第24話 届かぬ拳

 囚人達はナターリアを先頭に闘技場へたどり着いた。その間、ジャージェとバルカスに目を合わせることはない。皆が各々に集中し、そのどれもに強い殺気が感じられる。俺はそんな雰囲気に震えながらも、それが武者震いだと無理矢理に言い聞かせて歩いていた。

 ルーリエは何を考えているだろうか。ただ真っ直ぐにナターリアの背を見つめる彼女は、いつも以上に冷めた眼差しであった。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 1人異常であったのは、蜘蛛族スパイディーのシャルディネだ。

 黒髪のショートヘアーは、前髪が鼻先まで届くほどに伸びている。目の前が見えているのだろうか、髪で完全に瞳が隠れ、その表情を読みとることができない。蜘蛛族スパイディー専用に穴の空いた着にくそうな服の背中からは、8本の細長い足がはえており、そのどれもが独立した意思を持つように動いている。その8本の足先を手元に集結させると、先端を器用に擦り合わせながらブツブツと1人呟いていた。


(彼女がシャルディネ。蜘蛛族スパイディーってだけで気の強そうな女性を想像していたが、なんとも不気味だ)


 言葉を悪くすれば、陰湿な女性というのが正直な印象だ。部屋にこもり、水晶を見つめながら占いをすることが趣味と言われても、そうだよねっと納得できる。ずっと何かを呟きながら歩いていたし、この決闘に何を思っているのか全く想像できない。

 どうにせよ、彼女とも殺し合いになるのだ。どんな戦い方をしてくるのか分からないが、ヨンヘルが言っていたように蜘蛛の糸ってのには十分注意しなければいけないだろう。


「さて、我輩の案内はここまでじゃ。この先にはバーディアが待っておる。バーディアの指示に従い、存分に殺し合ってくるがよい」


 ナターリアが闘技場の正門を開けると、囚人達はゆっくり奥に進む。俺も流れにそって進むと、ナターリアの横を通り過ぎた時にふと違和感が走った。ナターリアの顔が横目に映った瞬間、彼女の瞳が悲しげに潤んでいた気がしたのだ。

 思わずナターリアの顔を見るように振り返ると、彼女はなんじゃと言いたげなキツい目つきで俺を睨み返す。気のせいだったのか、確かに彼女から悲痛を感じたはずであった。


「オルディ、よそ見しないで。決闘間近なのよ。もう少し集中しなさい」


 フラフラと視線を泳がせる俺に、ルーリエが強く叱咤する。彼女の言う通りだ。ナターリアが何を感じているのか、そんなことを考えているほど余裕はないはず。今はまず目の前の決闘に集中しなければ。只でさえ勝ちが見えないのだ。他人の気持ちを探っている場合ではなかった。


「……来たか。見慣れた顔に、憎しみを逆撫でる顔。看守として公平に決闘立会人を遂行するが、ルーデウス総正監とレクタス公爵様の意がなければ、俺とてこの決闘に参加したいぐらいだ」


 闘技場中央にある決闘スペースまで歩くと、そこには仁王立ちする男が1人。俺はその立っていた人物を見て、思わずゾッと息を飲んだ。

 ベルバーグ副総正監、イング=ステッド=バーディア。俺が収監された初日。ナターリアに監獄まで案内された時に、その名前だけは聞いていた。だか、彼がまさか【竜族ドラゴニック】だったとは思いもしなかった。

 鋼の鱗はくすみのない銀色に輝き、血に飢えたドス黒い爪が此方に向けられている。バーディアは俺を見るなり眉間にシワを寄せ、頬をひきつらせながら尾を地面に叩きつけた。


「ジャージェ、バルカス。この決闘で貴様達が負けたなら、これ以上オルディ=シュナウザーに竜族ドラゴニックの因果を向けるなとレクタス公爵様から御達しを受けておる。分かっておるな? 万が一貴様達が負け、なお無様に生き延びたなら、俺が貴様達の首を切り落とす。覚悟しておけ」


 レクタス公爵がそんなことを?

 どんな意図があるのか知らないが、この決闘に勝つことができれば、バーディアは俺に手を出すことができないのか。だが、決闘で勝つ。それは生半可ではない。

 決闘はどちらかが死ぬか、完全にひれ伏すまで続く。気絶して戦闘不能になったら終わりなんて甘いことはない。勝者に忠誠を誓い、一生を奴隷として過ごす。それが嫌ならば、あとは死ぬしか道はない。

 ジャージェとバルカスが俺に忠誠を誓うはずもないだろう。勝利とは、すなわちジャージェとバルカスを殺すこと。有耶無耶な決着で終わるなんてことは、あり得ないのだ。


「さて、いつでも初めてよいぞ。俺は観覧席でオルディ=シュナウザーがいたぶられるのを楽しませてもらう」


 バーディアが空を飛んで観覧席にたどり着くと、魔法で巨大な銅鑼どらを作り出す。それを勢い良く殴りつけると、決闘の始まりを知らせる鐘の音を響かせた。


 お互いに一定の距離を空けると、隙を伺うように睨み合う。凍りつくような緊張感に、俺は唾を飲み込んで冷汗を垂らす。いつまでこの膠着状態が続くのか、そんなことが頭を過りかけた時、バルカスがおもむろに口を開く。


