第4章「転移者の末席にて」
第17話「古本屋の午前中」
アパートの階段を、カンカンと軽い音を立てさせて、長身が登っていく。
藍色のボトムに包まれた長い足と、コバルトブルーの上着を押し上げている広い肩幅が男性を思わせるが、張り出した胸が女性である事を示している。
引っ越し業者にも見えるのだが、上着のポケットには「鬼ヶ島書店」と刺繍で屋号が縫われていた。
最近、増え始めている店舗を持たない古書店で、彼女はその店員である。主にコミックやフィギュアを扱う個人経営の古書店で、ネットオークションやフリーマーケットアプリが盛んになったからこそできる仕事だ。
特徴は、電話一本で出張買い取りをする事。これも大手新古書店がやっている事の真似ではあるのだが、鬼ヶ島書店がアドバンテージとして持っているのは、彼女の存在だ。
必ず女性が来るという安心感は、自宅に招く事になる客にとって安心感にも繋がっている。
長身の女性はインターフォンを押し、帽子を脱ぐ。
「こんにちは。お電話いただいた鬼ヶ島書店です」
声も明朗としている彼女が人の目を引くのは、その長身だけでなく、赤ら顔にも見えてしまう程、肌が白い――つまり外国人に見える事。
アパートのドアを開いて顔を見せた中年女も、女性が一人で来てくれた事に安心した顔を見せた。
女はもう一度、一礼してから帽子を被り、胸ポケットから名刺を一枚、取り出す。薄いベージュのカードには、緑のラインで描かれた植物の模様と共に、名前が書かれている。
「鬼ヶ島書店、担当の
「こちらです。一応、まとめてはいるのですが」
「拝見いたします」
赤星は部屋に入る前にも一礼する。
「娘さんのお部屋ですか?」
部屋の壁一面を埋めている背の高い本棚は、マンガからゲームまで、様々なモノが並んでいた。ジャンルを見るに高校生くらいの趣味だろうか。
「はい」
中年女は頷くと、小さな声でいう。
「少し前の事件で……」
「あぁ……」
赤星も知っている。
小学校教諭による通り魔事件。
ここは、被害に遭った転生者の少女が暮らしていた家だ。
「本当に、ずっとそのままにしていたいとも思ったんですが、でもやっぱり……」
遺品の整理は珍しい話ではないが、それが「子供の」とつけば話は別である。
「そうでしたか……」
赤星は語尾を沈ませ、そうとしかいえない。ご愁傷様ですでは意味が違い様に感じるし、お悔やみ申し上げますといっても、他人である赤星の言葉が、どれだけの慰めになるかは分からない。
ただ古本屋としていえる事はある。
「大切にされてたんですね」
赤星が見ても、本棚への並べ方で丁寧さが分かるくらいだ。母親が片付けたとはいうが、精々、本棚から出されていた何冊かを収めただけだろう。ベースとなる片付けは娘がしていたはずだ。
作家順でも出版社順でもないが、そういう順序になっていないからこそ感じるものがある。
母親も「はい」と頷きはするが、
「そろそろ卒業しろといってばかりでした……」
もっと他にいうべき言葉があったのではないか、と思っているからこその嗚咽だった。
ならば尚のこと、処分すべきものではないとも感じるのだが、
「このままにしておくよりも、誰か大切にしてくれる人に渡る方が、いいと思いまして」
新古書店に持ち込まなかったのは、買い叩かれ、買い取りできないといわれたモノは捨てられるから事を知っているから。
新古書店では、あまりにも古いモノは買い取れないといわれるが個人経営のネット古書店では少ない。
赤星もこういう。
「はい。適正価格で買い取らせていただきます」
「お願いします」
頭を下げた母親へ「お任せ下さい」と答えた赤星は、髪を括り、帽子を被り直す。本に湿気は厳禁。帽子は汗が垂れないようにする役目もある。
決して高値買い取りを口にしないからこそ、母親は信用したのかも知れない。
「新古書店に持っていくと、二束三文ですから」
「大手さんは、会社の規模が大きいですから。社員全員を食べさせていくとしたら、どうしても、これだけ、という儲けが必要です」
赤星は大手新古書店の仕事を悪徳商法とも、絶対にいわない。買い取り価格と販売価格の差は「仕方がない」だ。
そして悪口をいうよりも、自社のメリットを語る方がいいに決まっている。
「その分、うちみたいな零細はランニングコストが安いので、その分、お客様にお返しできる額を大きくできます」
大手のような資金力はないが、その代わり場代や人件費などでは有利だ。
そして金額と言えば、忘れずに伝える事がある。
「本当なら、お客様ご自身でフリマアプリやオークションサイトで出品した方が、金額は高くなります。落札されるまで待つ必要はありますが」
それに比べれば、自分たちも安く買い取るしかない事だ。
「でも、自分でやると、相手が見えないのが恐くて……」
「わかります。どんな相手か分からないと、ホント、恐いところありますよね。だからこそ、私たちにお任せいただければ安心もさせられるはず、と思って仕事をしていますよ」
「十分です。ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございます」
母親に了承と引き換えに何枚かの札を手渡し、本やフィギュアを段ボールに詰めていく赤星。
「大丈夫ですか?」
しかし母親の心配を余所に、赤星は片手に一つずつ持ち上げ、「大丈夫です」という。
「仕事に向く体格でしょう?」
慣れていますとは、調子を合わせた訳ではない。建築基準法で5階以上の建物にはエレベータの設置が義務化とされているが、4階以下の建物にはない。段ボールを抱えて階段を行く事など日常茶飯事である。
「では、ありがとうございました」
帽子を脱いて頭を下げた赤星に、母親ペットボトル入れの麦茶を差し出す。
「お疲れ様でした。せめて持っていって下さい」
それは救われたという気持ちの表れか。
赤星は「いえ、申し訳ないですよ」と、一度は固辞したが、それでもと母親に勧められると、「すみません」と受け取った。
段ボールを満載した箱バンのま運転席で、その麦茶を飲むと、それこそ「染み渡る」という言葉を実感できる。
「ふぅ」
赤星は大きく息を吐き出し、スマートフォンの通話アプリを起動させた。通話先は事務所。
「赤星です。買い取り終わりました。今から帰りますね」
電話先の男が「お疲れ様」と労いを一言だけで済ますと、赤星は「ん?」と首を傾げる。
「もう一件、入りましたか?」
新たに出張買い取りの依頼が入ったのか、と訊ねた赤星へ、男の「違うんだ」と声と共に、騒がしい声が聞こえてくる。
その声は幼い印象を受ける高さで、
「おい、オニは戻ってくるのか? 僕のご飯も買ってくるようにいってくれ」
赤星は溜息を吐かされた。
「ホシが来てるんですか?」
ドラウサの事を知っていて、ホシからオニと呼ばれる赤星の正体。
それは異世界から転移してきた鬼である。
「戻りますね」
この赤星、少し他の転移者とは違うらしい。
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