第29話 ご褒美

 上半身が消滅した竜はゆっくりと崩れ落ちた。

 切断したというよりは、空間ごともぎ取られたような断面から血流が暴れ出る。闘技場には赤い池が広がり、残された下半身は自らの血に沈む。

 ナターリアから放たれた戦慄のひと振りは、そのまま決闘を終らせる音色となった。


 しかし、状況は最悪だ。バーディアの驚異はなくなったものの、今の俺は足輪が外れている。絶対に外せず、絶対に壊せない呪魔の足枷。それを外した姿を、ナターリアは朱色の瞳で睨みつけてきた。


「貴様、なぜ呪魔の足枷が外れておる?」


 さぁ困った。突然過ぎて言い訳を何も思いついていない。ナターリアの真意を見抜くような眼差し。下手な嘘は通じないだろう。かといって、転生恩恵のことを話せば、俺はただではすまないはずだ。足輪を外せる危険分子と判断されれば、監獄での自由など一切望めない。それこそ、死ぬまで永遠と牢に張りつけられてもおかしくはない。


「傷も回復しておるようじゃな。回復魔法か? 珍しい魔法を使えるやつじゃ。だがのう、返答によっては治った傷ごと貴様の核を切り刻んでやるぞ」


 焦げた右手もそうだが、バーディアに吹き飛ばされた時に負った傷もいつの間にかほとんど治っていた。思い返せば、ジャージェに吹き飛ばされた時の痛みも無くなっている。

 ナターリアは魔法で傷を治したと思っているようだが、俺はそんな魔法を使った覚えはない。そもそも、足輪がついている状態でも回復効果を体感している。

 俺が回復していることを魔法と勘違いしているってことは、竜族ドラゴニックの極炎や、蜘蛛族スパイディーの糸といった個体能力とは違う。魔力を使わない特殊能力。それこそ転生恩恵しか俺には思いつかなかった。


「あの……これは、その」


 ……ヤバイぞ、言い訳が見つからない。ナターリアはいつまでも待ってくれない。心なしか、先ほどよりも剣を握る力が強まっているように見える。このまま俺は切り殺されてしまうのだろうか。

 言い訳を考えることよりも、迫る死への恐怖が強くなる。そんな時、俺の前にルーリエが割り込んだ。


「これは……副総監がやりました。ジャージェ達に勝った私達が気に入らず、オルディに決闘を申し込んできたのです。相手は副総監、私達は勿論断りました。ですが副総監が無理やり足輪を外すと、オルディを煽って魔力を使わせようとしたのです」


 咄嗟に言葉を返したのはルーリエであった。なんという判断力か。この返しならば筋が通っている。竜族ドラゴニックから邪険に思われている俺だからこそ、納得できる言い訳だ。


「ふん。詳しく聞いたところで、信用できる要素はないのう。まぁ良い、決闘はこれで終わりじゃ。状況がどうとあれ、貴様は看守に手をだした。オルディ、貴様には後日正式に罰則を与える。覚悟しておくのじゃ」


 俺だけに罰則かよ。まぁ、ひとまずナターリアが納得してくれたので良いか。どんな罰を受けることになるのか、今はそんなことどうでも良かった。

 ナターリアが再び俺に足輪をはめると、蔑むような目でバーディアの遺体を見つめる。シャルディネの件といい、看守にも複雑な内部事情があり、派閥のようなものもあるのだろう。俺にはナターリアがバーディアのように規律を軽んじる人物には見えなかった。


「あ、あの。副総監の遺体はどうなさるのですか?」

「そんなことは貴様が考えることではない。こやつは我輩がどうにかしておこう。ジャージェ達との決闘は貴様らの勝ち。暴走したバーディアは、我輩が処罰した。その事実だけ理解しておれば十分じゃ」


 気持ちが落ち着いたのか、ナターリアは剣を鞘に納めると、瞳の色を元の綺麗な碧色に戻す。そのままシャルディネの元まで歩み寄り視線を合わせるように腰を落とすと、服を捲って背中の傷を確認した。


「シャルディネ。我輩の管理不足で、辛い思いをさせてしまった。言葉で謝罪して済む話ではないが、それでも言わせてほしい」


 ジャージェ達の横暴をどこかで聞いていたのか。何故か、ナターリアはシャルディネに起きていた悲劇を理解しているようだ。シャルディネに向かって深く頭を下げると、そのまま「すまなかった」と謝罪した。


