第09話 正義のヒーロー

 今から2年前。

 僕と勇陽が高校で剣道部に入部して、数日後のことだ。


 僕は勇陽と、昼休みに練習しようと約束していた。

 だが、当の本人は授業中に色々やらかしたせいで職員室に連れ去れていった。


 仕方なく先に剣道場で待っていようかと思ったのだが、そこには先客がいたのだ。

 しかもその様子がただ事ではなさそうだった。


 竹刀を構えて向かい合っているうちの1人は、この前僕のことをセンスがないと言った先輩。

 名前はなんだっけ……安藤? 近藤? そんな感じの名前だったと思う。


 そしてもう1人は、同じクラスの1年生。

 勇陽がナンパして入部することになった、未経験の女の子だ。


 周りではあの先輩の取り巻きたち数人が、ケラケラ笑って見ている。


 なんとも異様な光景だ。

 道場内に入っていいものかわからず、ひとまず様子を見ることにした。


「オラァ!!」


「きゃぁ!?」


 女の子は先輩の激しい一振りをまともに食らい、倒れてしまった。

 だが先輩は、彼女の顔に向かって竹刀を突きつける。


「オラ、立てよ」


「は、はい……い、痛っ!!」


 立ち上がろうとした時、どこかを痛めたのか、うずくまってしまった。


「なんだよ、ちょっと小突いただけじゃねぇか。そんなんじゃ剣道なんてやってられないぜ?」


 彼女はビクッっと震え、立ち上がることもできずに怯えている。


「早く立てよ。言っとくけど、まだまだこんなもんじゃないぜ? 俺がみっちり可愛がってやるからよ」


 周りにいた先輩たちも、何が楽しいのか、女子が痛めつけられているのを見てニヤニヤ笑っている。


 ここら辺が、我慢の限界だった。


「あーのー」


 突然現れた僕に一瞬ぎょっとしたようだった。

 だがこちらの顔を見て、わかりやすくバカにした顔になった。


「誰かと思えば、赤道の子分じゃねぇか」


「先輩。うちの剣道部って、初心者にこんな無茶な練習させているんですか? だとしたらガッカリなんですけど」


 僕の言いたいことはわかっているはずなのに、先輩はヘラヘラ笑いながらずっとぼける。


「は? 何言ってんだよ。ただの実践形式の練習だよ」


「彼女にはまだ早すぎる。そう言いたいのがわかりません?」


 彼女のような初心者は、今は部長の指示で、体力づくりといった基礎練の最中のはずだ。

 まだ部活中に竹刀も防具も着けることを許されていない。


「ハンッ! 言っておくけどそいつらが基礎錬ばっかじゃつまらねぇだろうと思って、親切心で稽古つけてやってんだぜ?」


「あ、すみませんうるさいです。ちょっと黙っててください」


「あああ!?」


 明らかにイラついた様子の先輩を無視し、倒れている女の子に駆け寄る。


「君、大丈夫?」


「え、ええ……いたっ!」


 悲鳴をあげて、左腕をおさえていた。

 慎重に小手を外すと、肘のあたりが真っ青になっていた。


 どうやら、あの先輩。

 彼女の防具の隙間をわざと狙って叩いていたらしい。


「酷い……」


 怒りで顔をしかめる。

 これが稽古だって?

