第2話 転生者への恩恵

(これは夢だ……これは夢だ……これは夢だ……)


 自らに言い聞かせるように、頭の中でひたすら呟いてみる。どちらにせよ体はまだ痺れて上手く動かせない。だったら静かに瞼を閉じて、自然とやってくる睡魔に身を託すしかない。

 その作戦は成功だ。羊を数えるようにひたすら『これは夢だ』と繰り返していたら、俺は気づかぬうちに眠りについていた。



「おい!! 起きろ!!」


 何時間か過ぎただろうか。突然の大声に目を覚ますと、体の痺れはなくなっていた。やっぱり夢だったかと呑気に体を伸ばした後、目を開けて思考が停止する。


 見上げた天井は石のレンガみたいな物でできている。埃で薄汚れ、いたるところにクモの巣が張りついていた。

 部屋の大きさは約2畳ほどだろうか。埃臭い粗末な藁のベッド。部屋角には床に空いた小さな穴が1つ。窓もなく石レンガに囲まれ、正面には鉄格子のような囲い。状況は理解できないが、断言できることはある。ここは、見慣れた自分の部屋ではない。

 恐る恐る体を起こすと、目の前には先程の狼人間が険しい顔で立っていた。


「オルディ=シュナウザー。まもなく貴様に対する審議が始まる。いつまでも寝そべっているでない!」


 俺は狼人間が何を言っているのか意味が分からなかった。言語は聞きなれた日本語と同じだ。それは理解できるが、文章の意味が理解できないのだ。審議とは何のことなのか。そもそもこれが夢なのか現実なのかすら混濁しているんだ。


(分からないことを考えていても仕方ない。もしこれが本当に異世界転移だっていうなら……これはどんな状況なんだ?)


 夢かどうか、それを考えるのは一旦やめよう。今は現実であった場合の状況把握をしたほうが賢明だ。そう考えながら壁に手を当て、立ち上がろうとした時であった。


『理解しました。名称【ドレークレンガ】。ドレーク地方の山脈から取れるセメン鉱石を、粘土質の土と混ぜ加工されたブロック。その強度はユーラント鉱石と同等のシピンレベル11。熱と振動に特化した強度を持つが、濃度の高い酸化水に浸けると、シピンレベルが2~3まで低下する』


(──?!)


 突然であった。頭の中に文章が浮かび上がる。

 何が起きているのか分からないが、壁に触れている右手が少し暖かい。唖然としたままその手を離すと、頭に浮かんだ文章は何もなかったように消えていった。


(なんだ……これ?)


 目の前に立っている狼人間には聞こえていないようだ。呆然と立ち尽くす俺のことを、不思議そうに見下ろしている。

 そもそも、言葉として聞こえたというより、頭の中に直接文字を書かれたような感覚だった。俺は確認するようにもう1度軽く壁に触れてみた。


『理解しました。名称【ドレークレンガ】。ドレーク地方の山脈から取れるセメン鉱石を、粘土質の土と混ぜ加工されたブロック。その強度はユーラント鉱石と同等のシピンレベル11。熱と振動に特化した強度を持つが、濃度の高い酸化水に浸けると、シピンレベルが2~3まで低下する』


 同じだ。さっきと同じように文章が頭の中に浮かび上がる。ただ聞いたことのない言葉ばかりだ。


(現実世界にドレークレンガなんて物はあったか? それにシピンレベルってなんだ? 何かの専門用語なのか?)


 他にも分からないことだらけだが、何故か右手で触れると勝手に文章が頭を巡る。

 俺は腰の力が抜けた。そりゃそうさ、全てが意味不明過ぎる。ひとまず頭の中を整頓させようと、勢い良くベッドに座りこんだ。


『理解しました。名称【ウール草】。自然界のいたる場所に生える雑草の1種。栄養素はほとんどなく、人族の食用には適していない。日光に当てて乾燥させると緩衝機能が増し、簡易的な寝床として使用できる。乾燥させると熱耐性が弱くなり、少しの火種で引火する』


(──?!)


 再び文章が頭に浮かぶ。右手が藁に触れている。咄嗟に右手を宙に上げると、そこで俺は厄介なことに気がついてしまった。

 能力なのかどうか分からないが、何かが右手に触れると問答無用で文章が頭の中を駆け巡る。その証拠に右手が藁から離れた瞬間、先程と同様に文章が頭から消えたのだ。


(な……これって常時発動なのか?! こんなんじゃ常に頭の中一杯で何も考えられないぞ! 何とかならないのか?!)


