囚人から始まる異世界逃亡記

雄太朗

第1章 囚人

第1話 死刑執行

 正義を謳う者は、必ず矛盾に支配されている。

 もし君がここに来てしまったのなら……それは、私にとって最大の矛盾となるだろう。

 そうならないことを、私は願う。


           オルディ=シュナウザー


――――――――――――――――――――


「準備はできたか?」


 謎の声で目が覚める。

 ──体が、動かない。ここは……どこだ?


 目に届いたのは、微かな光。

 薄手の布か何かで目隠しをされているような圧迫感。口には猿轡さるぐつわのようなものを咥えさせられ、声をまともに発することができない。

 椅子に座っているようだが、動くことができないように手足を椅子に固定されている。それに加え、頭には鉄の塊のように重たくて固い帽子を被っているみたいだ。


 小さな個室だろうか。湿っぽい匂いが鼻を突き、カチッカチッと時計のような機械音が反響している。部屋に吹き込む隙間風が肌を撫で、濡れた全身に悪寒が駆ける。髪からは、水を被ったようにポタポタと水滴が落ちていた。


「これより、オルディ=シュナウザーの死刑を執行する」


 オルディ=シュナウザー……?


 俺は突然聞こえた声に首を少し傾げる。

 現実では聞きなれない、アニメや漫画などに出てきそうな名前。誰のことなのだろうか。いや、それよりも意味が分からなかったのは言葉の後半だ。


(死刑を始める? 何の話をしているんだ?)


 その数秒後であった。

 ガコンっと何かスイッチの入る音が聞こえた瞬間、信じがたい激痛が全身に降り注ぐ。


「ぐぅがぁぁあぁぁぁあぁ!!」


 一瞬で神経が覚醒し、頭で理解するよりも早く体が叫びをあげる。それはまるで、脳天から足先までの血液が絶え間なく沸騰しているような苦しみだ。

 髪と皮膚の焼け焦げた悪臭が纏わりつき、体はビクビクと無意識に痙攣を繰り返す。しばらくその苦しみが続くと、感覚を失った体は力なく項垂れた。


「視認においてのオルディ=シュナウザー死亡を確認。雷椅子の電源を切れ。これより医師による核と瞳孔の確認を行う」


 途切れそうな意識を叩き起こすように、誰かが俺の顎を強引に持ち上げる。触られている感覚はあるが、体のどこにも力が入らない。

 無抵抗のまま撫でまわすように顔をなぞられると、その手が瞼に触れる。重くただれた瞼を強引に広げられると、強い光が差し込んできた。



「がはぁっ!!」


 目を開けると、そこはいつものベッドの上だった。額には大量の脂汗が吹き出し、バクバクと高鳴る心臓がおぞましい悪夢を物語る。


「今のは……夢?」


 流れる汗を服で拭うと、そのまま呆然と見慣れた天井を見つめた。とても生々しい夢に、腕には鳥肌がたっている。しばらく体を横にして荒れる呼吸を落ち着かせると、渇ききった喉を潤すために台所へと足を向けた。


(母さんは……仕事か)


 台所の机には、いくつもの封筒が散らばっている。そのどれもが久瀬くぜ恭介きょうすけ宛になっていた。自分宛になっている封筒。その1つを手に取ると、大々的に記載された言葉に寒気が走る。


【重要】【重要】【重要】


 どの封筒にも、ご丁寧にその言葉が書いてあった。これは督促状だ。お国様から義務と名づけてやってくる年金や健康保険料。それと、高校に行った際に使った奨学金。

 そんなものは仕事をしていない俺に払えるはずがない。日々の生活費もいるんだ。こんなもの払えないと突っぱねれば良いのに、俺の母は糞真面目に払おうと朝も昼も夜も仕事漬け。


 父は俺が小さい頃に蒸発したらしい。噂では愛人を作って急に消えたとか。母は俺なんて捨てれば良かったのに、嫌気が差すほど愛情を注いでくれた。

 1人で俺を育ててくれた母が大好きで、いつも何か恩返しがしたいと思ってはいる。だから17歳の時、少しでも稼いで楽にしたいって思い、母の意見を無視して高校を中退し、就職条件に学歴不問と書いてあった営業職についた。


 しかし学歴がなく歳も若かった俺は、想像以上に世間からつまはじきにされた。何がそんなに違うのか。仕事は他の人より頑張ってきたつもりだ。それでも、周りは俺のことを認めてくれなかった。

 耐えきれなくなった俺は、20歳で仕事をやめ、気づけば26歳にしてニート生活6年目といった体たらくな人生を過ごしている。

 なんでもいいから働かないとって考えてはいるさ。明日からやろう、いや正確にはもっと酷いな。昼になったら行動しよう。あと10分休憩したら……。


 そんな怠惰は永遠と積み重なる。

 そしてまた、俺は屑みたいな日常を過ごすんだ。


(仕方ないさ。働いたって、何も楽しいことなんてない。ひたすら上司の機嫌をとり、ただでさえ働いた仕事量に見合わない給料。それなのに、世の中は金を奪うことばかり考えている)