 こんなの、初心者相手にすることじゃない。

 ただ弱者を嬲っているだけだ。


 勇陽だって、こんなのを見たら許さないはずだ。


「だ、大丈夫? 冷やしといた方がいいかな? 救急箱は確か部室にあったような……」


「あ、あの……これくらい、大丈夫ですから。だから、すぐに出て行かれた方が……」


「……へ?」


 一瞬、言っている意味がわからなかった。


「えっと、迷惑だった?」


「ち、違います! ただ、このままでは、あなたまで……」


 ようやく理解できた。

 この子は、僕のことを心配してくれているんだ。

 今、自分が酷い目にあっているというのに。


「僕のことは心配しないでいい」


「でも!」


 ふう、と息を吐き、袋から竹刀をすっと抜く。

 もう少し、穏便に済ませようと思っていたのだけど。仕方ない。

 余裕の表情を見せている先輩の方を向いた。


「僕も1年ですから、稽古つけてもらってもいいですか?」


「はん! いい心がけじゃねぇか。別にいいぜ? お前もこの部をやめたくなっても知らねぇからな?」


「やめるわけ、ありませんよ」


 勇陽がいる限り、僕はこの部を辞めたりはしない。

 あいつの隣にいるために、僕は剣道をやっているのだから。


 更衣室でささっと急いで防具を着け、先輩と向き合う。

 そんな僕の様子を見て、取り巻きたちは馬鹿にしたように煽ってくる。


「そいつ、言っとくけど県大会4位だぜ?  この学校じゃ敵うやつはいねぇレベルだ」


「オイオイよせよ。後輩がびびって逃げ出しちまうだろうが」


「敵う奴はいない? 何言ってるんですか。『赤道勇陽以外は』って頭につけた方がいいですよ」


「あん?」


 勇陽の名前を出した途端、露骨に顔をしかめた。


「前も言ったろうが。俺ならあんな1年、ひとひねりだぜ? ちょっとぐらい強いと言っても、所詮は中学レベルだ」


「はいはい、そうですか。そりゃーすごい。さいきょーですね」


 こっちのバカにしたような返答に、ご立腹のようだ。

 顔がみるみるうちに真っ赤になる。


「テメェ、調子に乗りすぎだ! マジで許さねぇからな……オラァ!!」


 さっそく先輩は飛び込んで来て、竹刀を大きく振るった。

 右腕の、防具の隙間を狙った打撃だが、こちらは冷静に受け止める。


 まったく、芸がない。

 こんなもの、来るとわかっていれば、どうということはない。


「ワンパターンだなぁ」


「あん!? 1回防いだぐらいで、調子に乗んじゃねぇ!」


 防具の隙間を狙う目論見は通じないとわかったのか、今度は面、胴、小手と連続で打ってきた。

 力でねじ伏せてこようとしているのだろうが、


「軽いですね」


「ああん!?」


「それに遅いです」


 洗練さの欠片もない、力任せの攻撃。

 こんなの、普段打ち合っているヤツのものと比べたら、止まって見えるぐらいだ。


「あなたの打突はどれも弱い。このまま打ち合っても、一撃も貰う事はないですよ……たぶんですけど」


 最後にちょっとだけ自信がなくなってしまい、妙に締まらない。

 こういうところが僕と勇陽との格の違いだ。


「ああん!? てめぇなんかが俺の相手になるわけねぇだろうがよぉ!!」


 面を狙った大振りの一撃。

 相手の方が体格も大きいし、なかなかのパワーがありそうだ。

 だが、すっと体を後ろに引いてなんなく避ける。


「お前だけじゃねぇ! 赤道のヤツも俺に勝てるわけがねぇんだよ!」


 その言葉に、思わず吹き出してしまう。


「あっはっはっ。笑わせないでくださいよ。あーちょーうける」


「あああああ!?」


 まったく、笑いが止まらない。


「あなたは僕に勝てないし、勇陽には一生かかっても勝てませんよ」


 ブチッ、と血管が切れたような音が聞こえた。


「ふっざけんなああああああ!!!」


 攻めがより激しくなり、怒りに任せた一撃がバシバシ飛んでくる。

 さんざん挑発したのが効いているらしい。


 さて、これだけ軽口を叩いておいてなんだが、僕ではこの人に勝つのは難しいだろう。

 勇陽とは比べるまでもないが、それでも強いというのは本当らしい。


 先輩と打ち合っているのが僕ではなく勇陽だったら、もっと単純だっただろう。

 怒って、先輩をボコボコにして、剣道部からたたき出す。

 それでおしまい。一件落着だ。


 でも僕は勇陽じゃない。

