第9話 欲望をかき立てる監獄

「規律の内容は、だいたいがこの本に記されているよ」


 ヨンヘルが取り出した1冊の本。無装飾の表紙には【ベルバーグ監獄規律書】と書かれ、裏表紙にはご丁寧に【更正せよ犯罪者】と憎たらしい文字が書いてある。使い回されているのか、角は擦れ、いたるところに染みのような汚れができていた。

 辞書のように分厚いわけではないが、漫画のようにスラスラと目を通せる物でもない。結構な文字数が規則正しく並び書かれているが、普段ネット小説を読み漁っていた俺にとっては、そう苦になるものでもなかった。


「色々と書いてあるけど、重要な部分を切りとって教えてあげるよ」


【規律第1条】囚人は看守への敬意を怠ってはならない。

 これはナターリアが俺に教えたことだ。囚人と看守の間には圧倒的な格差がある。当たり前の話だが、囚人が看守に逆らうことは許されないってことだな。


【規律第4条】毎日の点呼にはいかなる理由があろうとも参加すること。

 ヨンヘルが言うに、点呼は1日に3回。朝6時である起床時間後。昼食後にある自由時間が終わった午後6時。消灯時間である夜11時の1時間ほど前に最後の点呼だ。この時は全員が通路から見えるように立ち、看守に名前を呼ばれるので返事をする必要があるらしい。


【規律第9条】同部屋の住人はいかなる他種族間であってもお互いを尊重し合うこと。

 この世界には、数百種という数の種族が存在するらしい。種族によって思考理論は大きく異なる。中には色々な宗教もあり、それによって様々な戒律などもあるみたいだ。同部屋に住む限りはそれらを否定せず、尊重し合い助け合うことが大切である。そのため、同部屋の住人で争いや揉め事を起こすと、容赦なく罰則が与えられるらしい。


「他にも色んな規律があるけど、この3つを意識すれば最低限は生きていけるさ。特に9条の他種族間の尊重は、同部屋以外でも常に意識したほうが良いよ。この監獄は荒くれ者が多いから、下手な反感は何も特をうまない。ただでさえ君は、反感を買いやすい立場にいるからね」


 ヨンヘルの言いたいことは良く分かる。確かに俺はここから何もしず大人しく過ごしても、竜族ドラゴニックからは憎まれる。竜族ドラゴニックに味方する種族が他にもいるなら……いや、間違いなくいるだろう。

 審議のことを思い出すに、竜族ドラゴニックのラディウス家は、力で貴族までのしあがった種族だ。そのカリスマ性はかなり高いはず。監獄といった荒くれる場所なら、竜族ドラゴニックそのものを敬愛する種族がいるのは必然だ。

 そんな中、竜族ドラゴニックに憎まれている俺が同居者になるんだ。ヨンヘルもいらぬ飛び火を受けたくないのだろう。俺のこれからの行動は、他の同居者にとってもかなり影響を及ぼすはずだ。


(……他の同居者?)


 そういえば、部屋は基本的に4人部屋だったな。ここまでくる最中の部屋にもベッドが4つあり、数々の囚人達が割り振られていた。ただ、4人いる部屋もあれば、2人しかいない部屋もあった。そして俺の部屋にはヨンヘルが1人。こんなバラバラに囚人を部屋割りするものなのだろうか?


「なぁ、この部屋はヨンヘルしかいないのか?」

「いや、そんなことないよ。今は女性の入浴時間だからね。もうすぐ、他の同居者が2人帰ってくるよ」


 ──女性?!

 驚いた俺は、思わずベッドに目を向ける。1番奥にあるベッドはヨンヘルが寝そべっていたもの。その隣には、俺のために空いている質素なベッドみたいだ。

 そして、その隣に2つ並ぶベッド。そういえば、その2つは綺麗に整頓され、何となくだが甘い女性のような香りが……。いや、気のせいだとは思うが、女性と言われたら勝手に俺の嗅覚が甘い香りを感じているのだ。


「なぁっ?! 男女共同の部屋なのか?! ここって監獄なんだよな。大丈夫なのかよそれで?」

「君は気をつけたほうが良いよ。総監様の乳を揉みしだいたんだろ? ここベルバーグで【性欲】を発散することは、かなりの重罪だからね。男女共同の部屋にする理由は、自身の理性を成長させるためでもあるんだ。もしも性行為が看守にバレたら、即刻首を跳ねられるよ」


【規律第27条】性行為、繁殖行為、自慰行為を固く禁ずる。

 ベルバーグでは、三大欲求の1つを制限している。ベルバーグに収監されて、初めにそれがきっかけで暴れる者は多い。監獄というだけあって、快楽が得られるものは少ない。その状況で異性と同室で日々を過ごすのだ。

