第10話 理由

 起床を知らせる爆音のサイレンは、今日も1日の始まりを告げる。

 新しい房で向かえた初めての朝は、とても有意義な時間であった。


「……ふぅ。朝にゆっくりとトイレを使えるのは、とても幸せなことなんだな」


 6人部屋の房には水回りが2つ。4人部屋だった頃の朝といえば、まずミルクが真っ先にトイレを占領するのだ。そして、その次はルーリエの番。俺にだって最低限のエチケットは存在する。朝起きてすぐトイレに行きたくなっても、女性陣が出た直後のトイレにこもったりなどしない。

 俺なりの勝手な思考だが、自分が出たばかりのトイレに他者が入るのは少し心が落ち着かない。夫婦や同性の友達ならまだしも、それが同世代の異性となれば、その気持ちはより大きなものになるさ。

 だから俺は、ここ最近ずっと朝のトイレを我慢してきた。馬鹿な話に聞こえるだろうが、他者との関係を築きあげるためには、そんな些細な気遣いが大切となる。まぁ、6年間ニートで引きこもっていた俺が言っても、なんの説得力もないのだがな。


「いっただぁきまぁ~す!」


 朝の目覚めを告げるのは強烈なサイレンだが、食事の始まりを告げるのは、決まってミルクの元気なかけ声である。

 本日の朝食は、出来立てホカホカのベーグルパンと、男囚人達に大人気の温かいブラックコーヒーだ。パンにはクルミのようなナッツが混ぜ込んであるのか、ほのかな甘い香りはコーヒーの香りとシンクロすることで俺の食欲を刺激した。

 思いきってかぶりつく。フワフワな食感は容易に想像できていたが、それとは別に、不快にならないほどよい弾力がしっかりと料理に厚みを加える。

 軽い食感の料理は、口当たりがよくても腹持ちが悪い。この後に刑務作業が控えている囚人にとって、朝からしっかりとした食事がとれることは、なによりもの幸せだ。


「ごちそうさまでした」


 このあたりの礼儀作法は現実世界と同じなのか、各々がしっかりと食事の終わりを告げる。ルーリエなんかは特にしっかりとしていて、空になった皿を前に両手を合わせて「恵みをありがとうございます」と、毎回誰よりも深く食材に礼をする。

 妖精族エルフィは自然を愛し、自然と共に生きる種族とヨンヘルから聞いたことがある。その礼儀正しい姿は、自然に対しての強い感謝があってこそだろう。


「刑務作業の時間だ。ルーリエとミルク。オルディとシャルディネ。それぞれペアとなって、担当の看守に従え」


 朝食を終えた後、日課となっている刑務作業の呼び出しがきた。今日の作業は2人で1組となるようだ。

 ヨンヘルはいつものように、ベッドで寝そべったまま本を読んでいる。看守との取引で相当稼いでいるから、そりゃ刑務作業なんてするはずがない。だが、昨日あれだけ揉めていたんだ。今日は大丈夫だろうか? そんないらぬ心配をしながら、俺はシャルディネと共に作業場を目指した。


「作業場はここだ。2人で建物周囲の草を除去しろ」


 作業場にたどり着いてみると、そこは看守が休憩などで使う建物の前だった。指示された仕事内容は、その建物周囲の草むしり。これぞ雑用っといったところだな。

 見るも無惨に生え散らかした雑草に、心の中でタメ息がでる。それでも始めなければ給料はもらえない。少し気だるそうに腰を落とすと、シャルディネは隣に座って軽く頭を下げた。


「あ、あの。今日は宜しく、お願いします」

「ああ。こちらこそ宜しく」


 昨日は堂々と告白まじりな発言をしていたシャルディネだが、今日は朝からどこかよそよそしい。目を合わせて話そうとしても、恥ずかしそうにそっぽを向かれてしまう。そんな態度をとられると、なぜだかこちらも恥ずかしい気持ちになってしまうものだ。


「シャルディネ、昨日のことはお互いあまり考えないようにしよう。気持ちはとても嬉しいが、ベルバーグで恋愛沙汰はご法度に近い。お互いのためにも、良き同居者として仲良くしよう」


 少し気を回したつもりだったが、シャルディネは残念そうに俯いていた。だが仕方ない話だ。ここでは性欲が固く禁止されている。そんな環境下で恋愛関係を築いてしまえば、お互いに辛い想いをするだけだ。ルーリエに片思いをしている俺が言っても、相手に響かせることなんてできないだろうがな。

 それよりも、今はずっと気になっていたことがある。シャルディネにはどうしても聞いておかなければいけない。


「そういえば、ずっと聞きたかったんだ。シャルディネは、俺が決闘で魔法を使うところ……見たよな?」

「は、はい。しっかりと、見ていました」


 そう、彼女は俺が足輪を外す姿を見た数少ない人物の1人だ。ルーリエもそうだが、彼女達はその気になれば、俺に交渉することだってできる。普通ならば、見たことを黙っていてほしいなら自分の足輪を外せ。そんな傲慢をぶつけてきてもおかしくない。

