第28話 竜を越える者

「俺が……人族ヒューマンごときに、この力を使うことになるとはな」


 突如巨大化したバーディアの姿は、おとぎ話などに出てきそうな竜そのものであった。神々しく輝く銀の鱗。巻き上がる土煙を簡単に吹き飛ばす巨大な翼。長い尾を振り回して辺りの瓦礫を吹き飛ばすと、上顎と下顎から突き出した鋭い牙をガチガチと噛み合わせる。

 空に向かって耳をつんざく咆哮をあげると、巨体の内からはおぞましい量の魔力が吹き上がり、闘技場全体がビリビリと痺れるような緊迫感に包まれた。


「ジャージェやバルカスのような下級とは違い、上級の竜族ドラゴニックは形態変化を使うことができる。この力はいささか疲れるのでな、あまり使いたくはなかった。しかし、貴様が先程見せた魔力は並みではない。俺は人族ヒューマンこそ蔑んではいるが、強者と弱者の見極めができぬほど自惚れてはおらん」


 俺の半端な攻撃が、竜に眠る真の力を呼び覚ましてしまった。完全な竜化をしたバーディアは、さっきまで対峙していた時とはまるで別次元である。それはまさに血肉に飢えた怪物。目と目が合うと、そこから感じる邪気に体が自然と身震いを起こす。


(こ……こんな奴に、勝てるわけねぇ……だろ)


 俺が恐怖を感じていることを察したのだろう。バーディアが口をニヤリと緩ませると、右前足を大きく振りかぶり、俺の体を吹き飛ばす勢いで凪払う。

 そのあまりの鋭さに、超反応と超加速を付与した俺でも躱しきれないと直感した。致命傷を避けなければ、確実に殺される。防衛本能が咄嗟に剣を盾のように構えると、無意識に力をいれて衝撃に備えた。


(──?!)


 しかし、無慈悲な一撃は俺を軽々と闘技場の壁に叩きつけた。魔法で筋力と耐久値も超強化していたはずなのに、その一撃は軽くそれを上回ったのだ。

 叩きつけられた時に頭が切れたのか、額から流れ落ちる血液が目に入り、視界は赤く染まり始める。力の入らない体は、そのまま地面に吸い寄せられるようにドサリと倒れると、辛うじて保っていた意識が途切れようとしていた。


 体力が急激に低下したことにより、魔力も一気に弱くなる。滾っていた魔力を感じられなくなると、体に付与していたバフ効果は消え、創成魔法で作り出した剣も光となって消滅した。


「人間とは脆いものだな。どれほどの強者でも、それを上回る強者にとっては無に等しい。貴様の強さも、俺の前では無に変わるのだよ。貴様の命など、無意味に等しいのだ!」


 倒れる俺に、バーディアはとどめを刺しにかかる。

 離れた距離で口を大きく開くと、大きく息を吸い込み標準を定める。口の内部で灼熱の極炎を凝縮させると、直径数メートルはある巨大な火球を生成した。


「消え失せろ!」


 完成した火球を躊躇うことなく放つと、凄まじい速度で迫る獄炎が俺に死を告げる。跡形もなくこの世から消える。そんな絶望に飲み込まれる寸前、1つの影がそれに割り込んだ。


「──炎蛍ほたる──乱咲みだれさくラ」


 巨大な火球は目の前でバラバラに切り裂かれ、瞬く間に無数の火の粉へと変化した。突如割り込んだルーリエによる卓越された剣技は、いとも簡単に火球を切り刻んだのだ。


「しっかりしなさいオルディ!! まだ終わらないわよ!!」


 しかし、バーディアはルーリエが助けに入ることを想定していたようだ。すでに2発目の火球が準備されており、そのままたて続けに火球を連続で放つ。

 3発目までは何とか無傷で捌いていたルーリエであったが、止めどなく放たれる火球に顔を歪ませる。当たり前だ、1発1発が大災害級の破壊力。それを魔力も使わずに刀1本で防いでいる。そんな無茶苦茶がいつまでも持つはずがない。


「ルーリエ……逃げるんだ……」


 俺を守らなければ、この隙に逃げ出すことはできるはずだ。そもそもバーディアの狙いは俺の命。この場を生き抜けば、ルーリエにはまだ先がある。動けない俺を庇う必要なんて、彼女にはない。


「馬鹿じゃないの!? あなたが目の前で死んだら……私が見捨てたみたいじゃない!! そんな弱音吐いてるくらいなら、さっさと立ち上がって戦いなさい!! シャルディネの話を聞いた時の顔はどうしたのよ。さっきまでの男らしい顔は……さっきまでの強いあなたは……どこにいったのよぉ……オルディィィー!!」


 ルーリエの叫びが心に響く。

 乾ききっていた心臓に、1滴の潤いが染み渡る。

 言葉が力に変わるとは良く言ったものだ。一目惚れした女が、全力で俺を救おうと盾になっている。それなのに……俺は何を呑気に寝そべっているんだ。


「まだぁ……まだ……だ」


 また逃げ出すのか? 俺はすでに数えきれないほど逃げてきた。もう1度逃げたって何も変わりはしない。だったら、何故あえて苦しい道を選ぶ?


