第7話 裏取引
「…………ヨンヘル、なにかあったのか?」
「オルディ……起きていたんだね」
ヨンヘルがこれ程までに項垂れている姿を、俺は初めて見る。いつも知的で何事にも余裕を感じさせる冷静さを持っている彼が、追い詰められている時の俺と同じような顔をしていた。
「悪い。盗み聞きをしようと思ったわけじゃないが、さっきのやりとりが耳に入ってな。今のは……看守だよな? 俺はヨンヘルがそんな思い詰めているのを初めて見た。もし良かったら、何があったのか聞かせてくれないか?」
看守とヨンヘルが揉めている最中は、ばつが悪くて起き上がることができなかった。だがヨンヘルのこんな姿を見れば、同じ房の仲間として放っておくわけにはいかない。
ベッドに寝そべっていた体を起こすと、軽く背を伸ばしてふぅっと1つ呼吸を整える。ヨンヘルのことを知る良いきっかけになりそうだ。彼が俺を相談役に選んでくれるなら、全力で答えるべきである。
「…………聞かないほうが、君のためだよ」
少しだけ悩む素振りを見せたが、ヨンヘルは口を閉じて再び床を見下ろした。ミルクやルーリエにすら話したことのない謎の仕事。俺のためにならないということは、何かヤバイ事情がある仕事なのだろう。だが、それでも項垂れるヨンヘルを放っておくことなんてできなかった。
「なにを他人行儀になっているんだよ。確かに俺達の関係はまだまだ日が浅い。だけど、ヨンヘルは俺が刑罰から帰ってきた時、笑顔でおかえりと迎え入れてくれた。少なからず、そこには俺のことを仲間と認める感情があったはずだろ? 勝手な話かもしれないが、俺はヨンヘルを仲間だと感じることができた。心配しなくても、相談にのったくらいでヨンヘルみたいにゼルを請求したりしないさ」
少し冗談を交えてヨンヘルに語りかけてみる。なにかの恩を作りたいわけじゃない。むしろ俺が収監されてすぐ、ヨンヘルが刑務作業を紹介してくれなかったら、俺の精神はすでに尽きていたかもしれない。
そういう意味では彼のほうが遥かに恩人だ。頼れる友人のような存在。ヨンヘルは俺にとってそんな存在になり始めていた。だったら、彼が困っている時に手を差しのべることは必然である。そこに利益不利益なんて感情はない。
ヨンヘルは少し驚いた顔をしていた。20年以上の間、彼はベルバーグで人生を過ごしている。それ以前になにをしていたか知らないし、ベルバーグでどんな人と交流を持ち、どんな環境でこれまで生き抜いてきたか知るはずもない。
だがその反応を見るに、俺のようなタイプは少なかったのだろうな。ここが極悪人の巣窟だというのに、他者へ友人のような軽いノリができるのは、俺が今まで平和で平凡な世界で生きてきたからだ。
インターネットで見ず知らず、顔すら知らない人々とくだらない文字のやりとりをする。ニートで引きこもっていても、人との絡みを作ること事態は容易いのだ。そんな現代っ子特有の生活環境は、案外こういったところで力を発揮していた。
「……驚いたね。オルディはお人好しだと思っていたけど、ここまできたら笑えるようなお馬鹿さんだ。ベルバーグにいるのに、わざわざ面倒事に顔を突っ込むのは君くらいなものさ。だけど…………今はそんな君に、甘えさせてもらってもいいかな」
きっと彼も怒りの捌け口を探していたのだろう。俯いたまま少し笑いを溢すと、顔を上げて俺に視線を向ける。1度だけ深いタメ息を吐くと、事の流れを説明し始めた。
「俺の仕事相手は、
前にミルクから聞いていたが、ヨンヘルは看守と取引をしてゼルを稼いでいるようだ。普段一緒にいる時、彼が何か物品を仕入れている場面は見たことがない。そもそも看守との取引を成立させる物。監獄内で手に入るようなレベルの物では、そんな取引をすることは難しいだろう。
「ヨンヘルはいったい何を取引しているんだ? 俺は君が取引に使えるような物を仕入れている姿なんて、今まで1度も見たことがない」
率直に思うことを聞いてみた。というより、気になるってのが本音だな。普段から疑問だったんだ。外との連絡をとる方法なんて聞いたことがない。なのに、ヨンヘルや露店を開いている囚人がどうやって物を仕入れているのか。
