第8話 亀裂

 息を吐くように自然と聞かされた嘘。俺だって理解力がなければ、ヨンヘルの言葉を完全に信じていた。


(これは薬なんかじゃない。現実世界でいうとこの、覚醒剤や麻薬と同じだ。極めて高い中毒性。1度使えば、使用者の体を確実に喰い散らかす悪魔の産物)


 軽い気持ちでエレリラを持っていた右手が震えそうだ。理解力の説明文を読むかぎり、この薬物はかなり重度の中毒性と酷い副作用がある。【飼殺しの魔薬】という物騒な呼び名がその証拠。これは確実に人を死へと誘う危険物質だ。


「……どうしたんだいオルディ? それは商売用だから、君にあげたりしないよ?」


 気さくに笑うヨンヘル。その顔が爽やかであるほど、俺には狂って見えてしまう。彼は俺がこの薬物の正体を知っているといった可能性を考えないのだろうか。

 背筋を襲う静かな緊張感に、自然と体が生唾を飲み込む。素直にエレリラの正体を知っていると告げれば良いだけなのだが、頭では真逆のことを考えていた。悪いものを見て見ぬふりをする人間の防衛本能。関われば絶対にろくなことが起きない。

 自分から相談役を名乗り出たが、分かりきった災難にわざわざ足を踏み入れることは正義と違う。それに何の事情も知らない俺が、「こんな物を取り扱うのはおかしい」と偽善を語れば、それはヨンヘルにとって悪になるだろう。


「あ、あぁ……分かっているよ。別に薬なんて、い、今は必要ない。風邪でもひいた時に、お願いするさ」


 少し違和感を与えてしまっただろうか。緊張のせいもあってか、いつものように口がまわらない。ぎこちなく言葉を噛み、頬がピクピクと震えるような感覚。こんな時は周りからの目も疑心暗鬼してしまう。普通に目と目が合っているだけなのに、ヨンヘルの視線が何倍も鋭く感じたのだ。


 持っていたエレリラを素早くヨンヘルに返したが、彼は無言だ。何故なにも喋らないのか。やはり俺の態度が怪しかった? 相手はヨンヘル。彼は勘が鋭く、思考回路も俺なんかより数倍は卓越されている。このちょっとしたやりとりに不信感を抱いてもおかしくない。


「そ、それより。どうして売上が落ちたのか、理由はなんとなく分かっているのか?」


 このままではすぐにボロが出てしまう。咄嗟に話題を元の方向性に戻すことで、なんとか彼の意識をずらそうと試みた。

 しかし、そんな俺の心理を悟るようにヨンヘルは瞼を閉じる。そのまま細い眼鏡の中心をクッと指で上げると、軽くタメ息を吐いてゆっくりと目を開いた。


「…………オルディ。俺はね、馬鹿じゃない。驚いたよ。君のその態度を見るに、これが何か分かっているようだ」


 やはり彼の思考と勘は一級品だ。確かに俺がうまく誤魔化せたとは思えないが、すぐにその答えにたどり着くとは。

 ヨンヘルの考察に思わず無言になってしまう。そんな俺の態度は、彼の疑惑を確信に変えてしまったようだ。


「なんで知っているのかな? 俺は嘘を貫けると確信していた。何故なら、エレリラは俺が数ヶ月前に独自で作り上げた薬物だ。オルディは約1年前から、リングベル城に死刑囚として収監されていたはず。エレリラの存在を知っているなんて、絶対にありえない」


 彼との探り合いがこんなにも恐ろしいとは。尋問のように容赦なく質問をされる。そのうえ、下手な言い訳ができないように、ヨンヘルなりのしっかりとした考察をのせてくるのだ。

 俺はそもそも異世界転生する以前、この体が何をしていたかなんて知らない。驚く話だが、死刑囚として収監されていた期間が1年ほどというのも初めて知ったよ。自分以上に周囲が自分のことを知っているといった違和感に、酷くもどかしい気持ちになってしまう。


「ベルバーグに入ってから噂を聞いたんだよ。新しい薬物がどこかから出回っているって」


 こんなありきたりなデマカセが通用するはずないだろう。最後の悪あがきである。


「やめてくれよ、何度も同じことを言いたくないんだ。ベルバーグに入って間もないオルディに、そんな噂が届くほど甘い管理をしていない。君は魔力も使えない状況で竜族ドラゴニックを倒し、生存不可能とされていた暴食の刑からも難なく生き延びた。ルーリエとミルクがどう感じているかは知らないが、俺はオルディが普通の人族ヒューマンではないと確信している。いや、今回の反応で確信に変わったが正しいね」


