第36話「午後10時」

 その日、その瞬間、ネットの様々なところで奇妙な文章が現れた。


 ――今、停電してるところ、ヤバいらしいぞ。


 大抵の者が気にも止めていない。そもそも台風の影響は限定的で、これが関東――特に東京で起きているのならば話も違うだろうが、今、台風が接近しているのは地方都市だ。


 ――近所に、停電してないかって青いブランケットの奴が来ると、ヤバいらしい。


 だが同時多発的に同じような言葉が並ぶと気にする者も出始める。


 ただ最初にやってくるのは、できの悪いあおりしかないが。


 ――青いブランケットって何だ? 服が歩いてくるのか?


 これにあったのは野次馬根性だろう。


 しかし青いブランケットについて書き込んだ者は何をいでもなくう、ただ同じような事が様々なところで書き込まれるのみだったのだから、炎上したりはしなかった。


 ただの荒しに割かれる時間はない。



 ただ荒しと断じられた相手が、この嵐の夜に起こしている事は、確かに書き込まれた通り。



 青いブランケットに返事をし、開けた同僚は足と目を失い、床に転がっている。


 桧高ひだかはもう一度、「おい!」と大声を出した。


 ――何なんだ!?


 理解しようとするも、頭が回ってくれない。


 違和感ばかりが肥大していく。同僚を斬りつけた刃物の先が、酷く現実離れして見える。青いブランケットはレインコート代わりにできる程であるから、かなりのオーバーサイズなのだ。それでも刃物全体が隠れるのではなく、切っ先がはみ出るのだから、ナイフというよりなたの類い。しかし猟師でもなければ、ナイフのように尖った剣鉈けんなたなど見た事がない。


 室内のシーリングライトしか光源がないというのに、その刃物の銀色はやたらとギラギラと見えて――、その光り方に魅入られたような顔をしている桧高を、横っ面でも叩くかのように声が投げつけられた。


あかねさん、逃げて!」


 声を掛けた同僚は、青いブランケットを近くにあった椅子で殴りつけ、別の一人が足と目を切られた男を抱き上げていく。


「あ、ああ!」


 怪我人を抱きかかえる同僚に手を貸し、桧高も走る。


「警察と、救急!」


 桧高の判断は常識的なのだろうが、この台風の中だ。警察と消防は災害対策の要でもある。殺傷事件は緊急事態であるが、災害と比べると……?


 血まみれの同僚を運ぶ中であっても、そう考えてしまうのが、坊ちゃん嬢ちゃんの集まりである桧高の同僚たちだ。


 脂汗を掻き桧高は、背後を……、


「兎に角、今は――」


 その視界が闇に包まれた。



 青いブランケットがいっていた通りの停電である。



 雨が降っている事を差し引いても暗い周囲は、停電がこの事務所だけ出ないことを示す。


 思わず立ち止まってしまい、そして思わず周囲へ目を向けてしまう、


 本来、嵐の闇夜では何が見えるわけでもないはずだ。


 だのに周囲に、桧高はを見た。



 銀と青。



 青いブランケットと、そこから突き出た刃物の銀だ。


 命からがら、逃げ出した玄関から声が飛ぶ。


「逃げましょう!」


 青ブランケットを椅子で殴りつけた男は、声をかける傍らで青いブランケットが取り落とした刃物を手に取った。それは武器を奪うと同時に、自分の戦力増強という意味もあったのだろう。


 だが刃物を手にした次の瞬間、走ろうと身構えていたのが立ち止まる。その立ち振る舞いにゾッとさせられた桧高は、今までのように大声を出せなかった。


「……どうした?」


 知っている相手だからこそ、声が震えてしまう。


 闇夜でも目立つ銀の刃が、真っ当な刃物であろうはずもない。正体を明かせば、その刃物は谷守へシェイプシフターが与えたものと同じ。



 即ち、惨劇の場に変わるしかない。



 正体不明の青いブランケットだけでなく、そこから伝搬していく殺意――青い目のドラゴンが望む未来が足音と共にやってくる。


 誰かが叫んだ。


「もういい、逃げるぞ!」


 防災本部の仕事は無視するという事だが、果たして逃げるとしても、どこへ?


 ***


 黒女が転移させてきた魔物たちが動けば、それと対となる赤女が転生させた者たちを動かすため、由衣ゆいに伝わる。


 しかし伝わってきた情報は、由衣を混乱させた。


 ――でも、これは……?


 青いブランケットをまとった魔物は、それ程、強力なものではない。


 ――数が……。


 強力なモンスターを送り込んで焦土にしようとした事は何度かあったが、それとは様子が違う。


 ――ゴブリンやコボルトみたいな、それ程、力がある相手ではないですけど、数で押しつぶす気ですか。


 数の上では、転生者側が不利であるのは明白だった。一人前に育つまで時間がかかる上、この世を守る使命を与えられる者は少数なのだから。


 個々の能力は高いのだが、今夜の状況は最悪である。


 ――集まってもらえる?


 台風の夜に動かせられる転生者は何人いるか、由衣は自分の口を手で覆って思案顔。


 それを恐らく、すばるは見ていた。


「ハルくん、そろそろお休みしましょ」


 みんなの中心にいて、わいわいと夜食を楽しんでいるはるを寝床へ誘う。ここにいる転生者は即応できる。しかし、そのためには無関係な晴や宗一、また避難してきている人たちを眠らせなければならない。


 しかし晴は「えー」と不満そうな声をあげた。避難した事も、大勢で夜を過ごす事も初めてであるから、好奇心が眠気に勝ってしまっている。


 また周囲の高齢者も、うるさい夜はゴメンだが、にぎやかな夜は歓迎する雰囲気になっているのだから。孫、ひ孫世代が夜食だ夜更かしだといっていると、自分の頃を懐かしく思いだしてしまっているのかも知れない。


 あや美波みなみも晴と同じ気持ちであるから、22時は眠るには早いと感じてしまうのだが、そこへ主税ちからがやってくる。


「寝てくれ。その方が――」


 主税はぶっきらぼうながら、言葉を選んだ。


「助かる」


 胸騒ぎの理由を、由衣たち転生者の仕草や表情から感じ取っている。ただぶっきらぼうにいわれても、それが主税のような大男からいわれたのでは、晴も素直に聞くことは出来ない。


 ただ主税がいうと、怜治れいじが動く。


「でも、寝た方がいい事もあるよ」


 怜治のゆっくりとした話し方は、晴の興味を引いてくれる。


「台風一過っていってね、台風が過ぎ去ると綺麗に晴れるんだ」


 話題の中心にいても、ずっとホシを抱きかかえている事から、ホシと遊ぶのが好きなのだろうという事、そしてホシに最も似合うのは青空だと察したからこそ出せた言葉だ。


「寝たら、明日が早く来るかも知れないよ?」


 言葉は平凡そのものであるが、誘う声色が上手い。


 晴は「お!」と食いつき、絢と美波の顔をくるくると見回した後、


「おやすみなさい!」


 宗一が待っている、茜家のスペースへ行き、ごろんと横になる。この賑やかさで神経はたかぶっているのかも知れないが、横になると疲れがどっと来てくれたらしい。


 絢と美波も「まぁ」と笑った笑顔に欠伸が混じっていた。


 その二人が私たちも、と横になると、怜治は主税に軽く頭を下げる。


「主税くん、後は」


「あァ」


 主税は頷くと、由衣の方へ向かう。


「神官。力を押し売りさせてくれ」

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