第3話 三大貴族
「おい!! 何で俺の名前を知っている!?」
俺は声を大にして叫んだが、レクタス公爵は何も反応を示さなかった。慌てて鉄格子にしがみつき、レクタス公爵の背中を見ながら、届くはずがない手を必死に伸ばす。だが、視線を遮るように狼人間が目の前に割り込んだ。
「行くぞオルディ=シュナウザー」
「なっ?! 行くぞって、どこに連れてくんだよ!!」
鉄格子の扉を開けて中に入ってきた狼人間は、いきなり俺を力で拘束する。なす統べなく床に倒されると、手足に錠をはめ、目には布のような物を巻きつけて視界を奪った。
「なにしやがる?! 俺が何をしたっていうんだ!!」
敵わないと分かっていたが、俺はできる限りの抵抗を考えた。必死に体をくねらせ、ジタバタと子供のように地を転がる。しかし狼人間は赤子を抱えるように軽々と俺の体を担ぎ上げた。
「安心しろ、死刑場に連れていくわけではない。今から貴様は審議にかけられるのだ」
「だから、その審議ってのが何なんだか分からねぇんだよ!」
狼人間はそのままどこかに向かい歩き始めるも、視界を奪われている俺は、それがどこに向かっているのか検討もつかなかった。
歩き出してから数分が経った時であった。俺はすでに抵抗を諦めて項垂れている。すると、狼人間は少しだけ寂しそうな声で話しかけてきた。
「……貴様、本当に記憶が失くなっているのか?」
「記憶を……失っている?」
──その発想はなかったな。
俺は数時間前、自分の部屋のベッドで踞っていた。それ以前の記憶もしっかりと残っている。だがこれが本当に異世界転生なら、それは前世の記憶になるのか?
そうなると、確かに記憶がない。そもそも考えてみれば、異世界転生ってのは現実世界で死んだのをきっかけに、異世界で赤子とかに生まれ変わったりすることが普通だろ。オルディ=シュナウザーという人間に転生したみたいだが、この体はどう考えても前世の俺と同じような年齢だ。この体が俺と同じ26歳と仮定すると、俺が転生する以前は何をしていたんだ?
「囚人と馴れ合うのは許されない行為だが、貴様とは別だった。もう1度聞くぞ? 本当に何も覚えていないのか?」
「……ああ。俺は自分の名前すら覚えていない。まだオルディ=シュナウザーって呼ばれることに違和感もある。あんたは俺のことを知っているのか?」
自分のことは分からないが、狼人間の言動や自分の状態を思い出すに、決して恵まれた状況ではない。囚人と呼ばれるだけで嫌な予感しかしないが、死刑場と更に不気味な言葉まで聞いてしまった。
「俺は独房専属の刑務官だからな。貴様ともそれなりに長い」
「それにしては、さっき俺のことを食い物みたいに涎を垂らしながら睨みつけていたよな」
涎を垂らしながら睨みつけてきた姿は、刑務官というより殺人犯だったぞ。俺が囚人だということは、何か罪を犯したのだろう。それは理解できるが、さっきの狼人間の目つきもなかなか酷いものがあった。
「ガッハッハ、仕方なかろう。それは
狼人間は笑いながら恐ろしいことを言っている。それなりに付き合いが長い相手を、ただの食欲衝動で喰らおうとするとは。会話の前半にある恐ろしさと後半にある謝罪とのギャップがまたおぞましい。
「あぁ、そんなことは気にしてない。というか、まだ現状が把握できていなくて、そんなことに気を回す余裕がない。あのレクタス公爵って人がここで一番偉いのか?」
公爵と呼ばれた男。あの男が公爵だとかそんなことより、俺の実名を知っていたことに謎が多い。
狼人間に聞こえないよう小声で俺の名前を呼んだということは、異世界転生は極一部の者だけが知っていることなのだろう。それにしても初対面で俺の名前を知っているってことは、奴が俺の転生に大きく関与している可能性が高いはずだ。
「そうか、三大貴族様のことも覚えておらぬのだな。現在貴族を名乗ることができるのは、王族に認められた三家だけだ。その家柄の名にのみ、爵位を与えられる。例えば、マベル=レクタス公爵様は三大貴族の1つ、
三大貴族か。独特なしきたりがありそうだが、これまた異世界にはよくある設定だな。俺が読んだファンタジー小説だと、大抵この貴族の誰かが裏幕だったりするんだ。レクタス公爵、今のところ奴が1番怪しいな。
