第23話「捨て犬・飼い犬・野良犬」

 怜治れいじの結末は、誰でも簡単に想像できる。


 本当ならば主税ちからが戻るのを待つべきだったのに、怜治はできなかった。


 その代償は、怜治も想像していたはずだったのだが、いざ自分の身に起こってみると……、


「げっ……げお……っ」


 鼻血が止まらないなど、怜治にとって初めて経験である。鼻の粘膜が傷ついて出る鼻血ではなく、尾骨がへし折れた出血だ。


「げおっ、げおっ」


 呼吸が苦しいのは鼻血のせいだけでなく、鳩尾みぞおちを殴られ、蹴られた事によって横隔膜が引きつりを起こしているからか。


 さたすら怜治をいたぶった男は、怜治が手で支えても座っているのが限界になった所で、怜治の顔へツバを吐きかける。


「素人が、ヤクザ屋さん舐めたらいかんよ」


 この言葉を、シェイプシフターは笑いを堪えながら聞いた。怜治も主税も、ヤクザを舐めていた事などない。そもそもシェアハウスは、居場所を見つけたい美波みなみあやへ、怜治が用意したい場所だ。決してデートクラブでも、売春組織でもない。


 それを利用したのは雅代の顔をしたシェイプシフター。


 そしてヤクザもシェイプシフターが利用した。


 だからシェイプシフターは思う。



 ――アホなんじゃないか!?



 今、血だるまになっている怜治も、血だるまにしているヤクザも、どちらへもシェイプシフターは嘲笑を浴びせたくなってしまっている。


 ヤクザへ目を向けて思う。


 ――痛めつけて、何か得する?


 何もない。


 そして怜治へ向ける。


 ――耐えて、何かいい事ある?


 これもない。


 ないない尽くしで意味すらないのは、たちの悪い冗談だ。


 ――仕掛けられる方が間抜け。歯科竹私は、そんなに優秀じゃないよ?


 シェイプシフターは笑いを堪えようと口元に手を当てたのだが、その仕草は丁度、ヤクザも怜治も都合良く解釈してくれる。



 双方とも、怯えていると取った。



 火の付いたタバコを口元にやりながら、ヤクザは視線だけを振り向ける。


「嬢ちゃん、もういい。帰りな」


 余裕を見せたいのだろうか。詰め腹は怜治に切らせるから、雅代へは警告だけで済ませてやる、といっている。


 怜治も呼吸すら整わないまま、血だらけの顔を上げ、そこに精一杯の笑みを浮かべる。こちらは安心しろとでもいいたいのだろうか。


「大丈夫だから、雅代ちゃんはお帰り。昨日のもの、忘れずに持っていくんだよ」


 怜治へシェイプシフターは震えた。


 ――この期に及んで。


 無論、笑いそうになってしまうからだが、ヤクザと怜治は、恐怖と受け取る。


 ――じゃあ、出してやるよ。


 シェイプシフターは思った。


「でも、怜治さん……」


 どちらもが好きそうな、震えた声を出す。これは簡単だった。笑いを堪えればいいのだから。


 それでも怜治は精一杯の笑みを浮かべ、


「いいから。僕は、大丈夫」


 血まみれで声まで掠らせて、何故、大丈夫といえるのか、それを考えるとシェイプシフターは笑うしかないではないか。


 ――これ以上、笑わせないで。


 しかし笑っていられるのは、そこまでだった。


「――」


 その場にいる全員が聞いたのは、ではない。



 ホシと同じ、テレパシーとでもいうべきもの。



 無理矢理、自分へ視線を集める為に放たれたテレパシーの主は、主税だ。食い縛った歯を剥き出しに、極端な前傾姿勢で走る姿は、人間ではなく、全く別の生き物を想像させる。


 事実、主税は転移者である。



 牙を剥くかのように口を開け、極端な前傾姿勢で疾駆する主税を、異世界ではウォーウルフと呼ぶ。



 しかし全力疾走してくる主税を、ヤクザは嘲笑をもって出迎える。


「犬か」


 その嘲笑は、真実を知ってか知らずか、本質を突いていた。


 異世界から現代へ来た捨て犬、そして怜治に拾われた飼い犬だ。



 そして今、肩書きが変わる瞬間が訪れる。



 ヤクザは懐から安っぽく黒光りする銃を……、


「あばよ。ルールは守れよ」


 そこから、怜治は酷く景色がスローモーションになるのを感じた。


 ――あぁ、そうか。


 唐突に訪れは理解は、怜治の命が尽きる瞬間が来たからだろうか。



 理解――父親の事だ。



 ――あの言葉、受け入れられるんだ、今は。


 どこかで聞いてきた言葉をそのまま出した父親へ感じた、いいようのない嫌悪感と軽蔑の気持ちが、今、怜治の中にはない。


 ――自分の言葉でいわなかったんじゃない、難しくていえなかったんだ。


 その難しさを、怜治も実感したからだ。美波、絢、雅代、主税と暮らしていく中で、怜治も人の言葉を自分の言葉にできた事は少なかった。


 ――お父さんは、僕と向き合ってないから、そういったんじゃない。向き合ってくれてた。向き合ってくれてたから、必死で言葉を見つけてきた。自分の言葉にできない苦しみにも耐えてたんだ。


