第16話 修繕工事
ただならぬ緊張感を覚えつつ、俺は無心になって看守の後をついて歩く。住宅施設を裏門から出ると、登り始めた太陽が暖かな日で大地を照らしていた。この太陽も魔法で作られた物なのだろうか。ここが砂丘の洞窟だということを、すでに忘れかけていた。
住宅施設の外は、自然や他の建造物がいくつかある。右側には綺麗な小川が静かに波をうち、左側には人がちらほらと集まりだした商店街。正面には小高い木々に覆われた山が見える。
整地された遊歩道が山奥まで続き、何をするのか分からぬままそこを歩く。少し不安になってきたので、隣を歩くルーリエに疑問を投げてみた。
「なぁ、俺達はどんな刑務作業に勤しむんだ?」
「基本的に刑務作業は日によって違うわ。今回は私達しかいないけど、他の部屋の囚人と作業を行うこともある。日によって違うとは言ったけど、ここ数日は、決まって闘技場の修繕工事が私達の作業になっているの。少し前に派手な決闘があったから、至るところがボロボロなのよ」
闘技場か。監獄にあるべき建物とは到底思えないが、決闘といった仕組みがあるなら不思議でもないのか。
遊歩道をしばらく歩くと、木々が開けた場所にたどり着く。そこには、直径20メートルほどの建物が聳えていた。見た目は西洋建築のコロシアムをそのまま小さくした感じだ。石レンガ造りの壁に、小さい円錐台のような形の窓が無数に並ぶ。
正門から中に入ると、そこはまさにイメージする闘技場であった。闘牛場といえば分かりやすいだろうか。中央には円形の闘技スペースが広がり、それを囲うように円形の観覧席が並んでいる。
「これぞ殺し合いの場だって雰囲気だな。壁は所々壊れているし、赤く変色している部分は……もしかして血なのか?」
「そうだよぉ。壁に叩きつけられて、そのままどびゃーって血が噴き出しちゃったのかなぁ? すぐに掃除したら簡単に落とせるのに、時間を空けるから落とすのが大変なんだよぉ」
血が噴き出す。どんな勢いで叩きつけたらそんな事態になるのだろうか。俺がもし
「ほう、こいつが新入りか」
闘技場中央に1人の男性が立っていた。
体長は2メートルほど。重厚な鎧を纏い、腕を組ながら仁王立ちするその姿は、俺から見ても相当な実力者であることが容易に分かる。腕は黄金色の体毛で覆われ、手には鋭い牙のような鉤爪が指の数だけはえている。優雅に舞う
「新人に挨拶をしておこう。俺はベルバーグ第3看守長、
ルーリエとミルクがベルに向かって「宜しくお願いします」と声を揃え頭を下げる。俺も見よう見まねで頭を下げると、ベルは逞しい笑顔で満足げに頷いた。
「ふむ、よい心掛けだ。君達囚人にも権利はある。俺は悪人だからといって、簡単に見限ったりなどしない。何か困ったことがあれば、遠慮なく俺に声をかけるが良い」
彼はとても誠実そうな雰囲気だ。身だしなみもしっかりと整えられ、清潔感がある。囚人に対しても気さくであり、誰にでも好かれそうな物腰の良さ。リーダーシップに溢れたその性格は、まさに百獣の王と呼ぶに相応しいものを兼ね備えていた。
「それでは、早速だが作業に入ってもらうぞ。ルーリエとミルクは、壁の血糊を洗ってくれ。オルディ、君は男だ。少し力仕事に勤しんでもらうぞ」
力仕事。覚悟はしていたが、まともに食事をしていない状態でどれほどの力を発揮できるのだろうか。だがここは踏ん張りどころだ。ベルは「頑張った者には公平な対価を与える」と言ってくれた。ここで彼の信頼を得られれば、今後かならず役に立つことがあるはずだ。
(看守長に気に入られるために頑張る……か)
現実世界では、学歴のない俺がどれだけ頑張っても、会社は認めてくれはしなかった。それなのに、後から入ってきた大学卒業の新入生は、あっという間に俺の上司になった。仕事もたいしてできないくせに、上司の機嫌とりだけは一丁前だったようだ。普段はそんな奴らの尻拭いばかりやらされる。挙げ句の果てには、自分のことを棚にあげたいがために、俺をグズだの使えないだの露骨に蔑み、会社での地位をどんどん確立していきやがった。
正当な評価が与えられないのが当たり前。そんな日常に耐えきれなくなってニートになった。それなのに、またここで評価を得ようと頑張ることになるなんてな。
(……皮肉なものだ)
