第4話 洗練された誘惑

 一瞬で腕に鳥肌が立つ。

 きっと何かの聞き間違えだろう。ルーリエがナターリアの娘だなんて。それが本当なら、フェロモンが影響していたとはいえ、俺は好きな人の母親に抱きついて淫らな行為をしたことになる。

 そんなものは一生払拭することのできない黒歴史だ。絶対に聞き間違えだと自分に言い聞かせ、念のためもう一度聞き直してみる。


「あ、あの、俺の聞き間違えですよね。もしかして、総監様がルーリエの母親って言いました?」


 否定的な俺の態度が気にくわなかったのか。ナターリアは腕を組んで眉をしかめながら睨みをきかす。人の親とは到底思えない殺人鬼とも呼べる迫力に、俺は思わず視線を逸らしてそっと口を閉じた。


「なんじゃその顔は? 堂々とこっちを見て話さぬか。我輩が母親で不満があるようじゃの? 前にも言ったが、我輩は126歳じゃ。子供の1人や2人おっても可笑しくなかろう。それとも何か? 我輩のような女は母親になる資格がない、そう言いたいのじゃな?」


 言いたいことは違うが、「俺は母親であることを否定はしていませんよ。勝手に話を誇張しないでもらえませんか?」なんてセリフを堂々と言い返せるはずもない。

 確かにナターリアの年齢を忘れていた。見た目は紛れもない絶世の美女だ。そう、若妻でもなければ熟女でもない、大学生くらいの若々しい美女なのだ。そんな彼女が、これまた大学生ほどの美女を子に持つというのだ。

 俺がいた現実世界にも年齢に似合わない若々しさを持つ、美魔女と呼ばれる女性はいた。姉妹と間違えられるような親子も希にテレビで見たことはあるが、もはやそんな次元ではない。ルーリエとナターリアなんて、同級生と言われても疑うことのないくらい似た若々しさだ。


「そんなつもりはないですよ。総監様の容姿がお若くて美しいので、年齢をすっかりと忘れていました」

「ほぅ、美しいといったか? 良かろう。先ほどの疑いはなかったものにしてやるぞ」


 感情の起伏が激しい人だ。鬼のような形相と迫力は、美しいといった単純な言葉でいとも簡単に静まった。そしてふと笑みを溢せば、まるで別人のような女神顔。なんとも恐ろしいものだ。


 そういえば思い出してみると、確かにルーリエとナターリアの名前は同じ部分があるな。

 ルリエリリ=エリルリア=ルーリエ。

 ルーデウス=エリルリア=ナターリア。

 どちらも覚えにくいフルネームだが、エリルリアが同名である。ルリエリリが父方の性。エリルリアが母方の性といったところか。

 俺としたことが、こんなことに気づかなかったか。散々読んできたネット小説でも良くある設定じゃないか。


「そうなると……総監様。失礼を承知で聞きますが、ルーリエを救ったのは私欲でしょうか?」


 少し踏み込んだ質問だ。一歩間違えば再びナターリアの機嫌を損なうかもしれない。だがどうしても気になるのだ。ナターリアは規律を厳守している。いくら娘のためとはいえ、決闘でルーリエを間接的に助ける行為は、流石に規律を違反しているのではないだろうか。


「良く聞ける質問じゃの。相変わらず貴様は度胸が据わっておるわ。確かに、我輩が刀を投げ入れたのは私欲じゃ」


 ナターリアは意外にもすぐに事実を認めた。それは規律違反を肯定する発言でもある。


「何か言いたげな顔じゃの? 勘違いするでないぞ。刀を投げ入れたことは私欲じゃが、我輩は規律を破ってなぞおらん」

「えっ……そうなのですか?」


 ポロッとこぼした言葉に加え、俺の表情にも驚きが出ていたのだろう。ナターリアは「やはりそこを気にしておったか」と突っ込むと、規律の盲点について話を始めた。


「囚人同士の決闘。その片側に看守が一方的な協力をするのは立派な違反行為じゃ。じゃがのう、よく思い出してみよ。我輩は刀を投げ入れただけじゃ。その行為はルーリエへの一方的な協力とはならん。たまたま、投げ入れた刀がルーリエの目の前に突き刺さっただけじゃのう」


 真剣な面持ちで語ってはいるが、あまりにもいい加減な屁理屈だ。俺は思わず口を開けたまま固まってしまった。

 なんだろうか、それはもう子供の言い訳にしか聞こえないのだが。まあ、確かにそれなら規律を破ったとは言わない。それに総監である彼女が肯定している以上、囚人はおろか、他の看守も口を出すことはできないだろう。


「貴様が不服に感じようが、違反でないものは違反ではない。我輩は自分の信念にこそ忠実じゃが、信念に干渉しない方法を模索するために思考することもできるわ。それにのう、ルーリエとの関係を囚人に直接話したのは貴様が初めてじゃ。ヨンヘルはどこから情報を仕入れたのか、関係性くらいは知っているみたいじゃがのう」