『理解しました。転生恩恵【理解力】の自動発動を手動発動に切り替えます。任意で使用したい場合、右手で触れた物に向かい【理解】と思考してください』


 なんだよそれ。なんで自動発動とかになっているんだ。いや、確かに自動発動じゃなければ一生気がつくことなんてなかったかもしれないが。

 感謝すべきかしないべきか。それよりも、これは異世界転移じゃない。

【転生恩恵】だって?

 思いっきり転生って言われているじゃないか。異世界転生だとしたら……俺はいまオルディ=シュナウザーって人間なんだよな。ということは、異世界転移や召喚じゃなく、新たに生まれ変わったってことでいいのか?

 体を見る限り普通の人間だ。灰色の安っぽい生地で作られた半袖の服と七分丈のズボンを着ている。左足首には、鉄のような物で作られた黒い足輪がはめられていた。鏡になる物が何もないから確認できないが、顔を触ってみても狼のようにモサモサはしていない。


(──そうだ!)


 閃いた俺は右手を自分の顔に当てると、頭の中で【理解】と叫んでみた。


『理解できません。理解できません。理解できません』


 理解が拒否された。何がいけないんだ?

 自分を理解してみれば何か分かるかと思ったが、そんなに甘くはなかった。やり方が間違っている可能性もあるため、俺はベッドの藁を右手で握ると、再び【理解】と頭の中で叫んだ。


『理解しました。名称【ウール草】。自然界のいたる場所に生える雑草の1種。栄養素はほとんどなく、人族の食用には適していない。日光に当てて乾燥させると緩衝機能が増し、簡易的な寝床として使用できる。乾燥させると熱耐性が弱くなり、少しの火種で引火する』


 やり方は間違えていないようだ。だとすると、何か制限みたいなものがあるのか?

 どうにせよ、今はこれにしか頼ることしかできない。少しでもこの力で現状把握をするしかない。そう考えていたら、すぐに事態が動き出す。


 どこか遠くで扉の開く音がした。何人かの足音が辺りに響くと、その足音は俺の前で止まる。

 狼人間とは違う。1人は俺が知っているごく普通の人間だ。年齢は50代後半といったところか。綺麗に整った顔は、勇ましい顎髭がよく似合う。豪華に装飾されたマントを羽織り、立ち姿に気品が満ちていた。


 その後ろには銃と剣で武装した護衛のような人間が3人。この3人には違和感がある。人間と同じ姿をしているが、明らかにおかしな部分があった。目に生命力がないのだ。瞳孔が大きくなったり小さくなったりして、カメラのレンズのようにピントを合わせている。

 歩き方も直線的というか、なんだか固さがある。俺の知識で思い浮かぶとすれば、映画などに出てくる感情のないサイボーグがしっくりとくる。


「こ……これは?! レクタス公爵様!! このような場所に公爵様が自ら!?」


 狼人間は背筋を伸ばし、先頭の男に向かい敬礼をする。公爵といえば、貴族などの階級で良く使われる爵位だ。その中でも最上位につけられるのが大公爵や、公爵。そんな大物が、なぜこんな薄気味悪い場所に来たのだろうか。


「こ……公爵様!! あまり囚人に近づかれては危険です!!」


 レクタス公爵と呼ばれた男は俺の前で膝を突き、じっと目を合わせてくる。それより、俺が囚人だって?

 その言葉に気をとられた俺は、思わず衝動的に公爵の目を睨みつけるように見返してしまった。


「貴様?! 公爵様に向かってなんて目つきを! 公爵様、お下がりください。こいつには罰を……」


 槍を勢い良く振り上げる狼人間であったが、レクタス公爵はそれを止めるよう手を差し向ける。


「いやいや、大丈夫だよ。それに鉄格子越しでは何もできまい。オルディ=シュナウザー、今から君の審議が始まる。君はありのままの言葉をそこで発言するんだ」


 ありのままだって?

 俺は今の状況が何も分かっていない。それなのに何ができるっていうのか。意味が分からない俺は、ただ呆然と座りこんでいた。

 すると、レクタス公爵は俺にしか聞こえない小さな声で呟いた。


「……その目は、まるで死んだ魚だな。恭介きょうすけ君」

「──なっ?!」


 俺が慌てて立ち上がろうとすると、それよりも早くレクタス公爵は立ち上がり後ろを振り返る。そのまま狼人間に俺を連れてくるよう指示を出すと、こちらを見ることなくこの場を後にした。

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