「ルーリエ。今のうちに俺達への忠義を示せばぁ、貴様だけは許してやるぞぉ? 俺達の玩具としてぇ、残りの人生を楽しく全うすればいいじゃないか」


 バルカスは腹を押さえながら大笑いした。露骨にルーリエを虚仮こけにする態度は、挑発の意もあるのか。


「臭い害虫だね。バルカス、私のことを知らないわけじゃないのでしょ?」


 軽い挑発にのってしまったルーリエは、標的をバルカスに絞っている。全てはジャージェの思惑通りか、その様子を1人ほくそ笑みながら見ていた。


「ああ、知っているさぁ。ルリエリリ=エリルリア=ルーリエ。歴代最年少の19歳という若さで【剣聖】の称号を手にした、妖精族エルフィきっての超天才剣士だろぉ? お前が収監された時、噂はベルバーグにも流れたさぁ。気高き剣聖が俗悪に堕ちたってなぁ?」


 バルカスの言葉に、ルーリエの怒りが振り切れた。

 目の前にいたルーリエの姿が一瞬で消える。何が起きたのか分からなかったが、次の瞬間、ルーリエはバルカスの背後をとっていた。

 咄嗟にバルカスは振り返るが、ルーリエの判断は鋭い。そのまま顔面目掛けて掌底打ちのように手の平を突き出すと、勢い良くバルカスの顎を跳ね上げたのだ。

 しかし、バルカスは何事もなかったように顔を下ろし、ニヤニヤと笑いながらルーリエを見下した。


「速さだけはぁ……たいしたもんだなぁ。まぁ、痛くも痒くもないけどよぉ。剣も魔力も使えない妖精族エルフィの小娘がよぉ、竜族ドラゴニックに勝てると思っているのかぁ?」


 バルカスが大振りで拳を振り回すと、ルーリエは水流のように緩やかな動きでそれに対応する。しなやかさと豪傑の戦い。そのハイレベルな攻防に、俺は呆然と立ち尽くす。

 ルーリエがこれほどに強かったとは思わなかったのだ。確かに決定打こそないものの、戦いの動きだけでみれば完全に風上に立っている。もしかすると勝てるんじゃ。そんな気持ちが昂っていると、ジャージェが遠くから俺を睨みつけてきた。


「随分と余裕がありそうじゃないか。ルーリエのことばかり気にして、自分の立場は忘れたのか? それとも、俺なんか相手にもならないって言いたいのか?」


 そうか。ジャージェがやけに俺の動きを警戒しているので何故かと思ったが、奴は俺の力に少し怯えているんだ。奴はまだ俺が魔力を使えると思っている。


「貴様は何故か魔力を使える。どれほどの力を隠し持っているかしらんが、それでも貴様だけは許せんのだ。ラグディア公爵様の無念、それを俺が晴らしてみせる」


 バーディアがいなければ本当に魔力を使うところだが、現状ではそうもいかない。だが、ジャージェの誤解を上手く利用すれば、俺の実力でも戦いになるかもしれない。


「いくぞ! ジャージェ!!」


 俺は手の平に魔力を集中させるような仕草をとる。そして勢い良く手の平を地面に叩きつけると、そのまま一直線にジャージェ目掛けて走りだした。

 一見ただの無謀な突進であるが、ジャージェから見れば俺が土属性の魔法を使ったように見えているはずだ。その証拠に、ジャージェは少し驚いた様子で防御に徹していた。


「くらえ!!」


 俺の拳では、竜族ドラゴニックの鱗を殴っても傷を与えれるとは思えない。狙うべきは目だ。殆どの生き物は、目を強固に守ることはできない。そこに拳を当てれば、少しの力でも十分にダメージを出せるはず。視界を奪えれば、力の差があっても戦いになる。

 渾身の力で振り抜いた右手は、一直線にジャージェの左目を目指す。心の中でもらったと確信した時、ジャージェは俺の拳を、左手でいとも簡単に掴み取った。


「なんだ? こんな腑抜けた攻撃が俺に通用すると? こんなものなのか、貴様の実力は? 強力な魔法が飛んでくるかと身構えたが、拍子抜けもいいとこだ」


 ──確信は瞬く間に絶望へ変わった。

 やはり俺が考えているほど、現実は甘くない。ブラフで作り上げたメッキが徐々に剥がれ落ち、本当の実力が露見するほど、竜族ドラゴニックの怒りは膨れ上がる。

 ジャージェが俺の拳を掴む手に握力を込めると、同時にその瞳を怒りで赤く染め始めた。

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