第5話 不安要素

 食事の準備が終わると、ナターリアはズカズカと機嫌の悪さをアピールするように大足で結界の外に戻っていった。無作法に椅子へもたれると、つまらなさそうに背をだらけて空を見上げている。


(暴欲の鬼姫か……これ以上ないほどにミルクらしい通り名だ)


 ひとまず俺は、1回目同様に2回目の食事も魔法を使ってそつなく済ませる。体への負担もなさそうだ。暴食の刑を乗りきる算段はもう心配ない。食事をしながらずっと頭を過っていたのは、ミルクの通り名と謎の言葉。そう、今なによりも気になるのは、三日月刻みかづきのこくという言葉の意味だ。

 1つの心配事が解決したと思えば、またすぐに新たな不安がやってくる。決闘が終わった直後は晴々とした気分であったが、刑罰が始まってからナターリアのおかげでなんともやるせない気持ちが続く。まぁまだ刑罰の時間はたっぷりあるし、ナターリアには疑問となることを今のうちに聞いておくとしよう。


「総監様、三日月刻みかづきのこくとはいったい何のことなのでしょう? 以前にヨンヘルもその言葉をちらっと話していました。何か特別な日なのでしょうか?」


 話の経緯を思い返すと、なにやら性的な事情が関係してそうである。ヨンヘルが話題にした時も俺の性欲に対して不安があった時だし、ナターリアも先程のやりとりがあった後にその言葉を口にした。更にはあのミルクが関係しているときた。今後の状況を想像すると、途轍もなく嫌な予感しかしない。


「あ~……そうじゃったの。ん~……面倒臭いのう、貴様の記憶障害というのも。我輩はお主に拒否されて気分が悪い。なんでもかんでも人に頼らず、たまには自分で考えよ馬鹿者」


 なんだよその回答は。あんた確か分からないことは何でも聞いてこいって前に言ってたよな? 露骨な嫌味顔で面倒臭そうに欠伸までしやがって。憎たらしいにも程がある。

 だがそんな態度にむかっ腹をたてても意味はない。いくら足輪が外れているとはいえ、俺とナターリアには埋めることのできないであろう圧倒的な実力差がある。彼女の気分屋な態度に反論しても、歯痒い気持ちが背中をゾワゾワとさせるだけだ。


「……はぁ。なんとも不安だらけですね……って、総監……様?」


 落胆に一瞬だけ視線を落とす。ほんのちょっと目を離しただけであったが、ふとナターリアの顔を見返すと静かに瞼を閉じている。俺は彼女がなにをしているのか理解できず、立ち上がって恐る恐るそばに近寄った。

 結界越しで近寄れる最短の距離まで足を運ぶと、スースーっと可愛らしい吐息が聞こえる。まさかとは思ったが、今の一瞬でナターリアは睡眠を始めたのだ。


「……えっ? 寝てる……のですか?」


 おもむろに声をかけると、ナターリアはピクッと小さく動き、片目を少しだけ開ける。


「……なんじゃ。我輩はもう寝る。貴様は暴食を何の苦労もなく乗りきりそうじゃし、我輩の相手もする気がなさそうじゃ。つまらぬから、もう寝る」


 ボソボソと口を開くと、再び瞼を閉じて無言になった。あまりの予想外な行動に、流石の俺も唖然として言葉が出てこない。ナターリアは厳格な規律主義のお堅い人物だと思っていたが、知れば知るほどに無邪気な子供のように感じるのだ。

 本当に126歳なのだろうか。年齢が離れすぎていて違和感しかないが、改めて話してみると同世代のような親近感が強いな。良くも悪くも、このような気さくな感じの立ち振舞いは個人的に嫌いではない。変にお堅い人と話をするより、このくらい適当なほうが馴染めるものだ。

 出会いさえこんな形でなければ、俺とナターリアの関係性は全然違うものになっていたかもしれないな。


(我ながら、なんともロマンチックな思考だな。ナターリアとは体を密着させたせいか、変に意識してしまうものがある。ルーリエの母親……それをしっかりと意識しなければ)



 結局ここから残り約20時間、ナターリアはそのほとんどを寝て過ごしていた。しかし、それは決して俺の監視を放り投げたわけではなかった。【剣帝】という称号を持つだけはある。完全に寝ているように見えても、俺が少し怪しげにフラフラと歩くだけで鋭い殺気が容赦なく向けられたのだ。


 別に逃げれるなんて馬鹿な考えはもっていないし、暴食に関しても不安点はない。俺が困って怪しげにフラついた最大の理由は、トイレである。ナターリアは24時間程度ならトイレに行かなくても平気なようだが、俺は普通の人間だ。如何に魔法で胃の中を空にしても、不思議とトイレには行きたくなるのだ。