 勇陽みたいにはなれない。

 ヤツほど強くないし、ヤツみたいに速く動く事も、相手が1発でノックアウトするような一撃を繰り出す事もできない。


 できるのは、のらりくらりと、攻撃を受け流すことぐらいだ。

 そんな僕の戦い方に、さらにイライラさせられているらしい。


「てめぇ! 避けてばっかか!? 少しは打ち込んでこいよ!!」


「は?  嫌ですよ」


「ああ!?」


 それでも。

 僕はあいつみたいになりたい。


 たとえ勝てなくても、あいつと打ち合えるぐらいまでに強くないと、あいつの隣にいることすらできないんだ。


 当たり所が悪ければ人を殺せそうな勢いの打突を、全て防ぐか、避ける。

 たとえ何度打ち込まれても、決して倒れることは許されない。


 それができるようになるまで、ひたすらあいつと打ち合いをした。

 だがそれでも、まだまだあいつには届かない。


「ほら、僕に稽古つけてくれるんですよね? もっともっと打ち込んできてくださいよ!」


「クソがっ!!!!」


 剣道の試合は、先に二本有効打突を取るか、一本先取して時間終了になれば勝ちというルールがある。


 僕のようにずっと攻撃せずに、ひたすら防御するだけ、なんてことをすれば確実に判定負けだろう。

 でもこれは、試合じゃない。稽古だ。


 一本を取られるような有効打突じゃなければ、いくらでも受けきる。

 こちらから無理に攻撃する必要は無い。


 この人は僕に勝つことはできない。

 でも、僕が勝つ必要も無いのだ。


 そのまま10分以上経った。

 先に根負けしたのは、先輩の方だった。

 派手に動き回ったせいで、ゼーハーゼーハーと肩で息をしている。


「お前、こんだけやって、なんで、倒れねぇんだよ……」


 向こうは息も絶え絶えだが、こっちは軽く呼吸を整えている程度だ。

 呆れたような口調に、肩をすくめる。


「体力バカとずっと打ち合うには、こっちも体力つけるしかなかったんで……」


 勇陽の体力は無尽蔵。疲れるという言葉を知らない。

 朝から晩まで竹刀を振り回していても平気な顔をしているぐらいだ。

 

 そんな奴の相手をするには、すぐにへばるようではだめだ。

 最初はあいつが打ち込む的にすらなれなかった。


 体力も、そして剣も。まったく敵わない。

 あいつは遠い存在だ。

 あいつの隣に並ぶことなんて、そう簡単にはできない。

 だが今はわずかずつだが、近づけている。


 あいつに隣に行けると信じて、毎日努力しているんだ。


 そこへ。


「わりぃわりぃ友夏~! やっと先生の説教から解放されたぜ~! ……うお、なんだこの状況!?」


 能天気な声が道場に響き渡った。

 『ヒーローは遅れてやってくる』、なんて言うが。

 散々打ち合った後にようやく現れた勇陽は、まさにそれだった。


 勇陽は僕と、怪我をした女子生徒と、先輩を順番に見て、納得したようにうなずいた。


「ははぁ、なるほど。そいつが悪いヤツだな?」


「正解。今、一本も決められずにばてさせたとこだよ」


「うわっ! あいかわらず性格わっるっ!」


 ケラケラ笑って、からかってきた。

 誰のせいで、こんな剣を振るうようになったと思ってるんだか。

 まったく、こっちの気も知らないで。


 ようやく来たんだ。

 相手を代わってもらおうかと思ったのだが、本人はその場にどかっとあぐらをかいて座り、見物の構えに入った。


「どうせなら、一本決めてみせろよ、友夏。本気を出せばできんだろ?」


「えー……」


 試合では勝つのは難しいし、稽古で勝つ必要は無い。

 だからこそ先輩の心を完璧に折るなら、この『勝たない戦法』が一番だと思ったのだが。


「オレはお前のカッコイイとこ見たいんだよ! ヒーローみたいに女の子を助けるとこ! なっ? 頼むって!」


「はぁ……しょうがないなぁ」


 子供のようにダダをこねだした。

 こうなると聞かないからな。仕方ない。


「お、おい、お前ら……あんまり、勝手なことばっか、言ってんじゃ、ねぇぞ!!」


 これは剣道の試合じゃない。

 ただ、困っている人を助けるだけ。

 そう、ヒーローのように。

 自分の戦い方ではなく、勇陽のように。


「いきますよ先輩。ぼーっとしてると怪我するんで、気をつけてください」


「ああ!?」


 ふう、と息を整えて、そのまま大きく飛び上がる!


