第7話 女神と鬼神

「ここが……ベルバーグ」


 見渡す限りの砂。洞窟の入口以外は全てが砂である。地上からどれほどの深さに存在しているのか。どうやってこの場所にたどり着いたのか。誰がこんな場所を作ったのか。空気はどこから。水はあるのか。考え出したらキリがないほどの疑問が駆け巡る。

 ひとまず寝そべった体を起こそうと力を入れると、腹部に激しい痛みが襲いかかった。そしてその痛みを感じることによって、自分が何をしたのか鮮明に思い出す。


「あっ……俺は……あの……す、すみませんでした!!」


 腹の痛みを忘れるほどの焦りが俺の体を叩き起こす。すぐさま膝を突くと、額を地面に擦りながらナターリアに謝罪した。

 意識が朦朧としていたとはいえ、総正監である彼女に俺は最低な行為をした。今にも首を切り落とされるのではと冷汗を垂らすと、ただひたすらに謝罪を繰り返す。

 しかし、ナターリアの反応は意外なものであった。


「はっはっは、愉快であるな。我輩はそこらのうぶな少女ではない。仕方なかろう、我輩のフェロモンを至近距離で嗅げば、男なら当然の行動。まぁ世の中の男共は我輩がどのような人物か知っておるからか、ここ数十年は欲情剥き出しに襲ってくる者などおりはせんかったがな。貴様は度胸があり、容姿も中々に我輩の好みじゃ。看守と囚人の立場でなければ、一晩ゆっくりと楽しむのもありじゃったの」

「えっ?! 数十年って……。ナターリアさんって俺と同じ歳くらいかと」


 ナターリアは俺の顎を優しく上げると、柔らかな笑みで目を見つめる。まるで女神のような美しい碧色の瞳に、俺は心を奪われかけてしまった。


人族ヒューマンは寿命が短いからのぅ。我輩は妖精族エルフィじゃ。妖精族エルフィの平均寿命は約500年、そして若い期間が他種族よりも長い。我輩は126歳じゃが、400歳を過ぎるまではピチピチの若娘も同然じゃぞ」


 可愛らしくウインクをした後、その女神のような笑みは急に一変する。優しく俺の顎を支えていた右手は、勢いよく俺の髪の毛を鷲掴みにした。先程まで碧色に染まっていた瞳は気づけば血走った朱色に染まり、体には鋭い覇気を纏う。その禍々しい狂気から連想されるのものは、まさに鬼神である。


「だが……ここからは覚悟しておくのじゃ。監獄の入口を跨いだ瞬間から、貴様の命は我輩の手の平で管理される。そこにあるのは、絶対服従か死じゃ。今後我輩のことをナターリアさんなどと舐めた呼び方をすれば即刻殺す。ベルバーグの規律その1、我輩のことは【総監様】と呼ぶのじゃ」


 鷲掴みにした髪の毛を無理やり引っ張ると、俺の体を洞窟の内部に放り投げる。俺は髪の毛がごっそり抜けたんじゃないかと思うほどの痛みを味わうと、すぐさま頭を触って髪の毛の有無を確認した。


「……良かった。抜けてない」


 地面に転がりながら無様に頭を撫でる俺を見て、ナターリアは気分良く大笑いする。何笑ってるんだよっと叱責してやりたいところであった。しかし先程の凄味を見せつけられては、俺に言い返す言葉などありはしない。

 立ち上がりながら体についた埃を払うと、意気消沈したように顔を落とす。そんな俺の背中をナターリアが擦ると、優しい笑顔で俺を元気づけてきた。


「まぁそんな落ち込むでない。今のところ我輩は貴様のことを気に入っておる。副総監のバーディアは貴様を毛嫌いするだろうが、ひとまず我輩の機嫌さえ損なわなければ、監獄生活もそれほど酷いことにならぬであるぞ」


 ナターリアの機嫌を損なわない。簡単そうに言ってくれるが、それが何よりも難しいことではないのかと、より不安になった。


 薄暗い洞窟をナターリアについて進むと、金属のようなもので作られた銀色の巨大な扉が現れる。そこには門番のように仁王立ちする、岩で体が構築された化物が2体。体長は5メートルほどあるだろうか、まさにその見た目はゴーレムと呼ぶに相応しい。

 ナターリアがゴーレムの前に立つと、仁王立ちしていたゴーレムが片膝を突き、ナターリアに向かって頭を下げた。


「ルーデウス総正監殿。囚人の連行、ご苦労様でございます。ベルバーグでは総正監殿が不在の間も、異常なく平常運行でございます」

「ふむ。門前の見張りご苦労であるぞ。我輩は最下層まで囚人を運ぶ。このまま警備を続けてくれたまえ」

「「御意」」


 ナターリアの存在がいかなものか、ここに来て初めて実感した。あれほどの巨体が完全にナターリアへ忠誠を示している。世界最悪と呼ばれる監獄の総正監だ。普通ではないことは分かっていたが、その認識がより深いものとなる。先程の凄まじい覇気も、実力のごく一部なのかもしれない。