「もう1つは
鯨に竜。この狼人間といい、亜種族というのだろうか。現実世界とは生態系が全く異なるみたいだな。それにしても、
「
率直な疑問を投げかけただけのつもりだったが、狼人間は少し困った様子で返事に詰まっていた。俺は何がそんなまずかったのか分からなかったが、狼人間の答えに気を失いかけてしまう。
「そうだな。覚えていないのなら仕方がない。貴様の言うように、ラディウス家にも公爵様はいた。違うとすれば、ラディウス家は大公爵と侯爵の2つが存在しないため、伯爵が実質2番手だ。
「
狼人間は足を止めると、大きくタメ息を吐く。すると先程までの軽やかな口調が一変し、答えるその声にはずっしりとした重圧が帯びていた。
「爵位の継承にはそれなりの順序があるのだが、ラディウス家ではそこに支障が出てしまい、爵位継承に時間がかかっている。その原因が貴様にあるのだ。ラディウス家公爵ラディウス=ラグディア様は、貴様に殺された。死刑囚オルディ=シュナウザーの罪状は【公爵殺害】。この世界でもっとも重罪とされる犯罪の1つだ」
「──なっ?!」
それは狼人間が返答に困るはずだ。
状況は俺の想像の10倍は酷かった。この異世界がどれほど大きなものか知らないが、世界を治める三大貴族のトップを殺害したって?
そんな大罪を犯しておいてさも他人事のように話を聞けば、いくら記憶がないとはいえ不信感が強まるというもの。さらっと言われたが、死刑囚というのも納得がいく。あまりの絶望に頭がクラクラとしてきた。
それにしても、そんな大罪を犯して幽閉されていたのならば、なぜ今になって再び審議なんて行うことになったんだ?
そんな慈悲をかけられることなく、問答無用で死刑が執行されそうなものだ。だいたいなんでこんな人間に俺が転生したんだ。疑問はいくらでも出てくるが、悩んでいても仕方ない。分からないことは尋ねるに限る。
「なぁ、俺の状況がとんでもないことは理解したが、何で審議が行われることになったんだ? 公爵殺害が明白なら、そんなことをせずにさっさと殺してしまえばいいよな。もしかして、新しい容疑者が現れたとか?」
狼人間は止まった足を再び進めると、返答を考えるように少しだけ間を空ける。しばらくの無言に、またまずいことを聞いてしまったかと不安になっていると、狼人間は自信なさげに言葉を返した。
「信じがたい話なのだがな……貴様は数時間ほど前に死刑執行された」
「──はぁっ?! どういうことだよ?!」
予想外過ぎた返答に、俺は思わず勢いよく上半身を起こした。目隠しのせいで狼人間の表情は読めないが、俺を担ぎ上げる手に心なしか動揺を感じる。だがそれは嘘を言っているというよりも、狼人間も良く状況が理解できていないからといった感じであった。
「貴様は雷椅子によって確実に1度死んでいる。立ち会った医師も核の完全停止を確認した。だが死亡の確認がとれてから数分後、貴様は何事もなかったように息を吹き返した。しかもそれだけじゃない。強い電流によって焼け爛れた皮膚や裂けた筋肉が、あっという間に再生したのだ」
神妙な口調で喋る狼人間に対し、俺は無作法に開いた口を閉じることができない。返す言葉が見つからず、一方的に聞かされる事の流れに思考を壊されていたのだ。
「俺もその場にいたが、正直何が起きているのか理解できなかった。更に貴様は生き返ると同時に、様々な記憶を失くしている。独房に戻ってから貴様が眠っている間に、検査をすると
記憶がないこともそうだが、死刑が行われていたことは紛れもない事実。俺はそれを覚えているからだ。信じがたい激痛を伴った悪夢。あそこから、俺の異世界転生は始まっていたらしい。
「驚いて言葉も出ないか? まぁどちらにせよ会話はここまでだ。ついたぞ、ここが審判の間だ」
狼人間が俺を地面に降ろし、そのまま目隠しを外す。
ゆっくりと瞼を開くと、先程までの薄気味悪い牢獄とは全く違う風景が飛び込んできた。
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