第2話 強き者とは

 どこへ連れていかれるのだろうか。ナターリアの後をついて歩くこと十数分。闘技場があった山とは真逆の方角を目指して、ただひたすらに歩く。


「総監様。これからどこに行くのですか?」


 ハッキリと声を出したつもりだが、俺の声が届いていないのか。ナターリアは質問に答えることなく歩き続けていた。


 そのままたどり着いた場所は、何もない平地。そこは魔法で作られた結界空間の最果て。

 洞窟内に広がる結界空間の最果ては、霞みかかったように景色が歪んでいる。囚人達がその最果てまでくることは基本的にない。来たところで何か変わったものがあるわけでもないし、歪んだ最果ての空間を触っても、見えない壁があるように先へ進むことができなくなっているからだ。


「どうじゃオルディ? ベルバーグには慣れてきたか?」


 先ほどまで無言で歩いていたナターリアは、空間の最果てにたどり着くと急に話しかけてきた。


「そうですね。決闘が終わってからは特に困ることもなく、少しは生活に慣れてきました」


 入った初日は、食事やら周囲の環境にかなり困惑した。だがヨンヘルのおかげもあって、俺はすぐに仕事を貰えるようになり、大きな問題の1つであった食事面を早い段階で安定させることができた。

 竜族ドラゴニックとの決闘こそ死に物狂いであったが、それ以外に関しては正直ここが居心地良くなり始めている。


「そうか。1つ確認しておきたいのじゃが、貴様はここが居心地の良い監獄じゃと勘違いをしておらんか?」


 ナターリアも俺の余裕を察しているようだ。決して根本的なことを忘れたわけではない。ここは極悪人が集まる大監獄。

 シャルディネの件もあるし、俺が知らないところで横暴なことが起きている噂は毎日のように聞く。この1週間。たまたま俺がそれに巻き込まれていないだけで、常に危険が渦巻いているのは間違いない。


「いえ。総監様の言葉はしっかりと覚えています。ここは最低最悪の地獄。居心地が良くなり始めているのは否定しませんが、いつ俺も争いに巻き込まれるか分かりません」

「そうじゃ。そして、いつ貴様が争いを巻き起こすかも分からん。勘違いするでないぞ。貴様は被害者でもなければ一般人でもない。まごうことなき犯罪者なのじゃ」


 犯罪者か。だいぶ慣れてきたが、身に覚えのないことで犯罪者扱いされるのは本当に気が滅入る。無実で捕まった人の気持ちはこういったものなのだろうか。

 やっていないと訴えても、そこに証明できる事実がなければ誰も聞いてはくれない。いや、何か証明できたところで1度犯罪者として認識されれば、その印象を払拭することは簡単ではない。


 ナターリアは緩み始めている俺に、しっかりとした緊張感を持たせたいのだろう。だがしかし、言いたいことは理解できるが、罪を犯した記憶もない俺にはただの戯言にしか聞こえない。


「ここは本当に腐った場所じゃ。我輩やバーディアのように強き者が権力を握り、他の看守は敬慕けいぼしたいと思う上司にへつらう。力ある者がどれだけ横暴なことをしようと、それに反論する輩などおりはせん。ジャージェやバルカスのような荒くれ者にとっては、地上よりも生きやすい場所であろう。世間ではのう、ベルバーグを囚人の楽園と嫌味を吐く者も少なくはない」


 立ち止まって語るナターリアの背には、少し哀愁が漂っている。そよ風に艶めく黒髪から、彼女の心情が感じとれたのだ。きっとシャルディネの件を重たく感じているのだろう。


「悔しいが、我輩1人の力では全てを把握することができぬのが現状じゃ。【剣帝】などという肩書きだけでは、人の本質を永遠と抑え込むことはできぬ。バーディアがその良い例であったのう。だからこそ、罰則は厳しくあらなければならぬ。それによって囚人が死ぬことになってもじゃ」


 総正監としてのプレッシャー。ナターリアがなぜこの職につくこととなったのかは知らない。だが【剣帝】という称号を背負い、圧倒的な強さを持つ彼女には、俺では到底理解することができない責務があるのだろう。


「いらぬことを話してしまったな。不思議なものじゃ。ただの囚人であるはずなのに、貴様からは強い信念を感じとれる。何かのために……いや、誰かのためにか。自分以外の者を見据えた瞳。他の囚人にはない強さを、貴様からは感じてしまうのう」


 自分以外のために。そう過大評価されても、ピンとくるものではない。

 確かに、異世界に来てから思考が少しは変わった。もともと俺は自分の不幸を呪い、すべての出来事に言い訳を繰り返し、いつも自分が被害者であると言い聞かせていた。何も自分から行動せず、与えられた生活に甘え、自分を愛してくれた母を苦しめる。