「や、やめてください総正監様。わ、わたしはただの囚人です。あなた様が、わ、わたしのような者に頭を下げる必要なんて」


 謝られたシャルディネ本人が1番困っていた。今回の件、どうみてもナターリアは関与していない。それなのに総正監から頭を下げられたら、どう返していいか困るのも当然だ。


「お主には何か特別な待遇を用意しよう。何を望むか考えておくが良い」


 シャルディネの体を軽く抱き寄せると、その瞳にはうっすら涙が浮かぶ。本当に彼女は不思議な人だ。先程までのような鬼神の如く荒々しい力と獰猛どうもうさを見せたと思えば、慈母の女神のような深い愛で、傷ついた相手を包み込む。

 これまでに、数々の修羅場や凄惨な場面を乗り越えてきたのだろう。【剣帝】と呼ばれるに相応しい風格が、俺にでもしっかりと感じとることができた。


「さて、そろそろ解散じゃ。お主らには特別に今から入浴を許可する。血生臭くなった体を洗い流してくるがよい」


 ナターリアが解散するように促すと、俺とシャルディネは正門に向けて歩きだす。しかし、ルーリエだけはその場に立ち止まり、真剣な眼差しでナターリアをじっと見つめていた。


「……ルーリエ?」

「オルディ、すぐに追いつくから先に行ってて。私は少しだけ総監様と話があるの」


 何をするつもりなのか。俺は少し嫌な予感が過ったが、ナターリアはルーリエの行動を予測済みだったみたいだ。特に驚く様子もなく、その行動を受け入れる。むしろ俺とシャルディネを邪魔者扱いするように、手を振って早く帰るように合図した。


 正門を出た所でルーリエを待っていると、本当に俺達とそう変わらない時間差で彼女は現れた。何を話ていたのか分からないが、さっきまで握っていた刀がなくなっている。


「本当に早かったな。刀はどうしたんだ? 流石に取り上げられたのか?」

「いえ、返したのよ」


 言葉のあやだろうか。ルーリエの言い方だと、ナターリアが剣を投げ入れてルーリエを助けたことになる。


「返した? 返したって言うと、総監が決闘の最中に投げ入れたってことになるぞ?」

「だからそう言ってるじゃない。あの刀はあの人が投げ入れたのよ」


 何故そのような行為をナターリアが行ったのか、俺には意味が分からなかった。彼女は規律に厳しいと思っていたが、その行為は規律に反するものではないのか。確かに看守が助太刀行為をしてはいけないと聞いていない。そもそも、そんなことが起きるなんて考えてもいなかった。

 そういえば、決闘が決まった時もルーリエはナターリアの思考を読んでいた。同じ妖精族エルフィであり、髪の色こそ違えど、その見た目はとても似ている。もしかすると、ルーリエとナターリアは血縁に何か関係があるのでは。そんな答えに俺はたどり着いた。


「ルーリエと総正監は同じ妖精族エルフィだよな。過去に何かあったのか?」


 ルーリエが教えてくれるとは思っていないが、駄目元で話を聞いてみる。即答で拒絶されると思ったが、彼女は少しだけ考える素振りを見せた。


「…………まぁね。気が向いたら……教えてあげるわ」


 どうしてだろう。ルーリエは、少し遠くを見つめて悲しそうな目をしていた。【剣聖】と【剣帝】のこともある。もしかしたら、ナターリアとは師弟関係だったのだろうか。色々な憶測が思いつくが、今はまだ正解を貰えないようだ。


「それより。よくバーディアに向かっていけたわね」


 ルーリエは話を逸らすように、自然と話題を切り替える。バーディアに立ち向かえたのは、正直自分でも驚いているよ。ただ、あの時はどうしようもない怒りに支配されていただけだった。


「あ、あ、あの。オルディ……様。あ、ありがとうございました」


 バーディアの話題になると、さっきまで無言で歩いていたシャルディネが話に入ってくる。彼女は頭を深く下げると、小さく肩を震わせていた。


「やめてくれよ。様なんて呼ばれるほどのことをしてないさ。どっちにしろバーディアは俺を殺したかったみたいだし、シャルディネのために頑張ったわけじゃないよ」


 何も彼女に恩を作りたかったわけじゃない。俺は、自分の感情のままに動いただけである。


「でも……さっきのあなたは、少し格好よかったわよ」

「……えっ?」


 ずっと俺に対して冷たかったルーリエが、初めて誉めてくれた。その表情は、いつも見せる蔑むような顔ではなく、満開の花畑も霞むような美しい笑顔である。


 その何でもない笑顔は、決闘を生き延びた俺にとって最高のご褒美であった。


「な、なによ! 私がこんなこと言ったらおかしい?!」

「……いや。ルーリエの笑顔が、あまりにも美しくて」

「き、気持ち悪いのよ。…………ばぁか」


 この時の俺は見惚れすぎて気づいていなかった。恥ずかしそうに下を向いて呟いたルーリエの頬が、体温によって赤く火照っていたことに。

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