第26話 傷を背負う者

(なんだ……? 日本刀……?)


 空から降ってきたのは、1本の日本刀だ。

 その刀は鞘から抜かれており、抜き身になった刃先が美しく輝いている。刀は一直線にルーリエの足元目掛けて飛んでくると、すっと音もなく地面に突き刺さった。

 その場にいた全員がその刀に目を惹かれる。ジャージェ達もそうだが、立ち会い人として観覧していたバーディアも急な展開に驚いて立ち上がる。その様子を見るに、この刀を闘技場に投げ入れた犯人は完全な第三者。いったい誰が何のために、そんな疑問が場を支配した。


 そんな中、ルーリエの時間だけが誰よりも早く動き出す。

 手を伸ばして地面に刺さった刀を引き抜くと、一瞬で足を拘束していた蜘蛛の糸を切り裂く。そのままの勢いで後方に少し距離をとると、鞘のない刀を抜刀術のように左腰元に構え、右足を前に開き体勢を低くした。


「──風鈴ふうりん


 ルーリエが何かを口ずさむと、瞳が艶やかな朱色に変化する。その後は、刹那の出来事であった。


「──簪落かんざしおとシ」


 刀が上空に向かって美しい太刀筋を描くと、バルカスの動きが一瞬止まった。首に一筋の線が入ると、次の瞬間、ヌルっとバルカスの首だけが胴体からずり落ちる。切断面からは大量の血液が溢れだし、空から降り注ぐ血の雨で闘技場は赤く染まった。


「……えっ?」


 俺は、目の前の光景を良く理解できていない。ルーリエが刀を構えてからここまで、ほんの1、2秒くらいの出来事だったのだ。空を飛ぶバルカスまで数メートルの距離。刀の刃が届くはずもない。まして、ルーリエは足輪があるため魔力を使うことだってできない。それなのに、ただのひと振りでバルカスの首を切り落としたのだ。

 これを飛ぶ斬撃というのだろうか。そんな荒々しいものではなかった。死神の鎌が、音もなく首を切り落とす。それはまさに無音なる鎌鼬かまいたちであった。


「バ……バル、ガ、ス?!」


 ジャージェは空から死体となって降ってくる弟を、ただ呆然と見ていた。ジャージェも何が起きたのか理解できていないのだろう。しかし、その思考回路の遅さを死神は待ってくれはしない。


「──水蓮すいれん


 ルーリエは刀を両手でしっかりと握ると、グッと足に力を入れる。途轍もない脚力で大地を蹴り上げると、目にも映らない速度でジャージェの背後をとった。


「──羽衣はごろもくるい


 そして、ルーリエが背後に立った時点で勝負は決する。俺は背後からジャージェを切りつけるのかと思っていたが、ジャージェを通り過ぎた時にその作業は終わっていたのだ。

 ルーリエの握っている刀の刃先には、真っ赤な血が滴っている。軽く刀を振って血を飛ばすと、同時にジャージェの体が10ほどの肉片となってバラバラと崩れ落ちた。


「……ふん。もっと細かく刻んでやるつもりだったけど、2年もブランクがあったらこんなものね」


 絶望的であった状況が一変した。俺は何か神の所業でも見せられているのだろうか。ヨンヘルは魔力が使えれば何とかなるかもと言っていたが、そんな次元の戦闘力ではない。その強さは、味方ながら身震いするほどだ。これが【剣聖】の実力というなら、彼女と同部屋であったことを神様に感謝するよ。


「ル……ルーリエ?」

「……なによ」


 恐る恐る声をかけてみる。明らかに動揺している俺に対し、ルーリエも若干困ったように返事をした。


「あ……いや、その」

「な、なんなのよ! 私が悪いの?!」


 ルーリエは返り血で染まった髪を揺るがせながら、恥ずかしそうに慌てている。「もしかして、やり過ぎた? そんな顔で見ないでよ!」とでも言いたいのか。流石に驚くなってのが無理だ。

 頬を赤く染めた慌て顔はとても麗しいさ。その赤が返り血の赤じゃなく、体が火照った赤ならな。


「そ、その刀はルーリエが用意したのか?」

「そんなわけないでしょ。誰がやったか大体察しがつくけど、状況が状況だったから素直に使わせて貰ったわ」


 誰がやったか分かっているのか。俺にはサッパリだが、何はともあれ決闘はこれで終わる。安心したら、体からすっと力が抜けた。そのまま腰をおろすと、焦げた右手が急にズキズキと痛みだす。


(はぁ。何とか生き延びたけど……俺の右手は再起不能だよな……)


 右利きなのに右手が使えなくなる。そりゃ、死ぬことに比べたら何倍だってましだ。だけど実際に死の危険性が失くなると、次に右手の損傷が絶望感を大きくするものさ。

 痛覚だけ残して、他の神経が切断された気分だ。指を動かそうと力を入れても、全く動か……。


(あれ? 指が……動く。それに……なんだか傷が)


 さっきまで、手が真っ黒に焼け焦げて全く動かなかった。そりゃそうさ、焚き火に手を突っ込んだなんて生易しい火傷じゃない。マグマに手を突っ込んだレベルで焼け爛れていたのだ。いや、焚き火にもマグマにも手を突っ込んだことなんてないがな。

 だが、動かせるようになっているどころか、良く見れば皮膚が少しずつ捲れ、新しい綺麗な皮膚が次々と生成されている。超回復というのか、痛みも少しずつ引いている感じがした。


(なんだ……この体。不死身……なんて都合の良い力があったりするのか?)