 そこまで分かっていても、行動する勇気がなかった。また否定されるのが怖くて、先に進むことができない。


 それは異世界に来てすぐも……同じだった。

 理想だけを妄想し、変われると信じていた異世界転生。力に溢れ、都合良く物語は進み、人々に崇拝され、女性にはモテまくる。

 そんな理想郷とはかけ離れた世界に飛ばされ、嘆き、悲しみ、また逃げ出そうと考えた。


「……総監様、違いますよ。俺はいつだって逃げてきた。それが嫌になってきて、今さら母を言い訳にして自分を美化しているだけです。俺は、そんな弱い屑のような人間なんです」


 顔が上がらない。下を向くことしかできない。しっかりと前を向くことすらできない俺が、強いわけがないんだ。


「よいかオルディ。強さとはのう、他者と天秤にかけることで成立する理じゃ。貴様は己の弱さに気づき、逃げ出せたはずの決闘に1人で立ち向かったではないか。ヨンヘルを、ルーリエを、ミルクを巻き込みたくない。そんな想いを持てる者は、この監獄におらん。ならば、それは他者よりも強い心ということじゃ」


 ナターリアは振り返り、俺の顔をくいっと持ち上げる。目と目が合うと、その澄んだ碧色の瞳は、俺の心を見透かすように美しく煌めいていた。

 ルーリエもそうだ。妖精族エルフィの瞳には、なにか不思議な魅力がある。思考を読みとられているような、心が吸い込まれるような感覚。妖精族エルフィには、人の心理を見抜く力があるような気がする。


「俺が……強い」


 だが、俺の目は弱々しく霞んでいるだろう。自信なく視線を剃らすと、ナターリアは軽く舌打ちをして目を細める。そのまま俺の体を強引に押し飛ばし、最果ての結界に叩きつけた。

 すぐさま魔法を使って小さな檻を作り出すと、そこに俺を閉じ込める。檻は最果ての結界と一体化すると、それを待っていたかのように、突如結界の壁から数々の料理が現れた。

 それは普段のゼルで買う食事よりも圧倒的に豪華だ。肉や魚、野菜に米、デザートには果物まで用意され、ちょっとしたレストランのフルコースとも呼べるものであった。


 ベルバーグに入ったばかりの俺であれば、その豪華な食事に無我夢中で飛びついていただろう。だが、今は数十分前に昼食を終えたばかりだ。そんな豪華な食事が急に現れても、特別な感情を抱くことはない。


「な……なんだこれ? さっき昼飯を食い終わったばかりなのに」

「気をしっかり持つのじゃ。これより暴食の刑を開始する」


 暴食の刑。突如として現れた食事に困惑したが、暴食と聞いて嫌な直感が頭を過る。

 ナターリアは豪華に装飾された椅子を作り出すと、俺と向き合うように座り、足を組んで小さく微笑んだ。


「この罰則は丸1日かけて行うものである。いかにバーディアの暴走が発端であったとしても、その罰則を軽くしてやることはできぬ。我輩個人としては、ここまでやる必要はないと思っておる。だがこれは他の囚人に対しての戒めでもあるのじゃ」


 何が我輩個人としては……だ。ナターリアが見せるニヤけ顔は、明らかに俺をいたぶることに快感を得ているじゃないか。

 それにしても、丸1日かけて行う罰則。それに対して現れた食事。俺の感じた直感が間違っていないのならば、これは地獄の始まりである。


「オルディや。人にとって、もっとも苦痛な時はいつじゃと思う? 痛み。苦しみ。悲しみ。まぁいくらでも候補はあるじゃろう。だがのう、最も辛いのは過度な欲求処理じゃ」


 聞いたことがあるぞ。人とは、飢え死にする苦しみよりも、満腹を越える食事に強い苦しみを感じるという。食わずに飢え死にを待つことはできても、ひたすら食い続けて死ぬなんてことは不可能なんだ。それは死ぬことよりも辛く、脳が強制的に食べる行為をしなくなる。


「これより24時間、我輩がここで貴様を監視する。その間、貴様はこの何もない個室でひたすら食事に専念してもらう。2時間毎に運ばれてくる食事を1度でも残したり吐き出せば、即刻我輩が貴様の首を落とす。暴食の刑から生きて帰った者は今までに1人もおらん。オルディ、どんな手段を使っても良い。暴食の刑から生き抜いてみせよ。そして己に自らの強さを証明するのじゃ」

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