第29話 初めての一本
高校2年生の時のことだ。
僕たちはいつものように遅くまで残って練習していた。
剣道場にいたのは僕たち二人だけ。
僕たちの打ち合いは、いつも同じ。
勇陽の攻めを僕がひたすら受ける。ただそれだけだ。
別に示し合わせてそうなったわけではない。
どちらかが一本を取るまで休みなく打ち続ける、というのが僕らの唯一のルールなのだが、勇陽は元から攻めるのが好きなのだ。
昔は体のあちこちが真っ赤に腫れ上がるまでボコボコにされていたものだが、今ではこいつの攻撃を防ぐことぐらいはできるようになっている。
だがそれでも、打ち返そうとするなら話は別だ。
まるで台風の時の雨のように激しい打突をかわしながら、隙間をぬってこちらから攻撃するなんて、はっきり言って無理だ。
だがその日。急に見えたのだ。
ほんのわずかな隙が。
そして見えたと思った瞬間、竹刀を振り下ろしていた。
───バシッ!!
「あっ!」
勇陽の面に竹刀が綺麗に当たっていた。
打ち込んだ僕の方が、驚いて声を上げてしまった。
「1本、だな」
一方で勇陽の方は冷静に淡々と告げる。
「え、あ……」
僕が、勇陽から一本を? とても信じられない。
あまりのことに、呆然としてしまう。
勇陽は顔をしかめて首を傾げながら、まるで調子を確かめるように手をぶらぶらと振っていた。
「ど、どうした勇陽? どっか調子悪いのか?」
「いや、なんでもねぇよ」
明らかに何かを誤魔化すような言い方だった。
「でも……そうじゃなかったら、僕がお前から1本取れるわけないだろ!」
心配する僕を、勇陽は呆れたような目で見る。
「あのなぁ友夏。お前だって強くなってるだろ。体もでっかくなって筋肉も増えてる。別におかしかねーよ」
「いや、それは……」
僕たちの関係は出会った時となんら変わらない。
ヒーローの勇陽とその子分の僕。
これからもずっとそういう関係が続いていくと思っていた。
だが、今日。初めて僕が勝った。
今まで何度も何度も打ち合ってきて、一度も一本を取れたことがないのに。
「友夏も成長したってことだろ。オレがお前に負けるのなんて勉強とゲームぐらいだと思ってたんだけどな」
「いや、身長も勝ってるけど?」
「ぶっ殺すぞ」
今まで聞いたことのないドスの効いた声だった。
こいつ、実は身長が低いのを気にしているのだ。
「成長したらモデル体型になると思ってたんだけどなぁ……いや、まだ諦めるのは早いか?今から牛乳をがぶ飲みすれば……」
しばらくぶつぶつ言っていたが、急にこちらに向き直った。
「……ともかく、よかったな友夏。オレとしては嬉しくもあり寂しくもありって感じだが」
「ああ、うん……」
「なんだよー。もっと喜べよ! お前が、初めてオレから1本取ったんだぞ?」
「そ、そうか」
そうか。ようやく、僕は勇陽に手が届きそうなんだ。
ずっとずっと前を走っていて、どれだけ走っても追いつけないと思っていた。
だけどようやく、勇陽の背中が見えた気がする。
「お前がこうやって日々成長してくれるのはほんとに嬉しいぜ。大会に出るよりお前と打ち合いをしている方がよっぽど楽しいし」
見ている側も、勇陽は勝って当然、みたいに思っているところがあるからな。
本人も勝ってもあまり嬉しそうじゃない。
毎度真剣に立ち向かっていっているのは神川夜月さんぐらいだろう。
「まぁ、そう言ってくれるのは悪い気はしない」
「じゃあ、1本取られた分を取り返さないとな! やるぞ友夏!」
「いや、ちょっと待てって! もうちょっと勝ちの余韻に浸らせてくれ!」
結局、この後何十本も取られてこともあり、たった一本取れたことなんて、誰にも言えなかった。
そして調子が悪そうにしていたのは気のせいだと思ってしまった。
だが、この後しばらくして勇陽はいなくなった。
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