 しかし、驚くほどにそんな素振りを見せてこないのだ。さらには監獄内で噂すら出ていない。それは彼女達が俺の能力を口外していない、なによりの証拠だ。


「監獄内の反応を見るに、俺が魔力を使ったことは誰にも知られていない。ルーリエは同じ房だから分からなくもないが、元々違う房だったシャルディネが黙っている意味が分からなくてさ」


 ストレートに疑問を聞いてみた。最悪はこのタイミングで交渉をされるかもしれない。だが、いつまでも理由が分からずスッキリしないほうが不気味であった。


「そ、そんなに深い意味なんてありません。私はお2人に救われました。魔法について私が口を軽くすれば、オルディが大変なことになるのなんて、考えなくても分かります。大切な恩人にそんな振る舞いをするなんて、わ、私にはできません」


 シャルディネの瞳は、相変わらず綺麗な青に煌めいていた。そこに嘘や誤魔化しなんて存在しないだろう。否定的な意見しか考えなかった不粋に、自分の心の穢れを感じてしまう。


「……そうか。自分の狭い心に気づかされたよ。ありがとうシャルディネ。君が秘密にしてくれたおかげで、俺は今日も平和に1日を過ごせている」

「い、いえ。私は……オルディの、ためなら」


 本当に彼女は勇敢である。普段の控えめな部分と、気持ちをストレートに伝える部分のギャップが、よりそう思わせるのだろう。

 好意を抱いた相手に、自分の気持ちを素直に伝える。それは簡単そうに見えて、とても難しいことだ。俺は母にすら、感謝の言葉を伝えれたこともない。


「そ、それに。房の移動は、私のワガママなんです」

「ワガママ? そういえば、房の移動はかなり珍しいことみたいだよな」


 ベルバーグで20年以上過ごしているヨンヘルですら、房の移動は初めての出来事だ。それなのに、俺がベルバーグに来て10日ほどで房の移動をすることになった。

 よほど深い理由があったのかと思えば、蓋を開けてみればシャルディネの移動が理由。普通ならば移動願いを出した程度では、房の移動なんてできないだろう。


「オルディは、決闘が終わった時に総監様が私に伝えた言葉を覚えていますか?」


 ナターリアがシャルディネに伝えた言葉? 何か特別なことを言っていただろうか。自分のことではなかったから、その時の記憶は鮮明に覚えていない。


「総監様は、特別な待遇をくださると言ってくれました。だから私は、房の移動をお願いしたのです」


 確かにそんなことを言っていたな。その場の雰囲気で話しただけかと思っていたが、ナターリアは本当に願いを聞き入れたのか。やはり彼女は人として尊敬できるな。


「私の監房は元々ジャージェ達と3人でした。決闘で彼らが死んで、私は1人になりました。それは良いことなのですが、そのままではいずれ他の囚人が入ってきます。また竜族ドラゴニックがきたら、そう思うと恐くて。だから、オルディやルーリエの房と同じにしてほしいって、総監様にお願いしたのです」


 そんな経緯があったのか。シャルディネの気持ちを考えてみれば、至極まっとうな理由である。


「そうだったのか。ということは、シャルディネも残っている刑期はまだ長いんだな。よければ、どうして収監されることになったのか教えてほしいな」


 踏み込んだ質問だが、同部屋になったなら知っておいて損のない話だ。シャルディネも特に抵抗はないのか、答えるのに悩む素振りも見せなかった。


「罪名は【偽装評価】。判決は無期懲役。ベルバーグに収監されてから5年ほどになります」


 あまり聞きなれない罪名だ。ここはベルバーグでも、特に酷い囚人が収監される最下層なんだよな。罪名だけでは、その内容がよく分からない。


「偽装評価で無期懲役? 罪名だけ聞けば、それほど大事ではないと思うが。それだけで無期懲役なんかになるのか?」

「そういえば、オルディは記憶障害があるんでしたね。偽装評価は、王族が決めた秩序に楯突く行為。それは、無数にある犯罪の中でも特に重大な過ちの1つです」


 なるほど。王族に歯向かう行為ならば、納得もいくな。だが尚更、不思議に思う。なぜそんな大罪をシャルディネが犯したのだろうか。


「王族に歯向かうか。俺も1度王族を目の当たりにしたが、彼は途轍もない権力を持っていた。なんでシャルディネはそんな犯罪をしたんだ?」


 シャルディネは初めて俺の質問に悩みを見せた。少しだけ無言になると、哀しげな瞳で俺を見つめ、小さな声で理由を語り始める。


「……私達は、下級種族だから」


 俺は軽い気持ちで聞いてしまった。少し考えてみれば分かりそうな理由だった。そこには、異世界にあるとても強い不条理が存在したのだ。

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