 収監されてすぐもキツいが、それは長い年月を過ごすにつれて過酷なものとなるらしい。慣れ親しんだ同居者は、部屋の中でどんどん無防備に変わっていく。そんな異性を前に、永遠と性欲を制御しなければならないのだから。


「いや……揉んだことは間違いないのだが。あの時はなぜか意識が朦朧としていて」

「フェロモンを嗅いだのかな? まぁそれなら普段は問題ないだろう。だけど、三日月刻みかづきのこくは例外だ。俺には性欲って概念がないから関係ないけど、同居者は若い鬼族オーガ妖精族エルフィだからね」


 噂をすれば、外から黄色い声が聞こえてきた。

 数十人ほどの女性の声がどんどんと近づいてくる。入浴を終えたばかりの女性。俺は恐る恐る入口の方を振り返ると、その光景に血が昇る。


 鎧を全身に纏った看守を先頭に歩く美女達。誰もが髪を艶やかに濡らし、肌は風呂上がりの保湿で潤いに満ちている。鳥のような羽がはえていたり、鹿のような角がはえていたり、その姿は多種だ。しかし、そのどれもが俺と変わらない人型であり、誰もが個々に美しい。

 これが異世界というものなのか。ヨンヘルの顔立ちが整っていることもそうであるが、アニメや漫画などに出てくる主要の人物は、どれも男女の理想像をしていることが多い。

 ここはまさにそれだ。歩いてきた女性陣は、可愛い系統の子もいれば、美形の子、スタイルがまさに贅沢ボディの子まで、全人類の理想を叶えることができそうなほどに多彩だ。

 馬鹿だと言われるかもしれないが、これが異世界の標準というならば、俺はこの世界に来たことを初めて感謝する。


(そういえば、ナターリアも滅茶苦茶な美人だった。偉そうに上から目線になってしまうが、全員があれほどの美人とまでいかないにしても、負けず劣らずのレベルだ)


 スーパーモデルが歩くランウェイを眺めるように、俺は美女達の艶やかな小さい行列に見惚れていた。すると、あきれ顔のヨンヘルが肩を軽く叩いてため息をつく。


「鼻の下を伸ばしているところを見ると、君はやはり女好きのようだね」

「なっ、当たり前だろ! 綺麗な人や可愛い子に見惚れるのは、男なら当然だ!」


 囚人服はいわば布切れ1枚みたいなものだ。風呂上がりの美女達がそんな服を着ていれば、色気は数倍にも跳ね上がる。この絶景とも例えれる光景に、ヨンヘルがたいした反応を示さないことの方が気色悪いというもの。

 この監獄生活も意外と悪くないのじゃないかっと考えていると、ヨンヘルは釘を刺すように説明を始めた。


「この監獄は、確かに容姿の良い者が多い。今の総監様は意地悪だからね。極悪犯罪者の中でも、容姿が良い者を率先してベルバーグに収監しているのさ。理由が分かるかい?」

「容姿が良い者を選んでいる? 何でわざわざそんなことを?」


 ヨンヘルは【規律第27条】を指でポンポンと叩く。一瞬意味が分からなかったが、その意味を理解した瞬間に、俺の背筋は凍った。

 この規律書はかなり古い物である。【規律第1条】の制定者には第1代総正監の名前が記載されている。そして、【規律第27条】の制定者に記載されていたのは、第8代総正監『ルーデウス=エリルリア=ナターリア』であった。


「元々ベルバーグは、男性囚人のみが収監される監獄だった。だけど今の総監様は数年前に【規律第27条】を新たに制定した上で、女性囚人の収監を容認したんだよ。あえて欲求を高めるように仕向けているんだ。きっと人の欲求に耐え忍ぶ様を見たり、規律を破った者の処罰をしたり。それらを楽しんでいるんだよ。まったく、サディスティックなお方だ」


 一通りの規律について話を終えたヨンヘルは、規律書を俺に渡してベッドに戻る。そのまま寝転がると、俺の顔を見て笑みを浮かべながら忠告した。


「それと……生き残りたいなら決して忘れちゃいけないよ。俺を含め、ここにいる奴らはみんな極悪人だからね」


 俺はすでに忘れかけていた。ここは監獄、犯罪者の溜まり場だ。ヨンヘルと気兼ねなく話せたことで、もう気が揺るんでいた。

 通路を歩く女性はみんな美しい。だが忘れてはいけないんだ。ここにいるのは、もれなく全員が悪党だということを。


 ──しかし、しっかりしなければと改めて気を引き締め直したその時。看守に連れられた2人の女性が部屋の前に立った。その2人を見た時、数秒前に引き締めた俺の決意は、意図も簡単に綻び始めたのだった。

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