第13話 誇り

「おいおい。お前がいつまでも文句ばっかり言ってるからよ、他の奴がゾロゾロと帰ってきたじゃねーか」


 ヨンヘルのベッドでふんぞり返る男は、その両手を血で赤く染めていた。拳が傷ついて流血しているわけじゃない。その全ての赤が、ヨンヘルの血によるものだ。


「お前が……やったのかよ」


 誰が犯人かは瞬時に想像できたが、まさにその想像通りの男がヨンヘルに睨みをきかせている。

 爬虫類特有の硬そうな黄土色の鱗に身を包み、口先からは細長い舌を素早く出し入れして獲物を狙う。弱った標的が絶望した時に出す張りつめた空気を楽しむように、蛇は静かな眼差しで笑みを浮かべていた。


「お前がやったのかって、聞いているんだよ!」


 俺は大声を出しながら、視線を切るようにヨンヘルと蛇の間に立って手を広げた。それは咄嗟の行動で、自分でもその行動が何を意味しているのか、蛇に言われるまで理解していなかった。

 囚人が看守に牙を向ける。それはどこの世界でも共通の常識。絶対に許されない秩序の乱れだ。


「お前? 囚人ごときが看守様に向かって、お前だぁ? 随分と頭のネジが外れた囚人だな」


 一目見た瞬間から蛇の正体は分かっていた。黒を基調とした制服に、胸元で光る金色のバッジがなによりの目印。こいつは、ヨンヘルと裏取引をしている蛇族スネーカーの看守バルアマン。売上が落ちたと揉めていたことを考えると、バルアマンからの無茶な注文にヨンヘルが反抗したってとこが現状だろう。

 それにしたって、一方的にやりすぎだ。無傷でふんぞり返るバルアマンに対し、ヨンヘルは吐血するほどの重症。ほとんど体格差のない相手を拳で殴るだけで吐血させるなんて、常軌を逸した思考回路をもっていなければ無理だ。


「看守だからって、いくらなんでもやりすぎじゃないか?! こんなのは……」

「やめろオルディ!!」


 バルアマンに食って掛かろうとした俺を大声で静止させたのは、仰向けで床に倒れているヨンヘルであった。

 弱っている上半身を必死に起こすと、ふらつく足で立ち上がりながら俺に鋭い視線を向ける。明らかに苛立っているその眼からは、以前に口論をした時とはまるで別物の気迫が放たれていた。これがヨンヘルの本質なのだろうか。狂人とも呼べる強烈な殺意が剥き出され、誰が相手でも噛みついてやるという強い意志に、思わず体が後退りをしてしまう。


「ヨ、ヨンヘル……こいつにやられたんだろ?!」


 ヨンヘルはそのまま俺の声を遮るようにバルアマンとの間に割って立つと、口に溜まっていた血を床に吐き捨ててから俺に背を向けた。


「だからどうしたんだ? お前には関係ない。これは俺の商売だ、偉そうに口を挟むな」


 目の前に立っているのは本当にヨンヘルなのか。そんな疑問が思わず過ってしまうほど別人のような口調だ。

 そもそもバルアマンが何を思ってヨンヘルを傷だらけにしたのか。バルアマンにとってヨンヘルは商売仲間のはず。売上が芳しくないって話があったって、それ自体はヨンヘルに否があるわけじゃないよな。だったらなんでこんな一方的に痛めつけるような展開になるんだ。


 考えても理由が分からない。いや、今はそんなことを考えるより、目の前の状況をなんとか落ち着かせたほうがいい。ヨンヘルだって明らかに無理をしている。小刻みに震えている足がなによりの証拠だ。

 ひとまず彼の肩をかかえ、俺もバルアマンとの話に入ってやらなければ。そんなお人好しでお気楽な思考のまま手を伸ばそうとしたら、シャルディネがすぐさまその腕を掴んで引き止めてきた。


「な……シャルディネ?」

「だ、だめです。オルディが……この話に入っちゃ、だめです」


 シャルディネが俺を止める理由はすぐに想像できた。揉め事に自ら突っ込んでいくことは、このベルバーグで正常な思考とされていない。それならば俺がいらぬお節介をやこうとする行動は、シャルディネから見れば止めるべき愚行なのかもしれないな。

 しかし、困っているであろう相手はヨンヘルだ。俺が何かを解決できるなんて分からないが、彼が血を流しているのに見て見ぬふりをするなんてできはしない。


「シャルディネ、危険なのは承知だ! だけど、こんなボロボロのヨンヘルを放っておけるわけ……」

「違います!! こ、こ、これは……これは下級種族の戦いです。そ、そ、その戦いに、上級種族オルディが関与することは……ヨンヘルさんの積み上げてきた誇りを、簡単に壊してしまうのと同意なの……です」