 決闘前後のルーリエの発言は、ナターリアとの関係性を匂わせるものが数回あった。だが、ミルクを含む他の囚人でその関係を深く知っている者はいない。

 ルーリエの性格を考えれば、見知らぬ他人にナターリアとの関係性を語るとは思えない。ナターリアもそれを広めることは、なにか揉め事の火種になるということを分かっているだろう。総監の娘となれば、依怙贔屓えこひいきが働いていると考える者がでるのは必然だ。

 だったら、なぜ俺にこの話を教えたのか。そんな疑問を払拭するように、ナターリアは言葉を続けた。


「以前にも言ったであろう? 我輩は個人的に貴様を好いておると」


 好いているって、どう受け取ってよいのだろうか。俺の性格を好いているのか? それは異性として、恋愛対象という意味合いで好いているのか?

 男だったら、美女からそんな言葉を聞けば勘違いをしてしまう者も少なくないぞ。


「じゃが、ルーリエとの関係が他の囚人に広まるのも面倒じゃ。さすがに口封じをしておくかのう」


 少し妄想にニヤけていると、ナターリアが徐に結界の内側に入ってくる。獲物を捉えたような鋭い視線が体を硬直させると、そっと俺の首元に手を回して不気味に笑う。


「く、口封じですか? な、何をするつもりで」


 一体何をされるのか。彼女の実力を知ってしまった以上、そこには恐怖しか生まれない。不気味な笑みがその緊張感を一層と高めている。

 そんな俺の心をもてあそぶように、ナターリアは耳元で囁いてきた。


「規律の盲点について話を戻すぞ? ベルバーグにはのう、囚人の性欲を縛る規律はあっても、看守の性欲を縛る規律はない。分かるか? 我輩が無理やり貴様を押し倒す、その行為自体は合法なのじゃ」


 ナターリアの力によって俺は地面へと押し倒される。そのまま馬乗りにされると、フワッと漂った甘い香りに意識が朦朧とした。

 これはあの時と同じだ。自分の欲望のリミッターが外れていく感覚。ナターリアから放たれるフェロモンによって、俺の自制心が徐々に奪われていく。


「どうじゃ? 本能に従いたくなるじゃろう? フェロモンは100歳から300歳の妖精族エルフィが使える固有能力。妖精族エルフィの男どもはあまり性欲が高くない。そやつらを焚きつけるために身につけた能力なのじゃ」


 ナターリアが何かを説明しているが、正直そんな話は耳に入らない。俺の感覚は、ナターリアの肌と接触している腹部に集中している。

 服の上からでも分かる柔らかな質感。もう何も考えずに欲望に従いたい。こんな状況で耐えるのは、暴食の刑より数倍キツイじゃないか。


「ほれほれ。今なら許可するぞ? 貴様は我輩によって蹂躙されておるのじゃ。そのまま無理やり欲求を解放された。その筋書きで我輩のことを好きにするがよい」


 好きなようにすればいい?

 ふざけないでくれ。さっき事実を聞いてしまったんだぞ。ナターリアはルーリエの母親なのだ。そんな相手と性的な関係を作ってしまったら、俺とルーリエの関係は一生ドン底になる。それだけは、絶対に避けないといけないんだ。

 歯を食い縛り、拳を強く握って必死に耐える。冷静になれと何十回も頭に思考し、大きく深呼吸を繰り返す。何とかして自制心を少し取り戻すが、ナターリアの追い討ちは激しさを増す。


 彼女の腕が淫らに腰を撫でると、その卓越された腕さばきに体が硬直する。それと同時に優しい吐息が耳をくすぐると、取り戻した自制心に再び亀裂が走る。過剰に刺激される欲求。それを欲求通りに処理できないことが、これほどにも苦痛だとは。


「く……そ。たえ、るんだ。耐えろ」


 一瞬でも気を抜くな。諦めたらそこで終わりだ。一度でも緩んでしまったら、もう歯止めは効かない。

 苦悶の表情で堪える俺に向かい、ナターリアは容赦なく顔を近づけてくる。その柔らかそうな唇が俺を捉えようとした時であった。ガタンっと音がしたのと共に、次の食事が結界内に運ばれてきた。


 一瞬の空白に、その場の雰囲気はいっきに元へ戻る。ナターリアも興が冷めたのか、チッと舌打ちをして立ち上がった。


「案外やるではないか。貴様はもっと早く自制心を失うかと思ったがのう。それならば、三日月刻みかづきのこくも心配なさそうじゃ」


 フェロモンを抑えてくれたのか、なんとか冷静を取り戻せた。すぐに後退りしてナターリアとの距離をとると、謎のキーワードが気になってくる。確か、ヨンヘルも同じ言葉を使っていた気がするぞ。


三日月刻みかづきのこく……ですか?」

「そうじゃ、間もなくやってくるのう。貴様の房にはミルクがおるじゃろ? 暴欲の鬼姫、デスタリア=レレ=ミルク。あやつはこんなもので済ましてはくれぬぞ?」


 暴欲の鬼姫。

 その通り名からは、嫌な予感しかしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る