 そして理解は、自分の事に及ぶ。


「僕は……」


 その目に映るのは、銃口ではなくなっている。



「僕は、親になりたかったんだ……」



 親――誰から何かを与えられるものを身に着けた存在だ。


 理解した瞬間、怜治に向けて引き金が引かれる。


「――!」


 主税の叫びは悲鳴か、怒号か?


 シェイプシフターは「チッ」と舌打ちすると、ヤクザを突き飛ばし、その車を奪う。


 ――ここじゃないんだ、お前の出る幕は!


 ここで主税と事構える訳にはいかない。主税が暴れるのは、ここではなく、茜家――。


 ***


 はるが一晩、持たなかった様に、ホシもまた一晩、保たなかった。


 翌朝も、どこか憂さ晴らしするかのように動いているのも晴と同じ。



 晴と少し違ったのは、話しかけてくれた相手が悪意を持ったシェイプシフターではなく、温厚で気の良い赤星あかぼしすぐるだった事。



 そして今、ホシは軽の箱バンに揺られている。


「僕は、ハルくんを許した訳じゃないからね! オニが帰ってやれっていうから、帰ってあげてるんだからね!」


 ハンドルを握っている赤星が、ホシに帰って仲直りしろといったからだ。憂さ晴らしに跳ねまくるホシがいい加減、うざったくなったというのもあるが、基本的に温厚な性格の赤星は、ホシと同じく寂しさが限界に達しているであろう晴を気にしたのである。


「晴くんが寂しそうにしてたら、私は耐えられないの」


 ホシのプライドが満足するのであれば、赤星は自分が折れる事に躊躇いはない。


「寂しいの、ダメなんだよ、私」


 これは鬼に多い。この転移者と転生者がいつから出現しているのかは定かではなく、またホシと慶一の年齢差を見ても、時間の流れが無関係かも知れない気配もあるのだが、鬼は比較的ポピュラーな転移者である。


 鬼と人の関わりは、捕食者と被捕食者である場合もあるが、逆に協力者である場合もある程、鬼は単独で存在しづらい精神的特性を持っていた。


「暴流に橋を架けた、社を建てたって鬼の伝承も、人恋しい鬼が多いからかも知れないし」


 自分が特別ではないと思っている赤星は、助手席へチラリと目をやる。


「私は、ホシも晴くんも大好きよ。仲がいい二人がね」


 仲良くは、するものではなく「なるもの」というのを体現している二人なのだから、そこに亀裂が走っているのを嫌う――赤星とは、そう言う女だ。


 わからないホシではなかった、


「……うん」


 返事をしたホシは、助手席で丸くなり、ややあって箱バンは茜家の店舗側につく。


 赤星は「さ、いってらっしゃい」と、手を伸ばして助手席のドアを開けるのだが、そこへ猛スピードで突っ込んでくる車が一台。


 その運転席から、慌てた様子で女が降りてくる。


 雅代の顔をしたシェイプシフターだ。


「さぁ」


 走ってきた道を振り向く。ウォーウルフの本性を現した主税は、車やバイクと併走できる脚力を持っている。撒かれるなどという事はないはず。


 額に浮かぶ脂汗を拭うシェイプシフターの期待通り、国道から県道へ入ってくる主税の姿が見えた。


 だが次の瞬間、シェイプシフターの身体は赤星に引っ張られる事となる。


「乗って!」


 赤星も主税の姿を見ていた。そして主税の姿から、それが危険な転移者である事も感じ取れる。


 ――この子を狙ってる! それに、ここで暴れさせる訳にはいかない!


 そう思った次の瞬間、赤星は反射的にシェイプシフターに手を伸ばしてしまった、という訳だ。


 目を白黒させるシェイプシフターだったが、助手席から後部座席へ避難するホシの姿を見て、ほくそ笑んだ。


 ――いや、これはこれで……。


 茜家で主税にぶつけてやろうと思っていたドラウサなのだから。

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