 俺はすでに自己愛に支配されていた。都合が悪いことはなんでも他人のせいにする。それくらいの横柄な気持ちがなければ、6年間もニートなんて続けられない。


 冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出すと、その後は迷うことなく部屋に戻る。再びベッドに寝転がると、おもむろにスマホを手にとり、いつものアプリを開く。最近はネット小説にはまっており、気になったファンタジー小説を片っ端から読み漁る。そうして毎日を過ごしていた。


(いいよな。異世界転生の世界は気楽なもんだ。何だって主人公に都合良く物語が進んでいく)


 近年は特に珍しくもない異世界転生のファンタジー小説。転生した主人公は、前世の記憶があるくせにどいつもこいつも行動力に満ちてやがる。

 今読んでいる物語も同じ。30歳、ニートで童貞。よくあるテンプレ設定だ。そんな奴がわけの分からない世界に飛ばされて、その日から生まれ変わったように動き出す。

 俺から言わせてもらえば、そんな行動力があったらニートになんてなっていないんだよ。そんな簡単に変われるわけがないんだよ。


 ──また始まった。他人を否定して自分を正当化する思考が。

 ふと気づいてしまった。こんな思考だから変われるはずがないのだ。そして、それに気づいても俺には行動することなんてできない。

 ガバッと布団を引き上げ、暗闇の世界に身を隠す。何も考えたくない時は、こうやって自分の世界に閉じこもれば良い。


「分かっているんだよ。このままじゃ、ダメだって。だから、だから俺も……異世界にいけたら。異世界転生なんてものが本当にあるなら、俺も変われるのに」


 悔しさに歯を軋ませ、呪文のように言い訳を吐く。逃げていたって、その先にあるのはいつも暗闇だ。そんなことは分かっている。

 せめて今は夢物語を妄想させてくれ。俺はそう願い、瞼を閉じてあるはずがない非現実を妄想する。すると、突然強い睡魔に襲われた。



「……い。……だろ? こ……つ、生き返ったのか?」


 謎の声で目が覚める。

 ──体が、動かない。ここは……どこだ?


「確かに死んだはずだろ?! それどころか、傷まで治っているぞ」


 誰かが酷く騒いでいるが、俺は目を開けることができない。というより、体がどこも動かない。強い金縛りにかかっているのか、足が痺れている時のような感覚が全身を包む。


(また夢か? こんな変な夢を続けて見るなんて、どうかしちまっているな。夢くらい楽しいものを選ばせてくれよ)


 数人の慌てる声と足音が耳につく。状況が分からなくて困っているのはこっちだと言ってやりたいが、声を出すことができない。


「理由は分からないが……死刑は中止だ。レクタス公爵様に至急連絡を。ひとまずオルディ=シュナウザーは独房に運ぶんだ」


 落ち着いた声で指示を出す者がいる。そのまま俺の体は何者かに担ぎ上げられどこかに運ばれた。せめて目が開けばもっと状況が分かるのだが、とりあえず現段階で分かったことが3つ。

 1つ、これは今朝に見た夢の続きだ。そしてもう1つ、オルディ=シュナウザーってのはどうも俺のことらしい。最後に1つ、何者か分からないが、俺を担ぎ上げている者からは獣のような異臭がする。


 しばらくしてどこかにたどり着いたのか、何者かの足が止まる。ガチャガチャと鍵を開けるような音がすると、その後すぐにガタンと扉が開く。

 俺は勢い良く投げ飛ばされると、草のような物の上に叩きつけられた。


(いってぇな。体が動かない人間を、勢い良く投げ捨てやがっ…………痛……い?)


 ──思い出した。

 今朝の夢、あの時も尋常じゃない痛みが襲ってきた。夢に痛覚なんてあるのか?

 まさか、もしかして、いや……ありえない話だ。

 だが、もしもそうだとしたら……。


 焦る気持ちが瞼に力を与える。まだ痺れる体は自由が効かないが、それでも初めよりいくらかは力が入る。微かにだが目を開けると、そこにはボヤけた視界でもハッキリ分かる異端が映った。


(な……なんだよ、こいつ)


 鉄格子越しに見えたのは、先程まで俺を担ぎ上げ運んでいた男。いや、男なのだろうか。そこに立っていたのは、人間のような体型に鎧を纏い、首から上が狼の化物。

 体長は裕に2メートルを越え、鎧を装着していても分かる膨れ上がった筋肉。灰色の体毛に覆われ、巨大な槍を携えている。口には鋭い犬歯が規則正しく並び、そいつは餌でも見るように、はみ出した大きな舌から涎を垂らしてこちらを睨みつけていた。


(嘘だ……ろ? これって、本当に)


 目の前の異常事態に、頭の中を過ったのはネット小説で良く読んでいた異世界転移。まさかと疑心暗鬼になっていた俺は、この後すぐに思い知ることとなる。

 そして、俺はこの時まだ気づいていなかった。これから始まる壮絶な日々に。

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