「あぁ、オルディが気になるのもしかたないね。囚人が取引や商売に使う物を仕入れる方法は、囚人によって様々さ。噂ではあるが、外の世界へ直接買いつけに行っている奴もいるらしい。そして、俺の場合は魔法を使うことによってそれを可能にしているのさ」
魔法を使って? 確かヨンヘルは魔力さえ使えれば、自由に物を作り出すことができると話していたな。
といっても、俺のように足輪を自在に外せるわけではないだろう。もしもそんな方法を知っているなら、流石に魔法を使えるなんてことを堂々と言うはずがない。ヨンヘルが自慢したがりな性格なら分かるが、どう考えてもそんな要素は1ミリもありはしない。
「意外だね。俺が魔法を使うことを、それほど気になっていないと見える」
「まぁな。看守が取引に絡んでいるってことは、特別に足輪を外してもらっている。そう捉えたが、違うか?」
ヨンヘルは納得するように小さく頷くと、「物分かりが良くて助かるよ」っと続けた。
魔法を使うと聞けば、ここの囚人ならどうやって使うのか方法を気になるのは当然か。俺が冷静に分析しているのが異端なのだな。
そのあたりは無意識だった。俺からすれば、足輪は自分のタイミングで外すことができるし、ナターリアから使用許可まで貰っている。改めてそれを考えると、とんでもない高待遇だ。
「ヨンヘルは魔力が使えれば様々な物を作り出せるんだったな。何を取引に使っているんだ?」
ヨンヘルはポケットから小さな錠剤を取り出すと、そのまま俺の手の平に乗せた。見た目は鎮痛剤のような白いタブレットである。
「これが俺の取引商品だよ。簡単にいえば薬さ。
「へぇ~、こんな薬が。ちなみに、どれくらい売上てるんだ?」
「そうだね。売上から差し引いた俺の取り分が、平均で1日10000ゼルくらいかな」
(────?! いっ、10000ゼルだって?! 刑務作業と比べたら、天と地どころの差額じゃないぞ!!)
あまりの高額に俺が口を開けて固まっていると、ヨンヘルは苦笑いをしながら人差し指でこめかみを掻いていた。
「めちゃくちゃ儲けてるじゃないか! それだけ稼げてるなら、多少売上が減っても余裕で豪遊できるだろ? というか、ヨンヘル普段から豪遊したりしないし、これ以上に儲けてどうするんだよ!」
「…………まぁ、ね」
ヨンヘルは何故か困ったように目を逸らして返答した。その反応に一瞬疑問が過る。
彼のゼルに対しての執着心は尊敬するレベルだ。ちょっとしたことでも対価に見合ったゼルを要求する。その相手が看守だろうが、ナターリアだろうがそこを遠慮することはない。
それなのに、ヨンヘルはそのゼルを大っぴらに使うことはしない。食事も常に最低限のグレードアップ。それだけ稼いでいれば好きな服だって買えそうだが、着ているのは普通の囚人服。日常生活で使う物も必要最低限の物しか買わない。金持ちはケチだとよく言うが、彼もまた同じ部類なのだろう。
それにしても、医薬品なら物によっては高額な取引も理解できる。こっそりと持って帰ることができるなら、何かあった時のために俺の薬も用意してもらいたい。ヨンヘルの性格を考えるなら、ゼルさえ払えばそれくらいならやってくれそうである。
いったい何に効く薬なのだろうか。そんな興味本位で手渡された錠剤を右手に持つと、【理解】と思念して何の薬か調べてみた。
(────なっ?! これは!?)
どんな状況でも、知らないほうがお互いのためになる真実は存在する。知らなくて良いことまで知ってしまうのは、時に大きな亀裂を作り出すのだ。
そして俺は、理解力によって行き過ぎた知識を得てしまう。
『聞かないほうが君のためだよ』
ヨンヘルはちゃんと警告をしていた。いま思えば、それは彼からの優しさだったのかもしれない。
『理解しました。名称【エレリラ】。世界危険薬物として登録されている、エルス樹の木粉とヒーヅレッドの花粉を特殊な比率で配合させ固めた、極めて中毒性の高い薬物。1錠でも飲むと、脳内に快楽毒素を充満させ続け、使用者の知能を著しく狂わせる。その毒素に犯された者は幻覚に脳を支配され、薬の効果が切れると同時に全身を激しい痛みが襲う。その副作用から逃れるため、死ぬまでエレリラを求め続けるようになることから、別名【飼殺しの魔薬】と呼ばれている』
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