第23話 午前10時

 ──決闘当日。

 起床を知らせるサイレンが鳴り響く。

 俺は、一睡もすることができなかった。迫る決闘を想像すると、恐怖と不安に体が震え、たかぶるアドレナリンが俺に眠ることを許さなかったのだ。そう、決して昨晩のミルクとのやり取りを思い出して興奮していたわけではない。

 横目でミルクに視線を向けると、布団にくるまってプルプルと震えている。何かあったのかと思い、立ち上がって声をかけようとした時、ヨンヘルが俺の手を引いて首を横に振った。


「オルディ、気にしなくて大丈夫だよ。酒を飲んだ次の日はいつものことさ。むしろ看病なんて始めたら、調子にのってワガママ放題になる」


 昨日の酒癖を考えれば確かに納得だ。酒癖の悪さと酒への抵抗力は比例していると考えている。酒に強い人は飲んでも豹変しないし、豹変する人はたいてい次の日になると二日酔いに苦しんでいる。もちろん全てではないが、俺が現実世界で見てきた人間はそんな奴らばかりであった。


「いたぁぁあぃぃ~。ルーちゃ~ん……たずげでぇ~」


 ミルクが布団から顔だけひょこんと出すと、とても弱々しい声でルーリエに助けを求めだす。その顔色は真っ青で、唇まで薄い紫に変色している。明らかな体調不良に見えたが、ルーリエはそんなミルクを冷たく見下ろすと、グラスに水を注いでミルクの頭の上に乗せた。

 何ともバランスの良いもので、プルプル震えるミルクの上でグラスは水に波紋を浮かべながら自立している。マジシャンのようだなと感心していると、ルーリエはミルクに視線を合わせるようにしゃがみ、目を細めて呆れ顔になった。


「知らないっていったでしょ。その水飲んで我慢しなさい。たいして飲んでないのに、いっつも酷い二日酔いになるんだから。お酒をやめなさい」


 ミルクは布団にくるまったまま器用に体を捻り、手を使わずに頭の上のグラスを口元まで運ぶ。この2人は曲芸でもやっていたのかとツッコミを入れたくなるが、あまりにも自然のやり取りに唖然と見とれてしまう。そのままグラスを口で咥えると、首だけを動かして行儀の悪い姿勢で水を一気に飲み干した。


「だってぇ~、お酒美味しいんだぁもぉ~ん。これはぁやめられないよぉ~。それよりぃ、頭痛いからぁ~マッサージしてぇ~」

「うるさい、調子にのらないの。まったく。オルディにも迷惑かけてたんだから、ちゃんと謝りなさいよ」

「そうなのぉ~?? なぁ~んにも覚えてないやぁ。ごめんねぇ、オルディ~」


 死にそうな顔でミルクは俺に微笑みかける。此方としては迷惑どころか、ラッキースケベを存分に味わえたのでお礼を言いたいところである。まぁ何にせよ、あと数時間で決闘だというのに呑気な雰囲気だ。


 しばらくして看守が点呼にやってくると、またかと言いたげな顔でミルクに目を向ける。本来なら立って並ぶのだが、看守も面倒なのか、ベッドに踞るミルクを放置したまま点呼を終えた。規律にはいかなる理由があっても点呼に参加と書いてあったはずだが、何ともいい加減なものだ。

 そのまま房内の掃除を済ませ、朝食の時間に入る。今日の朝食は、昨日選んだ果物入りのヨーグルトと温かい珈琲のセット。ここまでは、何とも清々しい朝の日常といった感じだ。昨日の絶望的な食生活が一気に改善され、とても充実感に満ちている予定であった。そう、決闘さえなければ。


 やるせない気持ちに項垂れていると、急にノソノソとミルクが動きだす。掃除にも参加しなかったミルクであったが、しっかりと食事だけは済ませるようだ。何も喋らずに無言で食べ終えると、またノソノソとベッドに戻り布団にくるまる。すると、思い出したように決闘の話題をふってきた。


「そういえばぁ~……決闘なんだけどぉ。本当にウチが参加しなくて大丈夫なのぉ? オルディとルーちゃんの2人じゃ、本当に死んじゃうよぉ~?」


 心配してくれているのか、暴れたいだけなのか。その真意は分からないが、これ以上巻き込むわけにはいかない。というより、こんな状態のミルクが参加しても、果たして何かできるのだろうか?


