できる問題ではなさそうだった。
「申し訳ございませんが、魔女の館のオーナーがすべて白状しているのです。もし、事情聴取を拒絶するのなら王命に違反すると見做し、令嬢の罪状に国家反逆罪も加わることになりますが、どういたしますか?」
国家反逆罪……それは、ほとんどの者が処刑を免れられない、ベルクロン王国で最も重い罪である。
(……これが、あのとき魔女が見た近未来だったの……?)
わたくしの脳裏に、魔女が見せつけてきた塔のカードが浮かんでは消えていった。
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