第14話 偽善者の選択
バルアマンが去ったことにより、房内は一瞬の静寂に包まれた。本来ならなんとも言えない気まずい空気感であったが、争いの根源となっていた者がいなくなったことに、とても強い安堵を感じている。緊張が途切れたことで気が緩んだ俺は、ふぅっと軽くタメ息を吐いて肩の力を抜いた。
「オ、オルディ! ヨンヘルさんが大変!!」
気抜けしている俺を他所に、シャルディネが一足早くヨンヘルの側へ駆けつける。彼女の慌て声に背を強張らせると、目の前の悲惨な状況に思わず生唾を飲んだ。
「ヨンヘル! クソッ、こんなのやりすぎだ!」
かなりの無理をして立ち向かっていたのだろう。力尽きるように倒れていたヨンヘルは、激しい咳き込みを繰り返すと同時に再び吐血する。
こんな時にどんな応急処置をすればいいのか、専門的な知識を持っている者なんてここにはいない。咄嗟にとれた行動は、口に血が溜まって息がしずらそうな体を、ゆっくりと支えて上半身を起こしてやることぐらいだった。
「どうすればいい……考えろ、考えろ! どうするのがいいんだ!!」
「ベ、ベ、ベルバーグには病院なんてないし、薬草とか回復ポーションとかもないし。ど、どうすれば、オルディ、どうすれば」
慌てふためく俺とシャルディネは、苦しそうに咳き込むヨンヘルに何ができるのか必死に考えるだけ。そう、無意味に考えるだけしかできず、次の行動に移ることができないのだ。
そんな2人を見かねてか、ヨンヘルが弱々しく右腕を上げた。俺は何かを求めているのだと感じ、すぐにその腕を掴もうと手を差し伸べる。しかしヨンヘルはその手を軽く振り払うと、そのままの勢いで俺の襟元を鷲掴みにして思わぬ言葉を口にした。
「なんで……止めた。お前のせいで……バルアマンとの取引がなくなったら……どうしてくれる」
予想外の罵倒に、思わず返す言葉に詰まってしまう。どう考えたって今は取引を気にしている場合ではないというのに、どこまで金に強情なのだろうか。その無茶苦茶な強欲に呆れと怒りを覚えてしまう。
「な、なにを言ってるんだよ! 今はそんなことどうだっていいだろ!」
「お前に何が分かる! 俺にとって……バルアマンとの取引は……」
俺を睨みつけながら必死に言葉を吐くヨンヘルであったが、会話の途中で再び咳き込んで苦しそうに目を細める。何が彼をそこまで焚きつけているのか。今はそんなことを考えている場合ではないのに、その凄まじい執念がどうしても頭にへばりつく。
気づけば何ができるかよりも、ヨンヘルを助けるべきなのかと疑念に惑わされている。目の前の救うべき対象は極悪人。俺にとっての恩人である以前に、この世界で大罪を犯した外道なのだ。
ヨンヘルを大切な仲間だと思いたい気持ちと、深く関わるべきでないと否定する気持ちが俺の中で葛藤を始めていた。
強い困惑に耐えきれなくなり、視線をヨンヘルからシャルディネへと逃がす。沈黙のまま数秒間シャルディネと見つめ合うと、彼女は何かを閃いたように瞼を大きく広げた。そしてすぐさま俺の耳元まで顔を寄せると、咄嗟に閃いた処置を小声で提案する。しかしそれは、俺にとって難題な選択であった。
「ま、魔力が使えれば。オルディ……オルディならこの前みたいに足輪を外して、回復魔法を使えない……か……な?」
囚人ではルーリエとシャルディネしか知らない、理解力による魔力の使用。ナターリアも言っていたが、回復魔法という概念はこの世界に存在している。ネット小説だけではなく、アニメや漫画などの二次元世界で、回復魔法というものは超ポピュラーな魔法だ。そのため、傷を治すイメージそのものを想像することは容易い。
(……そうか。俺なら魔力を使うことができる。俺が魔法を上手く使うことができれば、ヨンヘルを助けることができるんだ)
この場面での魔法使用は、ナターリアから忠告されていた【ベルバーグへの不利益】には該当しないはず。
(だが……大丈夫なのか?)
