第30話 僕と勇陽の師匠
次の日。月曜日だ。
授業の内容などまるっきり頭に入らなかった。
日曜日に練習試合があった関係で、今日は部活は休み。
だから放課後になって、僕はカバンを取ると急いで学校を飛び出した。
どうしても行きたいところがあったからだ。
勇陽の家の近くにある、古い日本風の木造の建物。
『神川剣道場』
勇陽と僕の剣の師匠の道場だ。
ヤツと初めて会った日、僕はこの道場に連れてこられた。
あの時はまだ小学校低学年で、僕が同級生にいじめられていたところに颯爽と現れて助けてくれたのだ。
まったく、出会いからしてヒーローみたいなやつだ。
そして『オレが鍛えてやる』と言って、強引にここまで連れてられたんだった。
当時は、まさかそこから長い腐れ縁ができるとは思ってもみなかったが。
さて、ちょっとガタがきている引き戸を開け、中に入る。
今日は稽古の日ではないはずだが、予想通り、素振りをしている人が一人。
その人はこちらに気づくと、にやりと笑いかけてきた。
「珍しいのぅ、友夏」
「ご無沙汰しております。
神川刀慈。御年76歳。あの神川
僕たちは
結構なお年だが、まだ背中もまっすぐしていし、週3回の稽古も昔と変わりなく行っている。
元気なおじいさんだ。
「最近すっかり来てくれんから、この道場のことなどすっかり忘れてしまったのかと思っておったぞ。昔はあれだけ熱心に通っておったのにな」
実際、この場所を訪れるのは久しぶりだ。
小学生の時は勇陽に連れられて毎日ボコボコにされていた。
中学で剣道部に入部してから訪れることも減ったが、たまに呼び出されて小さい子を教えるのを手伝ったりもしていたものだ。
「勇陽のバカを探しに来て以来じゃの。あのバカは見つかって……は、いないようじゃな」
「……はい」
「何か悩み事か?」
「……お見通しですか」
相変わらず人の心を読めるかのような鋭さに驚かされる。
もっとも、この人は勇陽、刀斬、夜月と3人もの超高校級の剣道家を育てているのだ。ただの老人であるわけがない。
しかもこの人は、あの勇陽でも一度も勝てたことのない相手だ。
中学でも高校でも敵う者無しだったヤツを、文字通り子供のようにあしらっていた。
『チクショー!! なんでこんなじーさんにオレが勝てねーんだよ!』
『はっはっは!! 20年早いわクソガキが!! 年季が違うんじゃよ!!』
まだ中学生だった勇陽相手に勝ち誇っている姿は今でも記憶に残っている。
ちょっと子供みたいなところがある人なのだ。
見た目も頭脳もガキンチョな勇陽とは相性がいい。
「そのしょぼくれた顔。懐かしいのぅ。勇陽のバカたれがお前さんを連れてきた日も、おんなじような顔をしておった。まるで昨日のことのように覚えておるわ」
「それはもう、忘れてもらって欲しいんですが」
もう10年近く前のことだぞ。
「最近物忘れが酷いが、昔のことはなかなか忘れられんもんじゃよ。それで、一体どうした? この老いぼれに答えられることならいいんじゃが」
師匠はそう言うと、床にどかっとあぐらをかいて座った。
僕もそれに倣って正座する。
「強い人間の側には、弱い人間はいてはいなけないんでしょうか」
その問いに師匠は苦笑していた。
「いかにも刀斬のやつがいいそうな言葉じゃな」
「あの2人から、何か聞いてますか?」
「いいや。刀斬と夜月の2人はもう長い事ここには来とらんよ。愛想のない孫たちじゃよな。まぁもう儂から教わることなど何もないということなんじゃろうが。刀斬に何を言われた?」
「勇陽の横にいるべきなのは僕じゃなくて自分だと……僕が勇陽の横にいるのは、あいつの足を引っ張る行為でしかない、と」
それを聞いて、師匠は大きくため息をついた。
「随分、歪んでしまったようじゃな」
師匠は振り返り、壁の上の方を見つめていた。
そこには、今まで門下生が大会で優勝した賞状がたくさん並んでいた。その中には勇陽、刀斬、夜月が取ったものも多い。
「刀斬は昔から、誰よりも強くなることが目標じゃった。なんせあやつは天賦の才を持っていたからな。小学生のころから大会に出るたびに優勝しておった。あやつに敵うものなどいなかったよ」
僕と勇陽があいつに出会う前の話だ。小学校低学年ぐらいの時か。
「じゃが強さは時に孤独を生む。特に子供は残酷じゃからな。……いつからか、夜月以外にあやつの練習の相手をする者がいなくなった」
それについては、勇陽も同じだ。
あいつとはまともな打ち合いになる人間の方が少ないからな。
「そんな時に道場にふらりと現れたのが勇陽じゃ。刀斬以上の才能を持つ子供を見て、儂は驚いて腰を抜かすかと思ったもんじゃ」
「……刀斬にとっては、まさに運命の相手だったわけですね」
師匠は黙って頷いた。
「毎日、日が暮れるまでずっと打ち合いをしておったよ。それはそれは楽しそうにな」
やつにとって勇陽は念願の対等に戦える相手であり、唯一の理解者だ。
勇陽も強いヤツは大好きだ。お互い理想的な練習相手だったろう。
「が、間の悪いことにあやつの親……儂の息子夫婦が仕事で引っ越すことになった。別の場所でも剣道をやっておったが、寂しい思いをしていたようじゃな」
やっと見つけた最高のライバルで親友と、すぐに離れ離れになってしまったんだ。
刀斬にとっても、勇陽にとっても辛いものだっただろう。
「その後じゃよ。勇陽がしょぼくれたお前さんを連れてきたのはな」
しょぼくれてるは余計だが。
「それからのことは、お前さんの方が良く知っておるじゃろ」
「ええ……」
刀斬は小学生の頃は夏休みに現れて勇陽と打ち合っていた。
そして中学に上がってからは、大きな大会の場で。試合をすることはないが顔を合わせるようになった。
僕の入る隙間などどこにもない。
じゃあ、勇陽にとって僕とは。
「そっか……勇陽にとって僕は、刀斬の代わりだったのか」
勇陽の代わりをしている僕が、最初から刀斬の代わりだったなんて。
まったく、とんだ道化を演じていたんだな僕は。
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