 ナターリアを起こしてトイレをどうすれば良いか聞いたが、彼女は「そのへんですれば良いじゃろ」っと軽く羞恥プレイを指示した。いくら寝ているとはいえ、流石に女性の目の前で堂々とトイレを済ませるのは難易度が高い。1度だけ我慢できずにこっそりと小を済ませたが、俺にとって暴食の刑よりもトイレを我慢することのほうが厳しい罰となったのだ。


「よっしゃー!! 最後の食事も終わったぞ。総監様、これで俺の刑罰は終わりですよね?」


 気づけば最後の食事を終え、生き残ることが不可能とされた暴食の刑を耐え抜いてみせた。ナターリアも流石に目を覚ますと、背筋を伸ばしながら「……んんっ、良く寝れたのう。オルディ、やるではないか!」と笑顔を作った。

 何気に面と向かってオルディと名前で呼ばれたのは初めてな気がした。いつもは荒々しい口調で貴様と呼ぶからな。ふと作った笑顔もあってか、少し照れている自分がいる。


「刑罰はこれにて終了じゃ。すでに3階の部屋へ移動の指示を出してあるから、ヨンヘル達は移動を済ませておるじゃろう。それと呪魔の足枷のことじゃが、我輩は特に規制するつもりはない。魔力の悪用、ベルバーグに不利益が起きる行為をしなければ問題なかろう。だが分かっておるな? 貴様がそれらを破れば、我輩が直々に首を切り捨てる。貴様はそれだけをしっかりと覚えておけばよい」


 これまた意外な助言であった。魔力の使用を規制しないとは、あまりにも寛大な処置だ。ナターリア直々に使用許可を出してくれたことは、今後の生活に大きく優位と働く。

 刑罰が始まった時はどうしようかと思ったが、結果的に大きな成果を得ることができた。俺の魔力がどれほどのものか、監獄内でどのような使い道があるか、まだまだ未知数だが確実にプラスに働くはずだ。

 それにしても、途中からずっと寝ていたのに移動指示をいつ出していたのか。彼女に秘められている力もまた、未知数である。


「分かったならさっさと帰るがよい。我輩はこの後も職務がある。貴様と違って忙しいのじゃ」


 なぁにが忙しいだ。今の今までスースーと寝息をたてていたじゃねーか。

 まぁなんにせよ、普段見ることのできないであろうナターリアの一面を知ることができた。今後の役に立つかは不明だが、これもまた良き収穫だったな。


 ナターリアに向かって頭を軽く下げてから、俺は房を目指して歩き始めた。

 食事が定期的にくるせいでゆっくりと眠る時間がとれず、久しぶりに徹夜をした。刑罰から解放されて気が緩んだのもあるが、一気に睡魔が襲ってくる。房に帰ったらひとまず眠りたいと考えていると、ふと思い出したことがあった。


(そうだ。すっかり忘れていたが、同居者が増えるんだよな。誰が来るんだ? 変な奴だったらどうしようか。これまた不安要素が増えたな)


 住宅施設に到着すると、裏門から入ってすぐにある今までのぼったことのなかった階段を使い、3階を目指す。そこには前の房よりもひとまわりほど大きい部屋がいくつも並び、その全てが空き部屋となっていた。


「オルディ~! こっちこっちぃ~!」


 どの部屋に行けばいいのか迷っていると、聞きなれた声が俺の名前を呼んでいる。一番奥にある部屋に目を向けると、桃色の髪を揺らしながらミルクが大きく手を振っているのが見えた。


「オルディ凄いよぉ! 今まで誰も生きて帰ってこなかった刑罰から帰ってくるなんて! ちょっと前に房の移動指示がきたからビックリしたんだよぉ! ルーちゃんなんて、オルディが生きてるって目を輝かせて喜んでたんだからぁ」

「えっ……ルーリエが?」


 俺が房の前に到着すると、ニコニコと笑顔で出迎えるミルクの後方からルーリエが駆けつける。そのままの勢いでミルクの口を抑え込み、先程の言葉を訂正するように声を荒げた。


「ば、ば、馬鹿じゃないのっ?! 私がオルディの心配なんてするわけないでしょ!!」


 2人が仲良く戯れているのを見ると、とても大きな安心が不安を消し飛ばしてくれる。ルーリエの頬が少し赤くなっているのを見るに、彼女なりにも俺の心配をしていてくれたようだ。


「おかえり、オルディ」


 ヨンヘルは俺が帰ってくると確信していたのか。柔らかな笑みを作りながら、おかえりと言葉かけてくれた。そんな彼の言葉にも、同じくらい大きな安心感を得ることができる。

 まだ知り合って間もないし、彼らが悪人であることに変わりはない。初めは簡単に信用するのはマズイと考えていた。だが、気づけば俺は同じ房の奴らを仲間のように感じていたんだ。


「あぁ……ただいま」

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