「サンセット……ブレイカァァァァ!!」


 試合ならとっくに時間切れ。というところまで粘って体力を奪ったんだ。

 勇陽の技に比べるとお粗末なものだが、それでも僕の剣は頭を打ち抜いた。


「一本!」


 勇陽が嬉しそうな声で、一本を宣言した。


「いい『サンセットブレイカー』だったぜ! さっすが親友! オレの必殺技を使える唯一無二の存在!」


「いやー……技名ダサいし、叫ぶんじゃなかった。恥ずかしい。あと、唯一無二じゃないよ。勇陽も使えるんだから」


「なんだよー! カッコイイだろ! オレが徹夜して必死に考えた技なんだぞ!」


「ただ飛んで面打つだけじゃん……」


「技名色々考えてたら気づいたら朝になっててさー」


「いや、名前の方かい」


「次の必殺技はどんなのがいいっかなー! こう、ビューン!! バビューン!! ズバババババ!! って感じのがいいよな!」


「頼むから、人類の言語で話してくれ」


 そんな漫才のようなやり取りをしていたら、バテバテの先輩がかみついてきた。


「ま、待てよ!! まだ一本だろ!! まだ俺は負けてねぇ!!」


「いや、僕はもういいです。先輩、”稽古”どうもありがとうございましたー」


 もう相手にする気も、価値もない。

 だが、プライドをずたずたにされただろう先輩は引き下がらなかった。

 なんとしてでも僕らを見返してやろうと、やっきになっているようだ


「じゃ、じゃあ赤道! お前、俺と勝負しろ!!」


「お、いいぜ先輩。やろうぜ!」


 勇陽は本当にうれしそうに、にやりと笑った。

 そのまま鞄を放り投げ、背負っていた竹刀を取り出し、先輩の前にひょいっと立った。


「防具なんか付けるのもめんどくせぇ! とっとと始めようぜ!」


「赤道! 言っておくけど、大怪我して泣いてもしらねぇからなぁ!」


 そこからの2人の打ち合いについては、ほとんど語る必要が無い。

 防具も付けずに先輩と相対した勇陽は、相手に攻める暇を一度も与えず、わずか5分の間に、面が8回、胴が5回、小手が10回。

 その間、先輩はただただ打ち込まれるだけのカカシになっていた。


 それだけでは飽き足らず、取り巻きの先輩たち3人とも強引に打ち合いだした。

 そして、全員をボコボコにしたところでようやく終わった。


 4人とも道場の床に倒れ込んでしまっていたが、勇陽は息切れすらしておらず、あくびをしてつまらなさそうな顔をしていた。


「なーんだこんなもんか。高校になったら学内にちょっとは強いヤツがいると思ったんだけどなぁ~」


「勇陽が規格外過ぎるんだよ」


 呆れながら、床に倒れ込んでボロクズのようになっている人達を指差す。


「あいつらのこと、僕から部長に報告しとこうか?」


 そういうチクリのようなこと、勇陽が進んでやるとは思えない。


「イヤー別にいいんじゃね? どうせあいつらはオレ達より先に卒業するしなー。オレらがいる限りでかい顔はできねぇだろ」


「まぁ、それはそうか」


 大人しくしていてくれるなら、僕もこれ以上事を荒立てようとは思わない。

 適当に釘を刺しておくとしよう。


「なんでだ……なんで俺が、あんな、ガキみたいなやつに……」


 先輩はがっくりと力なくうなだれて、そんなことをぼやいている。


「それ以上、自分の価値を下げること言わない方がいいですよ」


 まぁ、僕はこの先輩の人間としての価値なんて、心の底からどうでもいいのだが。

 勇陽たちには聞こえないように、小声で話す。


「先輩。次はありません。もし、また同じようなことをしたら、勇陽が黙ってませんから。どんな手を使ってでも、あなた達を部から追い出すつもりです」


「……赤道のおまけのくせに、偉そうに……」


「ええ。僕はあいつには敵いません。だから、僕のことはどれだけバカにしても構わない。でも……」


 それでも、譲れないものはあった。


「勇陽をみくびらないでください」


 結局のところ、僕にとってはそれが一番大事なことなのだった。


 勇陽たちの方に戻ると、ちょうど女の子に手を差し伸べているところだった。


「歩けるか? おぶってやろうか?」


「い、いえそんな……痛いのは腕ですし、大丈夫です」


「あ、お姫様だっこの方がよかったか?」


 彼女は顔を真っ赤にしてぶんぶん首を横に振っていた。


「勇陽はこんな見た目だけど、力は強いから心配しなくていいよ」


「『こんな見た目』は余計だろうが。チビって言いたいのか? あ?」


「言ってない言ってない」


 こいつ、自分の身長の低さだけは気にしているのだ。


「あ、あの。お2人とも……助けていただいて、ありがとう、ございます」


 僕たち2人は顔を見合わせた。


「礼なら勇陽にだけでいいよ。僕はこいつが来るまで時間を稼いだだけ」


「礼なら友夏にだけでいいぞ。オレはとどめを刺しただけ」


 再び顔を見合わせたかと思うと、同時に吹き出した。


「あの、かっこよかったです! お2人とも! 本当に、ありがとうございました」


「うん、まぁ……そりゃ、よかった」


「おい何照れてんだよ友夏~顔真っ赤だぞ?」


「う、うるさい! ほっとけ!」


 僕は勇陽には敵わない。

 でも、一緒にいるためにちょっとは強くなりたい。

 そう思っていたのだった。

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