第3章「心のあり方にて」

第8話「昨日の敵が今日の友になった日」

 ヴァンドール・バック・バンは、一夜にして名を上げた勇者として有名だった。


 火山に住む暴虐竜のシンを討伐したとあっては、誰もが一目置く存在になるのだから。


 何より勇者という肩書きは、戦士や魔道士とは意味が違う。


 戦う者を戦士といい、魔法を操る者を魔道士と呼ぶのは、戦う術を指している。


 しかし勇気だけで敵を倒せるはずもないのだから、勇者とは戦う術を指しているのではない。



 功績に対して与えられる称号なのだ。



 貴族さながらの生活を約束されたヴァンドールの生活は、実は本人がよく覚えていない。


 ――悪くはなかった……と思う。


 シンが悔いなどないといった戦いは、ヴァンドールにとっても生涯最高の一戦になった。


 それが故に、後の事がぼやけている。


 そして今、勇者は赤女の言葉を受け入れ、現代日本で空木うつぎ慶一けいいちという名を得ている事、そして児童からやり直している事に軽い自己嫌悪があるのだが――、


「お兄ちゃん来たー?」


 公民館の玄関を潜った慶一を出迎えた幼児の声が、自己嫌悪を消してくれる。


 万歳するように手を伸ばしているはるだ。七分丈のボトムに、タオル地のカットソーという服装の晴が飛びつかんばかりの勢いでやってくると、慶一も「こんにちは」と笑う。


「でも、走ったら危ないぞ」


 晴の頭をくすぐるように撫でる慶一は、晴が背負っているスポーツチャンバラ用のエアーソフト剣を掴んだ。空気を入れて膨らませている剣だが、柄やつばはプラスチック製である。


「転んだら怪我するぞ。部屋から出る時は、しぼませておくんだ」


 エアーソフト兼を抜いて手渡してくる慶一だが、晴はぷくっと頬を膨らませる。


「えー」


 不満そうな声を出すのも、理由があるのだ。


「お祖父ちゃんに新しいの作ってもらったから、お兄ちゃんに見せようと思ったんだ」


 新品のエアーソフト剣だから、慶一に見せたかったから膨らませて持ってきている。そういわれると慶一も「え……?」と言葉を詰めてしまう。


 そこへ晴の後ろからトコトコとホシがやって来る。


「あやまれよー」


 転生者だと分かっている相手に対しては、ホシもウサギのフリはしない。ましてや、慶一は因縁の相手だ。


「ハルくんにあやまれよー」


 因縁の相手に対し、これでもかと煽りを入れるチャンスなのだから、ホシは嵩にかかる。


 困った顔を見てやろう、とホシはいうのだろうが、慶一はもう一度、晴の頭を撫でてやり、


「一番に見せてくれて、嬉しいよ」


 困るはずもない。


「ごめんね」


「ううん。謝らなくていいよ」


 晴はパッと明るい顔に戻ったのだが、それでも尚、ホシは慶一へ「ぶーぶー」と煽りを入れ、


「あやまれよー」


 しかしパンッと晴がホシのお尻を叩く。


「もう! ホシちゃん、意地悪しちゃダメでしょ!」


 ホシを黙らせたところで、晴はもう一度、慶一へ新しいエアーソフト剣を見せた。


「鍔をね、星の形にしてもらったんだよ。後ね、剣に色を塗ってもらった!」


 金色の鍔に銀白の刀身は、晴の祖父が器用な事を示している。


「いいね、格好いいよ」


 慶一の言葉はお世辞ではない。ビニールに塗装する技術と、その塗装を長持ちさせる技術は、老人が手慰てなぐさみにするレベルを遙かに超えているのだから。


「いいでしょ!」


 胸を張る晴が本当にいいたかったのは、この次だ。


「でね、でね、お兄ちゃんもお揃いで作らない?」


 祖父が慶一の剣も作ろうかといってくれた事だ。


「え? いいの?」


「うん。今日、チャンバラが終わったらウチに来てよ」


 晴はバンザイするように手を上げて、「早く準備しよう」とスポーツチャンバラ教室が開かれているフロアへ向かった。


 慶一が笑いながら「すぐ行くよ」と告げると、足下のホシが見上げてくる。


「ヴァング」


 ホシの呼びかけは、異世界での愛称だった。


「随分、楽しそうだな」


「楽しいよ。元の世界には、申し訳なく思う事が多いがね」


 この世界は、転移の女神――黒女が滅ぼしたいといい、転移してくる魔物が揃って醜悪さに嘲笑を向けるが、慶一はよい世界だと思う。


「俺は、剣を愛していた。戦いも好きだった。けど、命を奪う事を楽しんだ事は一度もない。口惜しさや、嫌な感触が残ったものさ」


 互いがヴァンドールとシンだった頃、唯一、慶一が残してしまった悔いがある。


「強敵とはうまい飯が食えるっていうけど、あの世界じゃ無理だった。どっちかが死ななきゃダメだからな」


 シンの骸を見た後、王宮で開かれた祝勝会で食べたものなど、何一つ覚えてないのだ。


「それが今、どうだよ。命の遣り取りなしに、勝負を楽しめるものが沢山ある。強敵と遠慮なく戦えて、自分の力が及ばないって思ったら、素直に参ったっていえる。晴くん、強いしな」


 慶一の顔に、意図しない笑みが浮かぶ程。


「お前より強いぞ、晴くんは」


 そこはホシも分かっている。そして分かっているといえば、もうひとつ、


「由衣ママ、料理も上手だしね」


 晴と思う存分、スポーツチャンバラを楽しんだ後、由衣が持たせてくれたおやつを食べる――正しく強敵と食べる美味しさを味わえる。


 異世界では刃を交える事となったヴァンドールとシンは、慶一とホシとして友情がむすぱれている。


 行こうか、と一人と一羽が頷き合うと、そこへもう一人の声が割り込んできた。


「お兄ちゃん、早くー!」


 待ちきれない晴が、フロアの入り口から声を張り上げている。


「早く来てくれたら、ホシちゃんの分のチョコレートあげるから~!」


「ダメー! 僕のおやつは僕の!」


 慌てて走り出すホシに、慶一は声を上げて笑った。

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