第17話 正当な対価

「午前の作業終了だ! 各々、道具を片付けてこい。片付けが終わり次第、ここで昼食とする」


 作業終了の合図を聞くと、同時にどっと疲れが押し寄せてくる。夢中になって作業していたから感じなかったが、ろくな食事を取らずに仕事をするというのは、想像以上に体への負担が大きかったようだ。片付けをしなければいけなかったが、足元がふらついて思わずその場に座り込んでしまった。


「お疲れさま。ヘロヘロじゃないの」


 先に作業と片付けを終えたルーリエが、俺の手を引いて立たせてくれた。片付けをしなければと足に力を入れたが、どうもミルクが俺の分の道具を片付けてくれていたみたいだ。すでに作業道具は全部片付いており、ミルクは用意された昼食を前にニコニコと笑顔で肩を揺らしていた。


「あ、ありがとう2人共」

「お礼なんていいよぉ。早くごはんをたっべよぉ! ごっはん、ごっはんだよぉ~!」


 午前の刑務作業には昼食がついてくる。元々は、刑務作業を行う時間を確保するのが目的であったみたいだ。昼まで働き、そこから各々の房に戻って昼食の準備をしていたら、午後の作業時間に影響がでてくる。それらを考慮し、作業員には昼食をその場でふるまうことになったのだ。


「昼飯か……朝はキノコだけ。昼は、小魚くらい出してもらえるのかな」


 すっかり食事に対する期待感はなくなっていた。ここでまともな食事をしたければ、どうしてもゼルが必要になる。無料で貰える食事だけではハッキリいって生きていけない。今日の刑務作業は終えたから、この後ゼルを貰えるはず。そのゼルを使って食事をランクアップするまで、俺にはまともな食事は用意されない。


 ルーリエとミルクはその場に座り「いただきます」と手を合わせる。俺も2人の隣に座ると、用意された木箱を前に、小さくため息を吐く。瞼を閉じたまま無作法に木箱の蓋を開けると、ふと漂った香りに思わず目を見開いた。


「こ……これが、俺の昼食?!」


 木箱の半分にはぎっしりと白米が詰め込まれ、上にはシソと胡麻を細かく刻み、少量の塩を合えたような、香り高いふりかけがかけられている。おかずとして添えられていたのは、カラッと揚げられた鳥肉のようなものの唐揚げと、ジャガイモを磨り潰して作られているポテトサラダのようなものであった。

 どうやって用意したのか不明だが、唐揚げは揚げたてのように艶光りしていた。ごま油のような芳ばしい香りが鼻を突き、衣の裂目からはほかほかの肉汁が滝のように滴り落ちる。白米も炊きたてのように粒が立ち、ほどよく固めの仕上がり。

 感動のあまり大袈裟に表現したが、いわゆるコンビニの唐揚げ弁当だ。しかし空腹と労働で疲労困憊の俺には、これが最上級のレストランで出されるスペシャリテのように見えたのだ。


「い、いいのか? 俺はゼルを払っていないのに」


 暴れ出る生唾を何度も飲み込み、今にも食らいつきたい気持ちを必死に抑えて冷静になる。あとから法外なゼルを要求されてしまったら、俺はまたしばらく無一文で過ごすことになるんだ。安易に快楽へ飛びつくわけにはいかない。


「これは刑務作業に対する対価だ。午前の作業は午後に比べて単価が安い変わり、必ず昼食がついてくる。この食事に対してゼルを要求することはない。安心して食べると良い」


 ベルの言葉を聞き、堪えていた俺の理性が一気に吹っ飛んだ。用意されていた箸も使わず唐揚げを鷲掴みにすると、無我夢中で口に運び入れる。噛み締める度に旨みが口の中で弾け、あまりの衝撃に涙が込み上げてきた。

 たかだか1日ほど食事が粗末になっただけであったが、普通の状況下ではないのだ。異世界に飛ばされたことや、突然凶悪犯として扱われることに、俺はかなり参っていた。

 人間の三大欲求である食欲、睡眠欲、性欲。不安で夜も中々寝つけなかったこともあり、全ての欲求を急に制限されたのだ。そのストレスは半端なものではない。たかだか1日の出来事ではあるが、密度が普通じゃないんだ。そんな中、食欲を一時的に解放されると、いかに人間が普段から欲求を満たそうとしているか凄く理解できる。まさか唐揚げ弁当1つで涙を流す日がくるとは思いもしなかった。


「はっはっは。旨いか? 慌てて食って喉を詰まらせるなよ」


 獣のように食事をする俺を見て、ベルは馬鹿にすることなく爽やかに笑ってくれた。そして、ルーリエとミルクも、その幸せを共感するように微笑んでくれた。


 食事を終えると、途轍もない満足感に俺は思わず空を見上げる。これが幸せってものなのか、と小さな幸福感に浸っていると、ベルが頃合いを見計らって小袋を手に取った。


「昼食は済んだな。今日の給料を配布していくぞ」


 ベルが小袋から銅貨を取り出すと、ルーリエとミルクに2枚ずつ手渡した。今日の作業内容で200ゼルになるようだ。円と比べてゼルの単価がどれほどなのかいまいち分からないので、これが安いのか高いのかも分からない。200ゼルでどれだけのことが可能なのか。夕食と朝食のランクアップができれば良いのだがっと考えていると、ベルが俺の前に立ち、銅貨を手渡した。


「……えっ? 俺だけ銅貨3枚?」


 何かの間違いだろうか?

