第9話 小さな恋敵

「紹介するまでもないがのう。今日から同居者となる、蜘蛛族スパイディーのシャルディネじゃ。オルディ、ルーリエ、貴様らはシャルディネの事情を理解しておるな?」


 ナターリアが一方的に話を進めると、シャルディネは申し訳なさそうに顔を下げたまま房に入ってきた。

 彼女とはジャージェ達との決闘以来だ。シャルディネは同部屋であった竜族ドラゴニックからの迫害を受け、一部の看守からもその横暴を見て見ぬふりをされる。そんな絶望に何年も1人涙を流していた。


「ご……ごめんなさい……ごめんなさい」


 その代償が、この悲しい口癖である。背中から生えている8本の足を手元に寄せ、器用に擦り合わせながら不器用に呟く。そんな姿は、決闘の時となんら変わることはなかった。当然だろう。ジャージェとバルカスが死んだとはいえ、彼女が受けてきた悲痛がすぐに消えるはずもない。

 そんなシャルディネに向かい、ルーリエは我先にと立ち上がる。そのまま右手を差し出すと、優しい笑みを作って彼女を受け入れた。


「シャルディネ……久しぶりね。まさか同居者があなただったなんて思ってもいなかったわ。これから宜しく」


 ルーリエから差し出された手を、シャルディネは恐る恐る受け入れる。怯えながら手を握り返す姿は決して見映えの良いものではなかった。だが彼女の性格や境遇を考えるなら、その行為は勇気ある一歩だ。

 しかし、そんな勇気を簡単にへし折る女性が1人。


「あっ、ウチもウチも! シャルちゃん、これから宜しくね! ルーちゃんとオルディと決闘したんだよねぇ? どうだった? 2人は強かったぁ? シャルちゃんはどうやって生き延びたの? その背中の足って、服どうなってるのぉ? 教えて教えてぇ!」

「……えっ、あっ……ご、ごめんな、さい」


 シャルディネとルーリエが話始めたのをきっかけに、ミルクも元気良くシャルディネの元へ駆けつけたのだ。

 俺が房に初めて入った時と同じマシンガントークである。決してミルク本人に悪気はない。だがそんなポジティブは、シャルディネとの相性が最悪であった。彼女はミルクの勢いに負け、その場にしゃがみこんで再び「ごめんなさい」と呟き始めてしまった。


「ミルク、シャルディネはあなたみたいに陽気じゃないのよ。何でもヅカヅカと質問するんじゃないの」


 ミルクとシャルディネの間にルーリエが割って入ると、シャルディネは安心したように深呼吸をする。ゆっくりと震え足で立ち上がると、ミルクに向かって軽く頭を下げながら挨拶をした。


「シャ、シャルディネ……です。よ、宜しく、お願いします」


 ルーリエが割って入った瞬間は不機嫌そうに頬を膨らませたが、その一言でミルクは嬉しそうに目を輝かせた。ニコニコと愛くるしい笑顔を見せると、小さく跳ねながら「よろしくねぇ!」と強引に握手を交わす。シャルディネは終始困っていたが、ミルクの笑顔に心が休まったようだ。顔を少し赤くして小さな笑みを返した。


「大丈夫そうじゃのう。我輩はもう行くぞ」


 シャルディネが房に馴染み始めたのを確認すると、ナターリアは振り返ってこの場を後にしようとする。その背中に向かってシャルディネが頭を下げると、軽く手を上げながら無言で去っていった。

 それと同時にヨンヘルも立ち上がると、俺には一切目を向けることなく、シャルディネの前まで足を運ぶ。軽く挨拶と握手を交わすと、再びベッドに横たわって本を読み始めた。いつになく無愛想なのは、俺とのやりとりで機嫌が悪いからだろう。


「あ……あの、オルディ様。よ、宜しくお願いします」


 結果的に順番が最後となったが、シャルディネは俺の前に立つと、モジモジと足を擦り合わせながら握手を求めてきた。相変わらず目が前髪で隠れているため、その表情は正確に分からない。だが他のメンバーに比べると、俺に対しては少しだけ積極的に感じた。

 ただ1つ、それ以上に気がかりなことがある。握手はかまわないが、なぜ俺だけ様とついているのか。いや、思い返せば様とつけられたのは初めてではない。


「宜しく、シャルディネ。あのさ……決闘の後にも言ったと思うんだけど、俺は決してシャルディネに恩を作るためにバーディアへ歯向かったわけじゃない。同居者になるんだしさ、様はやめてくれよ」

「えっ……あっ……ご、ごめんなさい! あ、えっ……と、オル……ディ……よろ、しく」


 思いの外、シャルディネは俺の要望を素直に受け入れてくれた。しかし同時に、先程よりも顔を赤くして俺から咄嗟に視線を逸らす。なんというか、初恋相手に緊張する中学生のような態度であるが、それは俺の思い上がりだろうか。そんな馬鹿げた思考を広げていると、ミルクもすかさずその態度に突っ込みをいれる。


