第5話 判決を下す者

 見晴台から顔を覗かせた少年の頭上には、真っ白に輝くドーナツ型の輪がフワフワと浮いている。10歳くらいだろうか、小学生のような雰囲気に愛くるしい笑顔。輪っかが浮いていることもあって、その見た目は可愛らしい天使のようであった。

 少年が貴族達に向かって手を振ると、俺以外の全ての者の顔色が一変する。特に三大貴族の長達は異常な慌てかたであった。


 レーグマン伯爵は勢い良く椅子から立ち上がると、すぐさま片膝を地面に突いて頭を下げる。両サイドのレクタス公爵とマグハット大公爵も同じようにひざまずくと、少年に向けて深く頭を下げた。


「こ……これはミラエラ様。このような場所にどうして」

「なんだい? 僕がどこにいようが君には関係ないだろレーグちゃん」


 ミラエラと呼ばれた少年は、口をにやつかせながらレーグマン伯爵を見下している。その何ともいえない愛嬌のある目は、悪いことと分かった上で相手を困らせる子供のそれであった。

 レーグマン伯爵は「申し訳ありません」と謝罪を述べて深く頭を下げる。その俯いた顔から覗かせる表情は、苛立ちに歯を軋ませながらも、目は恐怖に泳いでいた。


「な……三大貴族の長なんだろ? それが何でただの子供1人にそんな怯えているんだ?」


 俺が心の声をボソッと溢すと、レーグマン伯爵は顔を上げて威嚇する。そのまま再び口に獄炎を纏わせると、殺意を剥き出して声を荒げた。


「ただの子供だと!? 貴様、王になんたる無礼を!!」

「お……王様?!」


 ミラエラは俺を見ると、満面の笑みで手を振った。俺は呆気にとられながら手を振り返す。王というが、見た目はどう見ても可愛らしい小学生だ。本来なら膝を突き頭を下げることが正解なのだろうが、どうも天使のような笑顔に緊張感が沸いてこない。

 すると、そんな気さくな態度をとる俺にレーグマン伯爵の怒りが爆発した。背中からはえた巨大な翼を広げると、もの凄い速さで目の前に降り立ち、強靭な右手で俺の首を鷲掴みにする。一瞬の出来事で何が起きているのか分からなかったが、すぐに痛みと苦しみが俺を襲った。

 首を引きちぎるのではないかと思うほどに締め上げられ、あまりの苦しみに呻き声すらでてこない。振りほどこうと必死に両手で抵抗するも、強靭な竜の腕にはなす術がなかった。


「やめなよレーグちゃん。僕は別にそんなことで怒ったりしないから。ルーグちゃんがいたら暴れてるかもしれないけど、僕は気さくなほうが好きだよ」

「で、ですが! このような下族が王に向かい侮蔑的ぶべつてきな態度を……」


 レーグマン伯爵は空いている左腕を広げながらミラエラに意思を示す。決して反発的な意図はなく、ミラエラに対する敬意からの行動であるとアピールした。しかし、ミラエラは僅かに頬をひきつらせると、目を少しだけ細めて小さく返答をする。


「……やめろって言っているだろ?」


 その瞬間、部屋全体の重力が増したような感覚に囚われる。ミラエラから放たれる強大な圧が、レーグマン伯爵に向けられたのだ。レーグマン伯爵は首を掴んでいた右手を離すと、圧力に耐えきれずその場に跪いた。

 そしてその圧力は、隣にいた俺にも大きく影響を及ぼす。只でさえ首を締められて死ぬほど苦しかったのに、体を押さえつけるような重圧が俺を地べたに張りつける。まるで体の上に数人の大柄な大人が乗っているような圧迫感。首を締められている時とは違った苦しみに、俺は涎を垂らしながら無様に這いつくばることしかできなかった。


「ミラエラ様、どうか魔力をお抑え下さい。このままでは審問対象が死んでしまいます。いくら死刑囚といえ、ミラエラ様にそのような下劣をになわせるわけにはいきません」


 レクタス公爵が諭すように話しかけると、ミラエラはプクッと頬っぺたを膨らまして納得がいかないように腕を組む。愛くるしい仕草に反し、ミラエラから溢れる凶悪な圧力に俺の体は悲鳴をあげている。必死に絞り出した小さな声で「助けて」と救いを求めると、ミラエラは魔力を抑え、退屈そうに欠伸をした。


「回りくどい言い方するねレクタス。やめてくれと素直に言えば良いだろ?」

「いやはや、それは恐れ多き言葉でございます」


 レクタス公爵が頭を下げて感謝を示すと、ミラエラは矛先をレーグマン伯爵に切り替える。何か閃いたのか、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべながら、皆が予想だにしていなかった提案をした。


