第35話「ちょっと豪華なお夜食と――惨劇」

 夕方の営業を20時で切り上げた由衣ゆいが、宗一そういちはるを連れて向かったのは、糸浜いとはま小学校。


 発令されたのが高齢者等避難――5段階ある内の3段階目であるから、寒々しい程、広いわけではない。


 周囲を見回しながら、宗一が呟いてしまう事が原因だ。


「あんなコトがあったからかなぁ」


 谷守たにもりが起こした通り魔事件によって、糸浜小学校のイメージは最低になっている。特に、周囲に潜んでいたという訳ではなく、堂々と小学校で勤務していたというのだから。


 それでも、口にしてしまうのは仕方がない、と由衣は聞き捨てられない。


「お義父さん、少し、そういうのは……」


 避難所の設営には教師も関わっている。谷守の同僚がいるのだから、振れられたくない話題のはずだ。失言だと宗一も恥じ入る。


「あぁ、ますまんすまん」


 しかし口を噤んだところで「今」に変化はないし、そもそも高齢者等避難が市町村から出ても、そもそも避難する住人は少数派だ。4段階目の避難指示が出ても、この体育館が満員になるかどうか。


 ただ宗一と由衣にとっては広さは寒々しいが、晴にとっては別。


「ケイ兄ちゃん!」


 慶一けいいちの姿を見つけると、抱きかかえていたホシを床に置いてダッシュしていく。


 それを「ハルくん、こんばんは」と出迎える慶一だが、眼前に来た晴へ一言、釘を刺す。


「ここでは、走っちゃダメだよ。避難してきてるところだからね」


 非日常が楽しいのは分かるが、そこはケジメをつけなければならない――とは、慶一の年齢から考えると、少しばかり不釣り合いかも知れないが。


 しかし慶一にいわれると、晴も聞ける。


「おお、ごめんなさい」


 ただ晴が頭を下げると、トコトコとやってくるホシの顔は不機嫌そうで、


 ――いいじゃん。まだ人なんてそんなにいないんだし。


 声には出さず、テレパシーで慶一へ送った。高齢者が多いとなれば、子供が走り回っては迷惑だろうが、まだ来ているのは数組。それも慶一や晴とは、公民館で出会っている人たちばかり。


 ホシを抱き上げる昴も顔見知りだ。


「空木くんのいう事、あってるから」


 ホシは晴に謝らせたのが気にくわないのか、それとも慶一のいう事を晴が聞いたのが気にくわないのか知らないが、すばるは抱き上げたホシの頭を指で「つくつく」とノックする。


 そしてホシは捕まえられる事も気にくわないが、晴が昴へ「また、ありがとうね」というのも気にくわない。


 ――まるで僕を捕まえるの専門みたいじゃないか!


 先日の美津宮幼稚園での事も、晴の中では昴はホシが幼稚園に侵入したのを見て、捕まえに行った事になっている。だから今も、昴がホシを捕まえてくれたと礼をいい、挨拶する。