「あれ? あれれぇ? もしかして、シャルちゃんはオルディのことが好きなのかなぁ~? ダメぇだよぉ~? オルディのことはねぇ、ルーちゃんが狙ってるんだからぁ~」


 とんでもないカミングアウトに、俺とルーリエが同時に吹き出した。思わずそのままルーリエと目を合わせるが、彼女はプルプルと震えながら「何見てるのよ! このボロ雑巾!」っとかつてない悪態を返してくる。そんな姿も可憐だと感じる俺は、生粋のドMなのだろうか。


「まぁまぁ、ルーリエが俺に惚れるのは仕方ないさ。決闘で格好いいとこ見せちまったからな。素直になれよ、ルーリ……」

「死ね!!」


 流石に調子にノリ過ぎたようだ。俺が喋り終わる前に、強烈な右フックが顔面に飛んできた。左頬が陥没していないだろうか。一瞬でベッドに叩きつけられると、あまりの激痛に軽く意識を失いかけてしまった。

 こればかりは俺が悪かったな。ルーリエは可愛らしく頬を火照らしているが、その目は若干朱色に染まり、決闘の時と同じ殺気を放っている。彼女が超人的な実力者であることをすっかりと忘れていた。


 しかし、俺の意識が本当に飛びそうになったのはこの後である。殺伐としたルーリエの覇気をバッサリと切る発言が、シャルディネから溢れたのだ。


「わ、私は、決闘の時に助けてくれたルーリエが大好きです。で、でも、オルディのことはもっと好きです。あ、あなたの戦っていた後ろ姿が、私の心から離れないの、です」


 この場の全員が一瞬固まった。

 シャルディネはハッと我に返ると、茹で蛸のように赤く染まる頬を両手で必死に隠す。しかし、その時に前髪の隙間から見えた瞳は、驚くほど自信に満ちた綺麗な青色に染まっていた。


「シャルちゃん、愛の告白! やるじゃーん! ウチ、なんかシャルちゃんのこと一気に好きになっちゃった! ルーちゃんの応援やめてぇ、シャルちゃんの応援しよっかなぁ?」


 真っ先に騒ぎ出したのはミルクである。部屋中を激しく飛び跳ねると、勢い良くシャルディネに抱きついて頬っぺたを擦り合わせた。シャルディネも吹っ切れてきたのか、入ってきた時とは別人のような明るい笑顔でミルクと笑い合う。

 今思い出せば、決闘の時に絶妙なタイミングでルーリエの足を止めたこともそうだ。その小さな体には、案外誰よりも大きな決断力が詰まっているのかもしれない。


 俺としては決して悪い気はしないさ。恋愛ができるような環境ではないが、可愛らしい女性に好意を抱かれて嫌な気になるはずがない。ルーリエがこれによってどう思うか。ちょっとした嫉妬心でも生まれてくれたら嬉しいものだが、と軽い期待に胸を踊らせる。

 自然と溢れてしまうニヤケ顔でルーリエに目を向けると、一瞬で俺の背筋は凍りついた。


「…………はぁ? なに笑ってるの? 気持ち悪いんだけど」


 さっきの数倍は鋭い目つきで俺を見下すルーリエの瞳。剣こそ持っていないが、自然と右手が左腰元に添えられている。まさにその構えは、バルカスの首を落とした『簪落かんざしおとシ』と同じものであった。


「か、勘弁してくださいよ……ルーリエさん」


 そんなやりとりをしていると、微かな笑い声が聞こえてきた。その笑いを溢しているのは、ミルクでもシャルディネでもない。意外にも、1人ベッドで本を読んでいたヨンヘルであった。


「まったく、君は本当に面白いね。君の行動を見ていると、不機嫌になっているのも馬鹿馬鹿しくなってくるよ」

「……ヨンヘル」


 本を閉じて立ち上がると、持っていた本の背表紙を俺の額に軽く当てる。ヨンヘルが何を考えているのか分からないが、きっとそれは彼も同じ気持ちだろう。


「オルディには聞きたいことが山ほどあるけど、俺の態度が大人げなかったのも問題だったね。すまなかった」

「いや、俺も悪かったよ。すまない」


 ひょんなことがきっかけで、ヨンヘルとの仲を取り戻すことができた。ミルクとルーリエも、やれやれといった顔で微笑んでくれている。俺自身も、ヨンヘルと揉めて得することはないし、彼が仲直りのきっかけを作ってくれたことに感謝する。


 ──だがこの時の俺は全く予想もしていなかった。

 本当の意味でヨンヘルと揉めるのは、この後であったことを。

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