過去を思い出しながら苦笑いを浮かべる。もうあの日々から6年以上経つというのに、まだごく最近の出来事のように思い出せてしまうのだ。
どうにせよ、今はそんな過去の記憶に縛られている場合ではない。大切なのは、新しい1歩を踏み出せるかだ。異世界に来たっていうのに、今まで通りじゃ意味がない。自分を変えるチャンスは、自分の手で掴み取らなければいけない。
「看守長! まず何をすれば良いでしょうか?」
少し強引に声を張る。まずは、自分のやる気をしっかりと相手にアピールすることが大切だ。背筋を伸ばし、ベルの目を見つめながら誠意を示す。しかし、その空回りぎみの誠意は、少し高圧的に見えてしまったようだ。
ベルは目を細めてこちらを見返してきた。無言で近寄り、俺の顎を大きな手でくいっと上に向ける。鋭利な爪が喉の皮に食い込み、今にも貫通して首が引き裂かれそうだ。
そんな状況に加え、2メートルを越える巨体が俺を鋭い眼光で見下している。途轍もない恐怖に精神を支配され、小鹿のように足が震えて止まらない。何がいけなかったのか分からず困惑していると、ベルは急に大口を開いた。
「がっはっは。真面目そうな奴ではないか。お前みたいなやる気に満ちた人材は大歓迎だ。気に入ったぞ。お前の仕事結果次第では、率先して刑務作業を紹介してやろう」
ベルの大笑いに、俺は唖然とした。てっきり怒っているのかとヒヤヒヤしたのだ。安堵に浸り呼吸を落ち着かせていると、ベルはおもむろに手を大地に翳す。そのまま少し
「見ての通り、これは土魔法で創成した溶鉱炉だ。ここに火をくべ、風で燃焼を促すことで、アジュール鉱石を溶かす高熱を作り出すことができる。火と風は俺の魔法で対処しよう。君には、そこに山を作ってあるアジュール鉱石をここまで運び、溶けだしたアジュールが冷めないうちに、崩壊した壁の補修を行ってもらう」
ベルが指差した先には、黒い鉱石が山積みにされていた。1つ1つは手の平にちょうど収まるほどの大きさで、重さはだいたい2キロほどだろうか。1個2個運ぶくらいなら大したことはないが、何百個と運ばなければいけないのなら話は別だ。ベルが言うに、俺は今から約3時間、休むことなくこの鉱石を運び、壁の補修を行うのが作業らしい。
運ぶくらいなら、この山積みにされた鉱石の真横で溶鉱炉を作れよと突っ込みたくなるが、文句を言うわけにもいかない。仕方なく作業に取りかかると、同時に右手に持った鉱石に向かい【理解】っと思念した。
『理解しました。名称【アジュール鉱石】。どこの山岳地帯にでも存在する鉱石。粘度の高いアジュール細菌が熱によって溶け、岩石と混ざり合わさることによって生成される。高熱で溶かせば、岩石からアジュールだけを取り出すことが可能。溶けて液化したアジュールは、冷める前ならいかなる鉱物にも同化し、同化した物のシピンレベルを増加させる。そのため、建築などに用いられることが多い』
便利な物だな。崩れ落ちた壁にこれを塗れば、壁材に同化して傷を綺麗に埋めることができるのか。液化したアジュールはとても万能で、モルタルの上位互換といったところだな。
溶けだした黒いアジュールを、鉄で作られたコテ板のようなもので受けとると、左官作業のようにコテで壁に塗る。注意すべきは、液化したアジュールの温度は数百度になるので、素手で触れたら大惨事になるということだ。
コテ板は縁が平面よりも数センチ高く作ってあるため、傾けたりしなければアジュールが溢れることはない。だが、そのコテ板を持っているだけで、あまりの熱量に汗が湧き出してくる。
(……暑い。死ぬほど暑い。けど、作業事態は意外と楽しいな)
俺は左官経験なんて全くないが、アジュールはそれっぽく壁に塗るだけで、自然と隙間に埋まり綺麗に整っていく。そして壁に触れると、すぐに冷え始めた。温度が下がると、あっという間に黒から壁と同じ砂色に変色し、材質からその特性まで全て同化していくのだ。
みるみるうちに壁が直っていき、自分が熟年の職人になったような気分が味わえる。こんなにも爽快感のある仕事をしたのは、産まれて初めてだ。
気づけば無我夢中で作業をこなしていた。辛くなるだろうと覚悟していた3時間は、あっという間に過ぎてしまったのであった。
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