「お姉ちゃん、こんばんは」


 そして頭を上げると同時に、背負っていたリュックサックを下ろす。


 リュックサックの中身は――、


「じゃーん。お夜食~!」


 無塩のビスケットとマーマレードを、晴は自慢そうに掲げて見せた。


「お母さんが作ってくれてたのがあったんだ。美味しいよ!」


 今夜、作りたてという訳ではないが、マーマレードやビスケットは、明日、桧高ひだかが帰ってきた時のために作っておいたもの。


 それを晴は、慶一と昴に見せる。


「ホントは、お父さんが明日の朝、食べるはずだったらしいけど、いいから食べちゃお~」


 避難所で昴や慶一と食べたとなれば、桧高も怒るまい。


 そして十分な数があるのだから、晴は昴と慶一だけでなく、周りの人にも声を掛けて回る。


「他の人も、どうですか~?」


 不安な夜になるのだから、ここで甘いものが出てくるのはホッと一息吐かせてくれるはずだ。


 まず晴が手渡したのは、昴、慶一、ホシを見て笑っていた大柄な女性。


 ホシが相変わらず勇者パーティの二人にうざ絡みしている、と見ている女は、赤星あかほしだった。


「ありがとう」


「マーマレード乗せるね」


 晴が瓶からスプーンで取り出したマーマレードをビスケットに載せると、カナッペ風のお菓子になる。


 赤星がもう一度、「ありがとう」と礼をいった隣で、一緒に避難してきていたすぐるが手を伸ばす。


「ああ、待って」


 晴を止める優の手には、こちらも用意してきた夜食が。


「リンゴがある。一緒に乗せると、もっとおいしくなる」


 薄くスライスしたリンゴは、塩水につけていたため変色していない。


 それをマーマレードの上へ乗せようというタイミングで、別の男から声がかかった。


「そういう事なら、僕たちもいいですか?」


 優と晴には話しかけてきた男との面識はないのだが、赤星にはある。


「確か……怜治れいじさん?」


 主税ちからあや美波みなみと共にルームシェアをしている青年だ。


「僕も、夜食にとポテトサラダを持っています。これ、合うんですよ。リンゴとマーマレードのカナッペに」


 スライスしたリンゴとマーマレードに、ポテトサラダを組み合わせるというのは、少々、皆も懐疑的な目を向けるのだが、ここは料理上手な怜治の言葉。不思議な説得力を持っていた。


 そして怜治に続き、美波もやってくる。


「それに、これも足してみようよ」


 スモークチーズを手にしている美波の後には、ミックスナッツを持っている絢も来た。


 マーマレード、リンゴ、ポテトサラダ、スモークチーズ、ナッツ類が乗せられたビスケットは、さながら宝石のようで――、みんなに声かけしようとした晴の笑顔を輝かんばかりにしてくれる。


「おお、ありがとう! 豪華だね!」


 寒々しいと感じていた広い体育館は、ぽっと灯がともったかのように明るくなった。


 しかし、その一群から離れ、入り口の窓から外を見ている主税は感じる。


 ――台風の最接近は23時過ぎといっていたか。


 時計を見るに、まだ2時間くらい先の事だ。


 ――何だ? 胸騒ぎがする。


 ウォーロックという本性故に感じたものだろうか?


 ***


 台風情報を、桧高ひだかは自主防災組織の本部で聞いていた。


 ――あと2時間でも、最接近がそこなんだろう? 時速25キロで移動中って、抜けるのは朝か?


 長丁場になると溜息を吐かされている桧高は、時折、スマートフォンに視線を向ける。見やすさを優先するため、待機画面や壁紙を家族写真にはしていないが、スマートフォンの中にはホシや晴の写真が多く保存されている。


 ――台風一過で晴れたら、どこへ行こうか?


 カレンダー通りの休みではない仕事をしている桧高である。


 晴と休みが合う日は、欠かさず外出すると決めていた。


 ――モールのキッズスペースで遊ぶのもいいけど、水族館なんかもいいな。もうそろそろ暑くなるから、動物園はダメかな。


 この辺のチョイスは、いつも由衣がしている。ストッパーだ。どうも晴の性格は桧高に似たようで、突拍子もない事を思いつき、それを口にして、晴と一緒に悪乗りを始めてしまう。


 そうしていると、トントンとノックするような音が聞こえた。インターフォンを鳴らしたのではなく、ノックである。


「?」


 不審に思いながらも立ち上がった桧高が、「はい」とドア越しに声を掛けると、ドアの向こうには青いブランケットをレインコート代わりにした女性が一人。


「停電したようなんですけど、こっちは電気がついてますか?」


 違和感のある声だった。


 桧高がドアを開けなかったのは正解か。


 桧高と交代して「えェ、ついていますが」と声を掛けながらドアを開けた同僚は、一瞬、自分の身に起きた事が理解できなかった。


 急に足が立たなくなって転んだのだと思う。


 実際は、臑から下がなくなっていて……。


「停電したようなんですけど、こっちは電気がついていますか?」


 繰り返される女の声と共に、何の前触れもなく視野が失われた。


 何が起きているのか分からない同僚を余所に、桧高は大声を出す。


「おい!」


 それは同僚へ気をしっかり持てというためか、女への警告か。

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