 転生恩恵が頭を過る。俺は勝手に【理解力】だけが自分の特殊な力だと思っていた。もしかして、転生恩恵は他にもあるのか?

 そんな可能性を考えていた時、ルーリエが刀を構え直して歩き始めた。


「あとは蜘蛛女だけね。私に糸を巻きつけて……覚悟はできてる?」

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい」


 シャルディネはなす術なく踞り、身を震わせながら「ごめんなさい」とひたすら呟いてる。そんな相手でも情を抱かないのがルーリエだ。お構い無し狙いを定めると、勢い良く走り出そうとしていた。


「ルーリエ!! 待ってくれ!!」


 ルーリエを止めると、彼女は不満そうにこちらを睨みつけた。俺は情を感じているんだ。考えてみれば、シャルディネはここまで「ごめんなさい」の言葉しか喋っていない。竜族ドラゴニックと同じ部屋であることを考えると、普段から彼らの言いなりにされていたのでは。と思ったのだ。


「なに? もしかして、決闘の相手に情けでもかけるつもりなの? シャルディネも囚人で悪人。それに私達を殺そうとしたのよ?」

「ルーリエ、君の言いたいことは分かる。だけど、決闘をシャルディネが望んでいたのか。それを聞いておきたいんだ」


 シャルディネのすぐそばに座ると、震える彼女の肩にそっと手をのせた。落ち着かせるつもりであったのだが、シャルディネはビクッと肩を弾ませると、更に小さく踞って「ごめんなさい」と繰り返す。

 正直異常である。いくら目の前でジャージェ達を殺した相手とはいえ、その怯え方は臆病なウサギより酷い。ルーリエもその姿に違和感を覚えたのか、俺の隣に座ってシャルディネを観察した。


「あなた……もしかして」


 ルーリエがおもむろにシャルディネの服を捲る。ビックリした俺は一瞬だけ目を逸らしたが、横目に入ったその背中に思わず息を飲んだ。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「あなた。この傷はどうしたの?」


 シャルディネの背中には、古い傷や新しくできた生々しい傷が無数に入っていた。それは背中だけで留まらず、腰から下にも続いているようだ。


「何かおかしいと思ったのよ。女性は入浴の時間が全員同じだから、たいていは顔を覚えている。だけど、入浴であなたを見たことはなかった。これは誰にやられたの?」


 ルーリエはあえてシャルディネの口から犯人の名前を言わせるように質問した。これまでの挙動を見れば、その犯人がジャージェ達であるのは誰にでも検討がつく。

 シャルディネはそれでも小さく「ごめんなさい」と呟くだけだ。その痛々しい姿に、ルーリエは思わずシャルディネの体を抱き寄せた。


「安心しなさい。馬鹿な竜族ドラゴニックは私が殺した。あなたが恐れる相手は、もういない」


 先ほどまでシャルディネを殺そうとしていた者の言葉かよと心で叫ぶ。まあ、実際にそんな野暮な突っ込みを入れるほど俺は馬鹿じゃない。あくまで心で叫んだのだ。

 ルーリエの抱擁に温もりを感じたのか、シャルディネからポロポロと涙がこぼれ落ちる。前髪が揺れ、隠れていた青色の瞳が姿を見せると、その瞳からは溢れだした雫が止まることなく流れていた。


「……わた……し。まい、にち。殴られて。傷が見られるから、風呂に、入るなって。看守は、気づかないふり。トイレで、服を、とられて……2人がかりで、押さえ、つけられて。まい、にち……体で、もて遊んで……ごめん、なさ、いって……何回も……なん、かいも……」


 ──言葉が出なかった。

 俺は、この監獄では規律が全てであり、それは当たり前のように守られていると勘違いしていたのだ。

 看守だって全能じゃないし、全員が正義の心で動いているわけじゃない。ジャージェ達の横暴を金で見てみぬふりをしていた奴もいるはずだ。

 シャルディネは、そんな恐怖に毎日縛られて生きてきた。俺だって房が違えば他人事ではない。たまたま良き人物達がいた房に恵まれただけ。ナターリアの言葉が蘇る。ここは『最低最悪の地獄』なんだ。


「オルディ。決闘は終わりでいいわね」


 ルーリエは怒りに体を震わせていた。片方の手はシャルディネを優しく抱き締め、もう片方の手は強く拳を握りこんでいる。撤回しなければいけないな。彼女に情がないと感じたのは、俺の軽はずみな心であった。


「ああ、決闘は終わりだ」

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