「二日酔いの呑兵衛が参加しても、何の役にも立たないでしょ。ミルクは大人しく寝てればいいのよ。オルディは知らないけど、私はそんな簡単に死なないから」


 言いたかったことをルーリエがストレートにぶつけてくれた。何でもハキハキと意見をぶつける姿に、ルーリエのほうが圧倒的に歳上じゃないかと錯覚する。実際はミルクのほうが40以上も歳上なのにな。「オルディは知らないけど」は少し辛辣ではあるが、おかげでミルクは渋々参加を諦めてくれた。


 朝食が終わると、午前の自由時間が始まった。

 今日は決闘があるため、刑務作業は全て中止となるらしい。その変わり全ての囚人に200ゼルが給付される。二日酔いで死んでいるミルクには丁度良かっただろう。

 俺は1人ベッドで心落ち着かずそわそわとしていた。あと2時間もしないうちに、運命の時がやってくる。武器の持ち込みは許可されているようだが、今から急いで調達できるほど簡単なことではない。

 おかしな話で、普段武器を持っていることは規律で禁止されているのに、決闘に武器の持ち込みは許可されているのだ。そんな矛盾した規律はあってないようなもので、結局のところ、決闘は素手の殴り合い以外に前例はないようである。


「ヨンヘル、全ての囚人は魔力を封じられているんだよな? 竜族ドラゴニックの口から炎を吐いたりするのって、魔力がないとできないのか?」


 微かな希望だ。せめて炎などの理不尽な攻撃がなければ、俺達にも勝機があるかもしれない。と、思ったがやはりそんなに甘くはなかった。


「いや、竜族ドラゴニックの咆哮は魔力に依存しないよ。奴らは体内で炎や冷気などの自然力を作り出すことができる。それは固有の能力であって、魔力は関係ないんだ。それに、気をつけるのは竜族ドラゴニックだけじゃない。一緒に参加する蜘蛛族スパイディーのシャルディネ。彼女も魔力に関係なく、口から蜘蛛の糸や消化液を吐くことができる。魔力を使えない人族ヒューマンが蜘蛛の糸にかかったら、抜け出すなんて不可能だよ」


 話を聞くほどに絶望感が増す。どうやれば決闘に勝つことができるのか。決して諦めてはいないが、考えるほどに可能性が低くなる。

 最終手段は魔力を使う。最悪の場合であるが、それによってルーリエの命だけでも守れるなら致し方ない。ただ、これも考えるほどに不安が強くなるのだ。魔力が使えたところで、魔法の知識も乏しく、実戦経験も皆無。俺の魔力がどれほどのものか自分でも分からないが、竜族ドラゴニックにまったく敵わない貧弱なものであったらお手上げだ。


「……はぁ」


 もうタメ息をつくことしかできない。なぜ神様は俺にこんな異世界転生をさせたのだろうか。理不尽にもほどがある。せめて理解力なんて能力じゃなく、絶対無敵くらいぶっ飛んだ能力を付与してほしいものだ。

 そんなくだらないことを考えていると、気づけば房の前に数人の人集りができていた。


「おうおう。こいつがあのオルディ=シュナウザーかよ? 随分と弱そうな人族ヒューマンだな」

「そう言ってやるな。人族ヒューマンなど、そもそも魔力と知力にしか取り柄のない貧弱な種族だ」

「どっちが勝つか賭けようや。俺はジャージェ達に500ゼルだ」

「おいおい、俺だってジャージェ達に賭けるぞ」


 吸血鬼のように赤目で尖った八重歯が目立つ男。豚顔にがっしりした体型の男。他にも様々な種族の野次馬が俺を見に来ていた。そのどれもが人族ヒューマンは貧弱だと馬鹿にしている。まぁ否定はしないさ。どう見たって、こんな化物みたいな奴らに俺が生身で勝てるはずがない。


「悪いけどよ、野次馬なら帰ってくれや。お察しの通り、絶対勝てない決闘でこちとら気が滅入っているんだよ」


 俺は厄介払いするように手を振ると、野次馬どもは大笑いしながら解散していく。馬鹿にされるのは慣れているが、決して気持ちの良いものではない。


「……オルディ。あの馬鹿達を黙らせるわよ」


 さっきまでベッドで本を読んでいたルーリエが突然口が開く。彼女は物事をハッキリと言えるが、いつも感情は冷めきっている。だが野次馬たちの軽率な態度には、流石に怒りを覚えたのだろう。うっすらと瞳を朱に染めて静かに苛立っていた。

 正直俺は馬鹿にされることに対して苛立ちはしないが、ルーリエが感情的になると、不思議と自身も熱くなるものがある。結局ギリギリまでウジウジと考えこんでいたが、ルーリエの熱意に段々と吹っ切れてきた。

 情けない顔を軽く叩いて気合いを入れる。俺は手持ちの170ゼルをヨンヘルに渡すと、他の囚人に聞こえるように声を大にして叫んだ。


「ヨンヘル、全財産を俺達に賭けてくれ! こんな簡単に稼げるギャンブル、やらないわけにはいかないな!!」


 俺の言葉に、囚人達は馬鹿にするように大声で笑って返す。ヨンヘルも若干呆れてはいたが、ルーリエだけは俺の行動に気持ちの良い笑みで応えてくれた。これで良い、今さら決闘がなくなることはないんだ。それなら、せめて真っ直ぐ前を見て戦いに望む。それこそが今できる最善だ。


 ……そして、遂にその時がやってきた。

 ナターリアがジャージェ達を連れて房の前に歩いてきたのだ。


「オルディ、ルーリエ、時間じゃ。ついてこい」


 ──午前10時。

 これより、俺の命を賭けた戦いが始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る