第22話 晩酌は肉と酒

 ミルクのワガママが落ちつくと、見計らったように夜の点呼の時間となった。看守が囚人に並ぶよう号令をかけると、皆が横並びに整列する。

 朝と変わらぬ点呼であったが、看守の1人がニヤニヤと俺のことを見てきた。別にそれ以上なにがあったわけではないが、そんな見下したような態度は気分を害する。どうせ決闘の話を聞き、竜族ドラゴニックに喧嘩を売った馬鹿だとでも言いたいのだろう。


 看守にも様々な種族がいるようだが、今のところ竜族ドラゴニックの看守は見かけていない。今思えば、相手が囚人だから決闘といった手段になった。これが看守相手だったら一方的な忙殺になるのかと思うと、少しだけ自分が幸福であると実感できる。


「点呼は終わりだ。女族は入浴の準備を始め、順次済ませること。男族は明日が入浴日だ、そのまま夕食を待て」


 そういえば、異世界に来てから1度も風呂に入っていない。別段風呂が好きってわけではないが、基本的に毎日入るのが当たり前ではあった。

 砂漠を歩き、暑苦しい刑務作業をこなし、これでもかというほど汗をかいた体は、徐々に男らしい臭いを放ってきた。できることなら俺も風呂に入って気持ち悪い垢を一掃したい。だが、ここでは女性が毎日の入浴を許可されているのに対し、男性は3日に1度しか入浴が許可されていないのだ。


(女性が優先的に風呂に入れるのは別に良い。ただ、明日死ぬかもしれないこの命。最後は綺麗な体でありたいものだ)


 ベッドに座って天井を見上げると、心を蝕む虚無に大きなタメ息が出る。ジャージェ達を煽り、決闘に発展させてしまったこと。1人でやると決めた決闘にルーリエが参加してしまったこと。全て結果論だが、やりきれない後悔に再びタメ息をついた。


 しばらくすると、入浴を終えた女性陣が戻ってくる。ルーリエとミルクの髪は艶やかに濡れ、肌はしっとりとした潤いに満ちている。昨日はこの光景に息を飲み、ただただ美しい2人に心を奪われた。

 そして、今日もまたその美貌に心を奪われる。特にルーリエ、やはり彼女は美しい。こんな麗しい女性を戦地に巻き込むのだ。強気な態度をしているが、彼女だって命を賭けた争いなんて今まで無縁だったはず。何としても彼女だけは俺が守る。そんな甘い理想に、今は酔いしれていたい。



「──今より、夕食の配給を開始する」


 ここに来てから2度目の夕食。

 昨日はとんでもなく粗末な物であったが、今日は違うぞ。これもまた結果論だが、ミルクにそそのかされて100ゼルの贅沢な肉料理にしたのは良かった。最後の晩餐になるかもしれないのだ、もしも50ゼルの魚料理にしていたら、少しだけ後悔が残ったかもしれない。こればかりはミルクに感謝して、今はただ心から食事を楽しむことにしよう。


 昨日と同様に食事の準備を終えると、目の前に置いた木箱に高揚する。箱は昨日と全く同じであるが、中身は天と地ほどの差があるはずだ。小学生の時、遠足で弁当の蓋をワクワクしながら開けた思い出が蘇ってくる。


(──いざ、参らん!)


 溢れる涎を飲み込み、ついにその蓋を開ける。一瞬、木箱が輝いたのではと錯覚を感じると、目の前の料理に堪えていた涎が口から溢れ落ちた。そこには、可憐かつ豪快な肉と米の暴力が詰まっていたのだ。

 始めに刺激を与えたのは、ガーリックライスのように香辛料を加えた炒飯の痛烈な香り。食欲を滾らせるその香りは、鼻の奥まですっと抜けると、そのまま脳に直接指令を送る。


『食せ、本能のままに』


 そんな言葉が俺の体を駆け巡った。

 しかし、その本能を軽く越えて俺に訴えかけてくる物がいる。それは炒飯の横に敷き詰められた骨つき肉達だ。まさに漫画肉とでも言えば分かりやすいだろうか。巨大な肉の塊から、1本の骨が持ち手のように飛び出している。黄金色に焼けた表面にはハーブなどの香味料がまぶされ、肉の上で神々しく踊り狂う。肉の裂目から溢れる肉汁は昼の唐揚げにも似ているが、この肉は上等な和牛のように油が煌めいていた。

 骨の部分を掴んで持ち上げると、確かな重圧が肉の密度を教えてくれる。ここまで詰まっていると、肉が固いのではないか。そんな不安は1口で消え失せた。


「う……う……うまぁーーい!!」


 な、なんだこれは?!

 噛み締め瞬間、細かな繊維がちぎれていくように肉が裂けた。絹ごし豆腐のように滑らかな舌触りなのに、湧き出る旨味の詰まった肉汁が口の中に確かな満足感を与えてくれる。少し塩気が強いが、汗をかいた体には程よく染み込み、そこに香草の豊かな匂いが合わさることで飽きがこないよう工夫されていた。

 俺はこれほどに旨い肉を今まで食ったことがない。昨日の干からびたジャーキーとは雲泥の差、いや、料理としての次元が違う。100ゼルでこれほどの物になるなら、ミルクが躊躇なく頼むのも納得だ。


「おぉいしぃ~でしょ~オルちゃ~ん? ウチねぇ……ヒック。このお肉……ヒック。だぁ~い好きなぁんだぁ~」


 ……オルちゃん??