魔法が上手く使えるか、そんなことを心配しているのではない。ヨンヘルの目の前で理解力と魔法を使うことが、本当に今できる最善なのか。欲にまみれた他人を助けることは、後々に自分の首を絞めることになるのではないだろうか。
悲観的な思考が行動の邪魔をする。ヨンヘルを仲間だと感じ始めていた。その気持ちに偽りはないが、ついさっき見てしまった彼の強欲は、俺の心を揺さぶるのに十分すぎるものであった。
「……オルディ。やっぱり、オルディでも他者への回復魔法は無理だよね。もしかしたら、オルディならって思った……けど」
心配そうに俯くシャルディネの姿を見ると、同時に自分がどうしようもなく情けない気持ちになる。彼女は本気でヨンヘルの心配をしているんだ。同部屋で分かり合い始めてきた俺よりも、ずっと純粋にヨンヘルを助けようと考えていた。
(……クソッ。なんで俺はこんな考え方しかできないんだ。ヨンヘルを助けるのに、善も悪も必要ないじゃないか。今は俺の魔力しか頼るものはない。だったら、何を悩んでいるってんだ!)
すぅっと鼻で大きく息を吸うと、不細工な感情を全て吹き飛ばすように口から息を吐く。完全なる本心で助けるわけではない。シャルディネの思いに揺れた偽善とも呼べる行動かもしれない。
だがそれ以上にどうしようもなく嫌気が差したのは、フラフラと簡単に揺らいでしまう自分の貧弱な芯であった。
「シャルディネ、少し離れていてくれ。上手くできるか俺も分からない」
いつだってそうだ。少しの情報を勝手に拡張し、相手の全てを分かったように自己分析をする。自身が万人に好かれる英雄のような気質を身につけているわけでもないのに、ちょっとでも相手のマイナスな部分を見つけたら否定を始める。
揺らぐ橋の上に立っているような不安定を周囲のせいにして、他者との関係性に最も大切な信頼という絆を自ら掴みにいかない。信頼を掴むための方法は無限にあるかもしれないが、他者嫌悪に浸り、自己犠牲を恐れているうちは、相手の真意を知るなんて到底無理な話じゃないだろうか。
ヨンヘルは俺にとって恩人。それが一番大切な芯だ。彼がこれだけ強欲な理由なんて、俺が信頼を掴みとってから聞いてみれば良いだけの話。
「……なにを、始めるつもりだ?」
「ヨンヘル。この前、俺に何が見えているかを聞いたよな。これがその答えだ」
理解と解除を思考する。慣れた手つきで足輪を外すと、内に巡る魔力に集中を始めた。
「な……なんで足輪を」
「後で説明するさ。それより、今は回復することに集中してくれ」
回復魔法のイメージ。暖かい花畑で優雅に日向ぼっこをしているような、そういった精神的な安らぎではない。今必要とされるのは、物理的な事象を無かったものにするような、物体を元通りに修復するイメージだ。
手の平から対象に向けて放たれる、暖かくて柔らかな光。光に包まれた対象は、あっという間に表面的な腫れが収まり、血が溢れる傷口も塞がっていく。同時に損傷しているであろう臓器や骨などの内面も自動修復をする。そこに専門的な医療の知識なんて必要ない。
「傷が……痛みが……消えていく」
「す……凄い。ここ、この光って、大魔導士ヘンリー=クラリエッタ様が創成したとされる、
ルィ……なんだって? 俺はそんな大層な魔法をイメージした覚えはないぞ。ファンタジー世界にありそうな、極々普通の回復魔法をイメージしただけだ。その証拠に、魔力を使いすぎて疲れたっというような疲労感もないし、複雑な詠唱術だってない。いや、そもそもこの世界に詠唱術というものが存在するのかも知らないがな。
なんにせよ、回復魔法は無事成功だ。傷だらけであったヨンヘルの体を、ものの数十秒で元通りに治すことができた。同時にヨンヘルが口を開けたまま固まっている。俺自身も事が上手くいったことに驚いているが、まぁ彼の驚きに比べたら可愛いものだろう。
(さて、ここからが本番だ。俺の魔力……いや、足輪を外した事象か。ヨンヘルはこの後どうでる)
決闘の時はその場の勢いで有耶無耶にできたが、今回は違う。それに相手は知力と直感に長けたヨンヘル。俺がどう答えるか、その選択を間違えればお先真っ暗になる重大な場面。
バルアマンが暴れていた時とは全く違う緊張が、再び俺の背を強張らせていた。
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