(俺は何故ここにいる。何故生きたい。何故変わりたい。何故逃げない。後悔が怖いのか? また逃げ出せば楽になれるのに)


 ──違う。そうじゃねぇだろ。


 立ち上がれ。前を向け。胸を張れ。俺の人生は無意味なんかじゃない。無意味になんてしてはいけない。

 俺は──母さんが育ててくれたことを、無意味であったと言わせないって決めたはずだ。


「まだぁ……俺は負けてねぇえぇぇぇ!!」


 引き裂けそうな体を叩き起こし、そのままバーディアを睨みつける。痛くないところがない。今すぐにでも悲鳴をあげて倒れたい。だけど、俺はまだ負けるわけにはいかない。

 体に残る魔力を振り絞り、精一杯の強化魔法を自分に付与をする。そんな態度が気に食わないのか、バーディアは火球を吐くことをやめ、鋭い視線を俺に返してきた。


「生意気な目をする。それが竜を崇める目か? 下等生物が神に向ける目なのか?」


 バーディアが力を溜める。自身の体ほどの巨大な魔法陣を目の前に作り出すと、竜の魔力をそこに注ぎ始めた。闘技場ごと消し飛ばすつもりなのか。今の俺とルーリエは、そんな膨大な力になす術などない。

 だが、もう迷わない。もう恐れない。勝てる勝てないじゃない。【逃げない】俺の選択肢はその1つだ。


 バーディア目掛けて全力で走り出す。だが、傷だらけの体では魔法の発動までに間に合わない。魔法陣の光が次第に強くなり、強大な魔法が解き放たれる。


 ──その時であった。



「やめんかぁ!!!!」



 もの凄い怒声と共に、隕石のような勢いで人が空から降ってきた。その人物が闘技場に着地すると、あまりの衝撃に大地がくぼむ。俺達は何が起きたのか分からず、その怒声と衝撃に体を硬直させる。バーディアも魔法を抑えると、無言でその人物に目を向けた。


「何をしておるのじゃ、バーディア? 騒ぎが過ぎるから来てみたものの、これはどういう状況じゃ?」


 クレーターのようにくぼんだ大地の中央に立っていたのはナターリアであった。彼女は明らかに苛立っている。その証拠に、瞳がうっすらと赤く染まり始め、額には血管の筋が浮かび上がっていた。


「答えぬか……バーディア」


 ゆっくりとナターリアが歩み寄ると、無言であったバーディアが激しく笑い始める。俺とルーリエは何が起きているのか理解できなかったが、次のバーディアの発言に度肝を抜いた。


「丁度良い。ルーデウス、貴様のことも気に入らなかった。この際だ、分からせてやるか」


 なんとバーディアがナターリアに対し、下克上を宣言したのだ。標的をナターリアに変えると、口に極炎を滾らせて威嚇を始める。バーディアは本気のようだ。


「……やめておけ」

「貴様が剣帝だか何だか知らぬが、俺は妖精族エルフィの下で働くような男ではない」

「……それ以上はやめておくのじゃ」

「そもそも、貴様のやり方は生ぬるいのだ。今回の件もそう、過保護にもほどがある。そんな気構えだから、ベルバーグは囚人の楽園などと罵る馬鹿な輩が現れるのだ。俺が今からベルバーグの総正監を担ってやろう!! ルーデウス、貴様もこいつらと一緒に殺してくれるわ!!」

「……我輩は、忠告したぞ。バーディアや」


 バーディアとナターリアが一定の距離をあけて動きを止めると、その場の空気が急激に熱くなる。バーディアの炎による温度上昇ではない。ナターリアから放たれる凄まじいエネルギーが、周囲の空気を膨張させているのだ。


「【剣帝】ルーデウス=エリルリア=ナターリアが権限を発動する。バーディア、貴様はここまでじゃ」


 権限の発動を宣言すると、ナターリアの瞳は完全に朱色へと染まる。剣の柄に手を添えて抜刀の構えに入ると、それを見たルーリエが慌ててシャルディネを抱えた。


「やばいっ! オルディ、ここから離れるわよ!!」

「はっ?!」


 呆然とする俺の首根っこをルーリエが掴むと、シャルディネをおぶりながら高速で闘技場の端まで距離をとる。急いで大きな瓦礫に身を潜めると、吹き飛ばされないようにしっかり体を支えるよう指示を出した。

 何故ルーリエが急にここまで慌てたのか。それは、次の瞬間に理解する。


「──風鈴ふうりん


 ナターリアが小さく呟く。それは、ルーリエがバルカスを切り落とした時と同じ言葉であった。


「──簪落かんざしおとシ」


 ──刹那。

 ナターリアから放たれた斬撃は、無音で空に駆けた。一瞬の静寂が時を支配し、数秒遅れて地獄が巡る。

 突然尋常じゃない衝撃波が巻き起こった。ナターリアの正面にあった闘技場の観覧席は全て吹き飛び、その後ろに聳えていた山まで消滅する。そしてその場に立っていたバーディアは、巨体の上半身全てを無に還したのであった。

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