「ねぇレーグちゃん。死刑やめちゃいなよ」

「──なっ?!」


 あまりにも突拍子な発言に、レーグマン伯爵とマグハット大公爵は驚きで目を丸くする。唯一平静を保っていたレクタス公爵は、やはりそうなるかと悟っていたように瞼を閉じる。そんな周囲の挙動を楽しむように、ミラエラは俺を見下しながら言葉を続けた。


「だってさ、彼は死刑を執行して1回死んでいるんだろ? 充分に罪を償ったじゃないか。それに記憶を失っているようだね。なんだか可哀想だよ」


 自らの公爵を殺された立場からすれば、死刑に対して謎の復活を遂げた俺に寛大な心を持てるはずがない。いくら世界の頂点である王族の言葉といえ、レーグマン伯爵はその言葉を素直に飲み込めるわけがないだろう。


「そ、そんなわけには! こいつは竜族ドラゴニックのラグディア公爵を殺しました! それは最重罪の1つです! 意味の分からない蘇生があったため、死刑は失敗したと言えます。ですがそれは死刑を取り止める理由にはなりません。死罪にて償う以外ありえないのです!」


 レーグマン伯爵の意見はもっともである。俺がレーグマン伯爵の立場だったら、失敗といった理由で死刑を取り消すなんて普通ではないと考える。

 だが、今は俺が死刑される立場。ミラエラにどんな意図があるのか計り知れないが、死刑を逃れられるのならば大賛成だ。なにせ、俺には記憶がない。公爵殺しと言われても、証拠も見ずにほいほいと死刑を受け入れられるはずがない。

 そんな俺の思いを汲んでくれているのか、ミラエラはレーグマン伯爵に指を差すと、自分の意見を押し通すように高圧的に言葉を返した。


「知っているよそんなこと。今日は何だか反抗的だねレーグちゃん。竜族ドラゴニックごときが天使エンジェルに逆らうの? 消すよ、お前」


 俺のために……そんな数秒前の思考は一瞬で鳥肌に変わる。

 ミラエラの瞳が金色に変色すると、先程までの愛くるしい表情は一変した。指先には橙色の小さな光が集い、そこからは太陽のような激しい熱波が渦をまく。

 その光を差し向けられているレーグマン伯爵は、恐怖に足を震わせながら呆然とミラエラの顔を見上げていた。


「次に僕を否定したら殺す。分かったね?」

「……し、承知いたしました」


 完全に萎縮したレーグマン伯爵は、俺の顔を見ることなく中層の椅子まで戻る。顔の青ざめたレーグマン伯爵を見て、連れていた従者達はそれ以上に顔色を悪くしていた。きっとこの後に苛立ちをぶつけられるのだろう。レーグマン伯爵の性格をみるに、力で政治を支配していそうな竜族ドラゴニックならば、それも仕方のないことだ。


「全く。レーグちゃんはまだまだ若いね。死んだラグディアみたいに、自分の立場を理解してほしいものだ。まぁ、レーグちゃんの気持ちが分からないわけでもないよ? だから、彼を無罪にするほど僕もいい加減じゃないさ」


 さっきの殺意に満ちた顔が嘘のように、ミラエラは再び愛くるしい笑顔を振り撒く。そのまま俺に向かって指を差すと、判決を下すように言葉を続けた。


「オルディちゃんだったね。君は【大監獄ベルバーグ】に無期限の懲役刑としよう。レーグちゃん、それでいいね?」

「……ミラエラ様のご意向とあれば、仰せのままに」


 不本意ながらも、レーグマン伯爵はミラエラに向かって深く頭を下げる。ミラエラもレーグマン伯爵のそんな姿を見ると、清々しいほどの笑顔で相槌をうった。


「ふむ、宜しい。じゃあこれにて審議は終わりだね。オルディちゃんの搬送はレクタス達に任せるね。他の貴族はもう解散していいよ」


 貴族達が解散後、レクタス公爵の従者達が中層から降りてくると、倒れていた俺を起こして歩くように背中を押す。それを中層から見ていたレクタス公爵は、最後まで見届けることなくその場を後にしようと歩きだす。

 そこへミラエラが空を飛んで降りてくる。中層付近でフワフワと浮かぶと、俺のことをマジマジと見つめながらレクタス公爵に釘を刺した。


「レクタス……ぼくの目は節穴じゃないよ」


 意味深なミラエラの言葉に俺は困惑する。レクタス公爵は無言で振り返ると、無表情で頭を軽く下げた。その姿を確認したミラエラは、ニヤリと口元を緩ませると瞬間移動のようにその場から消えてしまった。

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