 ヨンヘルの洞察力は他者よりも1枚上手かと思っていたが、1枚どころの話ではないようだな。

 俺がなんとか乗り越えてきたイベント。乗り越える度に舞い上がっていたし、ミルクやルーリエは凄いと単調に誉めてくれた。ヨンヘルだって表面はそうだった。だが彼にとって俺が残した結果は、都合の良すぎる異常事態だったんだ。


「オルディ……君には、いったい何が見えているんだい?」


 刺すような視線が俺を硬直させる。転生恩恵の存在を話してしまうか? きっとヨンヘルなら、この力を私欲のために使ったりしない。


(使ったりしない……? なぜそう思える? 彼は囚人。さらには、監獄内で薬物を作り出し、それを密売することで私欲を満たす極悪人だ)


 数時間前に確認できた仲間意識。早くもその心に亀裂が入った瞬間だ。俺は、心のどこかで彼をさげすんでいる。自分だってこの世界では極悪人なくせに、彼だけを悪役に仕立てようとしているのだ。

 無意識にそんな思考をしてしまった自分に苛立ちを覚えながら、それでもどこか楽観視している部分がある。言い訳が面倒だからといって転生恩恵を教えてしまえば、ヨンヘルと俺の関係性は転生恩恵ありきのもので固定される。真の友情なんてものを求めているわけじゃないが、利用価値のあるとして見られるのは俺の安いプライドが許さない。


「……すまない。俺も記憶がなくて正確な答えをだせれないんだ」


 苦し紛れの言い分だが、ある意味最強の反論だ。都合良く記憶喪失のせいにしてしまえば、これ以上の追及はできない。だがその甘い選択は、ヨンヘルの心に泥を塗った。


「全てを話してくれるとは思っていないが……記憶がないか。なんとも使い勝手の良い言葉だね。君は本当に記憶喪失なのかい? 俺には君の行動とその結果が、全て異常に見えてしまうよ」


 なにかヨンヘルの役にたてれば。そんな仲間意識から相談にのったが、逆に大きな溝を作る結果になってしまった。

 結局なんで看守と揉めていたのか。なぜそこまでしてゼルを集めるのか。肝心の部分は何も聞けないまま、ヨンヘルは俺から視線を外す。少し呆れた顔でベッドに転がると、俺に背を向けるように寝返りをした。


 お互いにそこから会話をふることはなかった。無言のまま時が過ぎると、しばらくしてミルクとルーリエが房に帰ってくる。


「たっだいまぁ~! ふっふっふぅ~ん、ふふぅ~ん。楽しぃ~楽しぃ~おっかいものぉ~」


 ミルクは露店で新しいシャンプーを見つけたようで、いつになくご機嫌である。我関せずといった調子で、鼻歌を口ずさみながらシャワースペースのセッティングを始めた。

 ルーリエは房の空気が冷めていることを察したのか、こそこそっと俺の隣にきて「どうしたの?」っと気を使ってくれた。そんなルーリエの助け船があったのに、俺のプライドは無謀にも大海原を1人で泳ぐ決断をする。無作法に「なんでもないよ」っと返事をすると、ルーリエは少し不満そうに口を曲げて自分のベッドに戻っていった。


 その後は誰と会話をすることもなく、気づけば夕食の時間となった。ゼルが安定していることもあって、最近は50ゼルの弁当を主体で食べている。

 普段は刑務作業の疲れもあってか、毎日の夕食には特に幸せを感じることが多かった。だが不思議なものである。今はその幸福感を全く感じることはない。

 心が不安定な時に食べる食事は、これほどまでに味気ないのか。確かに今日は刑務作業をしておらず、体に疲労はない。当たり前になりつつある安定した食事に幸福感が薄まるのは仕方ないが、それが原因でないことは理解できていた。


「……ごちそうさま」


 食事を終えた後も、俺とヨンヘルに会話はなかった。それどころか、目を合わせることすらしない。そんな空気に、流石のミルクも心配そうにこちらを見つめてくる。

 俺自身、今さらどう行動するのが正解か分からないんだ。今日はもう布団にくるまって寝てしまいたい。そんな気持ちが強くなっていた時、房の雰囲気を劇的に変化させる出来事が起きた。


「ヨンヘル、オルディ、ミルク、ルーリエ、待たせたのう。こやつが新しい同居者じゃ」


 突然ナターリアが房を訪れてきた。ヨンヘルの件があって忘れかけていたが、今日は新しい同居者が増えるのであった。

 誰が来たのか興味津々で視線を向けると、ナターリアの後ろには、恥ずかしそうにモジモジと足を擦り合わせるシャルディネが立っていた。

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