 ゴーレムが巨大な扉を開くと、ナターリアは躊躇することなく足を進める。俺は恐る恐るゴーレム達の間を進むと、睨みつけるような眼圧に思わず萎縮してしまった。


「なんじゃ? 土塊族ゴルディオと対峙したのは初めてか?」

「いえ……初めてというか、記憶がないので分かりません。ただ……凄い眼圧というか、迫力というか」


 戸惑う俺を見て、ナターリアは少し面倒臭そうに頭を掻いている。それでも記憶がない俺に対し、律儀に色々と説明をしてくれた。


「そうじゃったのぅ。貴様の記憶がないというのも不憫なものじゃ。土塊族ゴルディオはその巨体と怪力が自慢の一族じゃ。主への忠誠心も中々しっかりしておる。護衛や門番としてはうってつけの一族じゃな。この先も貴様の分からぬことが度々でてくるじゃろう。その時は遠慮しずに我輩へ聞いてくるが良い」

「あ、ありがとうございます」


 美しい容姿。何気なく見せる優しさ。狂気に満ちた時を除けば、この世界を全く知らない俺にとってナターリアは眩すぎる存在だ。囚人と看守の関係じゃなければ一晩楽しむといった言葉を思い出すと、何とも歯痒い気持ちがムラムラと込み上げてくる。

 情けない話だ。こんな状況だというのに、彼女の胸元を見ると胸を揉んだ時の興奮に高揚している。学生の時はそこそこモテたから、ニートを6年続けていたとはいえ決して女性経験がないわけではない。それでも妄想通りの異世界美女を前に、男なら欲情しないほうが可笑しいというもの。


 そんなくだらない感情に浸っていると、気づけば大広間のような場所にたどり着く。壁にはいくつもに枝分かれした洞穴が空いている。どうもこの先は迷宮のように入り組んでいるようだ。


「さて、ここから一直線に最下層を目指すぞ。しっかりと我輩についてくることじゃ。はぐれて迷宮に取り残されても、我輩はしらぬからのぅ」


 坂道を下るように道がどこまでも続いている。アリの巣のような分れ道の連続を進むと、30分ほど歩いてようやく目的地に到着した。何もない行き止まりで立ち止まったナターリアは、壁に手を当てて何かを詠唱する。すると、俺とナターリアは吸い込まれるように壁をすり抜けた。

 壁をすり抜けると、想像していなかった空間が拡がっていた。洞窟内部であったはずなのに、そこには青く澄んだ大空があったのだ。それだけじゃない。芝の生えた大地もあれば、川まで流れている。中央には巨大なマンションのような住宅施設も建っている。他には露店が並ぶ商店街などもあり、まさに小さな1つの町のようであった。


「ここが……監獄?」

「どうじゃ? 快適そうじゃろ? 我輩の作った規律を守りさえすれば、ここでの生活は基本的に自由となっておる。しかし肝に命じておくのじゃ。ここはベルバーグでも、最も極悪の囚人が収容される最下層じゃ。何日か過ごせば、ここが地獄であるということが良く分かるじゃろう」


 平和そうに見える町並みに反し、ナターリアの言葉に俺は息を飲む。そのまま中央の住宅施設に入ると、早速その言葉の意味が分かった。

 建物の中はいくつもの部屋に区切られており、そのどれもが薄い結界のようなもので入口を塞がれている。1つ1つの部屋は4人相部屋になっているようで、通路から中の様子が良く見えるように作られていた。


 それらを横切るように奥へ進むと、ぞっと背筋が凍るような目線を感じ振り返る。すると、そこに収容されている数多の種族の異人達が、殺人鬼のような鋭い視線で俺を睨みつけていた。


「ぞくぞくするじゃろ? 貴様も今日からこいつらの仲間入りじゃ。せいぜい殺されぬように仲良くするのじゃな」


 1つの部屋の前に立ち止まると、ナターリアは入口の結界を開き、俺を中に押し入れる。6畳ほどの部屋には粗末なベッドが4つと、その奥に扉が1つ。そして目の前には、俺と同じ灰色の服を着た青髪の青年が後ろを向いてベッドに寝そべっていた。

 俺が部屋に入った途端、入口の結界は自動で張られ、外に出ることが出来なくなる。ナターリアは通路から俺を眺めると、青年に向かって大笑いしながら声をかけた。


「はっはっは、喜べヨンヘル。待ちにまっておった男じゃぞ。こやつが今日からこの部屋の住人となる。さっそく貴様に仕事じゃ! ここの規律を新人に叩き込んでおけ。特に、【性欲】に関しては重々に分からせておくのじゃ!! この男、我輩の乳を揉みしだきおったからのぅ~」


 青年はゆっくりと振り返ると、無言で俺を見る。その目は俺を軽蔑するような冷たいものだった。

 これから共に人生を過ごすであろう人物との初対面。それはナターリアのからかうような言葉によって、最悪なスタートとなってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る