 どうもミルクの様子がおかしい。頬が赤く火照り、つり上がっていたはずの目尻が、トロンと垂れ目のように落ちている。自分の飯に夢中で気づかなかったが、何となくワインのような酒の匂いが房に漂っていた。


「……はぁ。最近は飲んでなかったのに、どうして今日はチャーミル頼んだのよ?」


 呆れ顔のルーリエがミルクに向かってタメ息を吐く。どうやら、ミルクはチャーミルと呼ばれる酒を飲んでいるようだ。赤ワインのような物だろうか。グラスには赤い綺麗な液体が注がれており、ミルクの左手には瓶ビールほどの大きさの酒瓶が握られている。


「どうしてぇって……ヒック。久しぶりにぃ~午後の作業でボォ~ナスが貰えたのぉ~。そりゃ~飲むしかないっしょ~……ヒック」

「あなたねぇ、お酒弱いんだからやめたほうがいいわよ。明日の朝に頭痛いって騒ぐのだけはやめてよ」


 見るからに酒癖が悪そうだ。体を左右にフラフラと揺さぶり、薬でもきめているのかと錯覚するほど陽気に笑っている。ミルクはおもむろに立ち上がると、ふらつく足で急に俺の隣まで来てもたれかかってきた。


「オルちゃ~ん? 肉食ってるかぁ~い? 今日はぁ~オルちゃん初めての肉パーティーだよぉ?? そんなボケッとしてぇないでぇ~、もっと食え~くぅえぇ~。それともぉ、酒が欲しいのかぁ~? ウチの酒が飲みたいのかぁ~??」


 酒で理性を失くした上司のようだ。まだ未成年だった俺に、上司の酒が飲めないのかと無理矢理おしつけてくるのと同意である。何が違うといえば、その上司がむさ苦しいオッサンではなく、角の生えた美女だというくらい。まぁ、その違いはとても大きな意味があるがな。


「そうかぁ、そんなに飲みたいかぁ。それならぁ……ウチが口移ししてあげるよぉ」


 飲みたいとは一言もいってないが、ミルクは勢い良く口に酒を含む。そのまま顔をぐいっと寄せると、躊躇なく俺の唇をめがけて前進した。


「ちょ、ちょ、待った待った!!」


 咄嗟にミルクの肩を押して距離をとると、ミルクは不満そうに口に含んだ酒をゴクリと飲み込む。なぜ拒否するのだと言いたげな顔だが、流石にそこまで積極的にこられると、欲望よりも焦りが勝ってしまう。ここでミルクが素直に引いてくれれば良かったのだが、拗ねたミルクはそう簡単ではないようだ。

 次はアヒルのように唇を尖らせると、谷間を見せつけるように下から覗き込み、魅惑的な上目遣いで瞳をウルウルと光らせた。


「ウチのお酒わぁ……いやぁ?」

「い、いやとかそんなことじゃなくて! 流石に口移しはマズイだろ!」


 ミルクがくねくねと体を動かす度に、胸元から桃色の突起物がチラチラと目に入ってしまう。俺は咄嗟に目を逸らしたが、それがまた逆効果であった。ミルクはわざとやっているのか、そんな俺の反応を楽しむように体を押し当ててきたのだ。


「なぁに~?? ウチの体に見惚れてぇるのぉ~?? すけべぇ~だなぁ、オルちゃ~ん」


 もうミルクを押し返す意思も失くなりかけている。このままでは、本当におかしくなってしまうぞ。どうするのが正解なのか、答えを見つけようと必死に踠くも、トドメの一撃がすぐに飛んでくる。


「どうせ明日の決闘で死ぬんだしぃ~……最後に、ウチがいぃことしてあげよっか」


 ミルクは俺の耳元に吐息をかけながらソッと囁いた。その言葉に、俺の理性は崩壊寸前まで到達する。いっそこのまま欲望に従えば。そんな楽観的な思考になりかけていたその時、突然俺の背筋が凍りつく。通りかかった看守が、冷たい視線で此方を警戒していたのだ。


 危なかった。看守が通りかからなかったら、俺の理性は飛んでいたかもしれない。

 急に訪れた緊張感に思わず息を飲むと、何もしていないぞとアピールするように看守と目を合わす。少しだけ俺と目を合わせた看守は、何事もなかったようにその場を後にした。


 気づけば、ミルクは俺にもたれかかったまま満足したように寝息をたてている。本当に酒が弱いのだろう、頼んだ肉料理も半分ほど残っているじゃないか。


(……恐ろしい。次にミルクが酒を手にしたら、すぐに取り上げたほうが良さそうだ)


 ミルクを何とかベッドまで運ぶと、布団をかけて胸を撫で下ろす。

 改めて気が引き締まったな。酒に溺れても、欲に溺れるな。それがここでの規律であった。

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