 前から働いているルーリエとミルクよりも、俺の給料が高いはずがない。ましてや、俺は今日が初めての刑務作業だ。そんな困惑した気持ちは顔にでていたのだろう。ベルが俺の肩を軽く叩くと、「当たり前だ」と言ってその意味を教えてくれた。


「何も不思議なことではない。俺は初めに言ったはずだ。頑張った者には、正当な対価を与えると。君は他の者よりも格段に疲れる力仕事を、怠けることなくしっかりとこなした。本来、新人である君の給料は100ゼルだ。しかし、この中で1番の労働をこなした君は、ボーナスを受け取る資格がある。追加の200ゼルは、俺からの正式な報酬だ」


 正当な対価。現世ではどれだけ努力しても貰えなかったものが、ここではいとも簡単に与えられた。ルーリエもそれに対し、「当たり前でしょ? オルディが確実に1番頑張ったんだから。私とミルクは壁を洗っていただけ。そんな私達とあなたの給料が一緒なはずないでしょ」と言ってくれた。

 ミルクもそれに納得するように頷いている。これがこの世界の常識。俺が求め、ひたすら苦しんできた理想像が、ここでは常識なのだ。その違いに、銅貨を受け取った手が自然と震える。


「あ……ありがとうございます」


 俺は感謝を口に出して頭を下げる。あまりの感動に涙が再び溢れだす。込み上げてきた感情を腕で拭うと、手に乗った銅貨3枚を強く握り、心の中で歓喜の雄叫びをあげた。


「よし、それでは解散とする。最後に、夕食と明日の朝食の確認をしておこうか」


 午前の刑務作業が終わり、このまま解散となるようだ。ベルはメモ用紙のような紙を取り出すと、最後に食事のランクアップ申請について説明してくれた。

 朝食のランクアップは基本的に1つしかない。30ゼルを支払うことにより、翌日分の朝食を選択方式にすることができる。何種類かの候補から、好きな食べ物と好きな飲み物を1つずつ選べるのだ。

 そして、夕食のランクアップには段階がいくつかある。ルーリエやヨンヘルが食べていた、魚の入ったバランスの良い食事は50ゼル。ミルクが食べていた、肉が沢山入った食事は100ゼル。更に上もいくつかあり、ランクが高いものだと酒まで飲めるらしい。しかし刑務作業で得られるゼルを考えるなら、100ゼル辺りまでが現実的な食事候補となる。


「食事はここでの大きな快楽だ。ゼルを貯めるのも良いが、惜しみ無く食事に使うのも良いだろう」


 ベルの言葉は最もである。唐揚げ弁当1つでこれほどまでの満足感を得られたのだ。

 ルーリエは50ゼルの夕食と朝食のランクアップを申告し、80ゼルをベルに差し出した。ミルクは迷うことなく100ゼルの肉と朝食を注文している。


「ウチはお肉が食べれるならいくらでも払うよぉ~」


 ミルクは欲望の解放が上手なのだろう。1食100ゼルとなると、それは俺の本来の給料1回分だ。肉を食いたい気持ちは強いが、流石に気が引けてしまう。悩みながら50ゼルの夕食を注文しようとした時、ミルクが顔を覗きこんで悪魔の誘惑をしてきた。


「本当にいいのぉ~? せっかくボーナスが貰えたんだよぉ~? お肉食べなくていいのぉ~? お肉美味しいよぉ~」


 くそっ。そんな誘惑をされたら、簡単に心が揺らいでしまう。だが、ミルクの言うことも間違いではない。初めての給料で、ボーナスまで貰えたのだ。だったら今日は特別な日じゃないか。今日くらいは贅沢したっていいじゃないか。だが、ゼルを何に使えるか分からないうちは簡単に浪費するわけにはいかない。


「じ……じゃあ、100ゼルの夕食と、朝食を」

(──ば、馬鹿野郎! 体が勝手に肉を求めてしまったじゃないか!)


 自分の信念の低さに、思わず自分で突っ込みをいれてしまう。まぁミルクは「一緒だぁ! 今日はお肉パーティーだぁ!」と喜んでくれてはいるが。

 それにしても。初めはどうなるかと思ったが、ここの生活も案外悪くなさそうだな。仕事を頑張れば、正当な対価は貰える。食事もゼルさえ払えばまともな物が手に入る。少しではあるが、気持ちの良い生き甲斐を感じ始めていた。



 そう、それは確かな充実感と幸福感であった。

 この後……竜族ドラゴニックと出会うまでは。

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