 視線をそらしながら自信なく俯くシャルディネに、とても強い違和感を覚える。どうやら俺が想像した理由とは少し状況が違うようだ。

 種族階級が重要視される世界。俺自身はまだその階級差で生じる弊害を体感できていないが、シャルディネの言葉には思わず前に出かけた足が止まってしまう。

 上級種族が下級種族の手助けをする。俺がヨンヘルの揉め事を解決してしまえば、それはヨンヘルが必死に積み上げてきたものを踏みにじる行為となりえるのだろうか。そうであるなら、ヨンヘルが怒りを剥き出しにして俺を睨みつけてきたのにも納得がいく。


(俺の行動には、そんな力があるっていうのか? 圧倒的に俺より優秀であるヨンヘルが積み上げてきた物を、本当に俺なんかの行動1つで簡単に壊せてしまうのか?)


 にわかには理解し難いことだ。この世界では、それほど階級というものに縛られているのだろうか。確かに考えてみれば、現実世界の上司と部下、先輩と後輩などの関係性にも似たようなところがある。

 助けるべきかどうか。俺がそんな自問自答している間も、展開は容赦なく進んでいく。ヨンヘルはバルアマンの目の前に歩み寄ると、声を大きくして強気な姿勢を見せた。


「バルアマン、俺は自分の提示した条件を曲げるつもりはない。あんたとは囚人看守以前に、協同契約をした仲のはずだ。俺が一方的に理不尽な条件を受け入れるのは認められない」


 手を広げて自身の意見を貫こうとするヨンヘルであったが、やはり相手との明確な立場の差が邪魔をする。バルアマンは返答するよりも先に拳を握ると、すでに赤く腫れているヨンヘルの頬を目掛けて右腕を振り抜いた。


「そんなことは分かっているんだよ。だけどなぁ、利益がでねぇんなら契約も見直さなくちゃいけねーと思わないか? 俺とお前は立場が違うんだよ。失う物のねぇ囚人ごときが、俺と同じように利益を得ようってのは可笑しな話だって分からねーか?」


 勢い良く壁にヨンヘルを叩き飛ばすと、理不尽な言葉を続けながら暴行を続けた。顔面を殴ったと思えば、腹部にも容赦のない膝蹴りが突き刺さり、ドスっと鈍い音が聞こえてきそうなほどの勢いに、再びヨンヘルの膝が崩れ落ちてしまう。

 そこで流石の俺も我慢の限界に到達した。シャルディネの腕を無理やり振りほどくと、勢い良くバルアマンの肩を引っ張ってヨンヘルから遠ざけた。正直この後はなにも考えていない。衝動にかられた無意識な愚行だ。


「もうやめろよ!! これ以上は本当にヨンヘルが死んでしまう!! そうなったらいくらお前が看守だからって、総正監様が黙ってないんじゃないのか?!」


 バルアマンは俺の行動に少し驚いていた。そりゃ当たり前か、囚人が強引に看守を突き飛ばしたようなものだ。すぐに殴り飛ばされるかと覚悟したが、意外にも不気味な静寂に房が包まれる。

 少しの間をおいてからバルアマンが鼻で笑うと、目を細めたまま不気味に舌を伸ばして俺に指を差しながら忠告をした。


「オルディ=シュナウザー。お前はルーデウス様のお気に入りだからな、今回のことは不問にしてやる。だが覚えておけよ? ベルバーグにおいて看守は絶対だ。次に嘗めた言葉を発したら、お前を晒し首にしてやるぞ」


 激怒に触れて殴られるどころか、俺から距離をとるようにバルアマンは後退りをする。

 ナターリアに気に入られていることがこんなところでも役に立っているのだろうか。それとも、俺が上級種族だからか?

 その真相は分かりかねないが、相手が奥手なら簡単に引き下がるのは悪手だ。これ以上ヨンヘルとこいつが揉めないためにも、今は反抗的な態度で威嚇するべきと判断した。


「なにが晒し首だ!! 魔力の使えない者を一方的にいたぶって、それの何が楽しい!!」

「しゃっはっはっ。楽しいさ、これ以上ない楽しみだ! 俺はこの優越感がたまらなくて、看守をやっているんだからな」


 副総監だったバーディアの屑っぷりを思い出すぜ。俺が囚人だからかもしれないが、知れば知る程、看守達のほうが外道に見えてくる。立場を利用した弱い者いじめを生き甲斐としている奴が平然と看守をやっているなんて、それこそこの世の終わりじゃないか。


「こいつのせいで興が醒めたな。ヨンヘル、お前との取引はこれまでだ。どうしても考え直してほしいならよ、さっき俺が話した条件を飲むことだ」


 散々暴れて満足したのか、捨て台詞を並べながら、血で汚れた拳をヨンヘルのベッドシートに擦り付ける。そのまま倒れているヨンヘルに向かって唾を吐き飛ばすと、バルアマンは威厳を撒き散らすように大足で房を後にした。

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