第5話「不自由なツラで自由を語る人々」
――ホシちゃん、聞こえますか?
一段落したところで、
――なーにー?
ホシからの返答は間延びしていて、語尾に「ふぁーあ」と欠伸したような声が混じっていたが。
――僕は
晴のお守りが自分の役目なのだから当然だ、とホシはいうのだろうが、由衣は慌てて時計を見る。
――え? いつから寝てるんですか?
――おやつ食べて、ちょっと遊んでからだったから、4時前。
もう一度、ホシは大きなアクビをし、「僕ももう少し寝るから」といいだす。
――ホシちゃん。もう起こして下さい。こんな時間に30分以上、お昼寝したら、夜に寝なくなりますから。
幼児を持つ主婦にとって、夜は貴重な時間だ。
しかしホシは、基本的に晴が嫌がる事はしたくない。
――えー、晴くん、可愛そうだよ。
――早寝早起きは三文の徳っていいますから、起こして下さい。
――今のお金にしたら40円くらいでしょ。寝てた方がマシ~。
ああいえばこういう不毛な話になるのだが……、
「その40円で、晴くんもホシちゃんも大好きな一口チョコ2つ買えますけどね」
テレパシーだけでなく、実際に言葉にしてしまう程、由衣も不機嫌そうな声になっていた。
だがいわれたホシは、由衣の不機嫌さなど気にとめない。
――晴くん、晴くん。そろそろ起きよ!
飛び起きたのがわかるくらい明るい声を出すホシも、思わず声とテレパシーの両方で話した。
――お父さんが帰ってくるし、晩ご飯の時間が来るし、明日のおやつにチョコレート買ってくれるよ!
明日のおやつがチョコだといった覚えなど、由衣には全くないのだが、晴が起きてくれるならば、それでいい。
――私は分身を置いて行きます。
自分そっくりの分身を作ると、由衣は三角巾とエプロンを取った。
転移者だというのならば調査する必要がある。
***
確かに
シンと同じ異世界出身のゴブリンがその正体で、あまり強い力を持っている方ではない。魔力も身体能力も、「群れなければ何もできない」と勇者たちにいわれる程度の存在だ。
しかし比較的人に近いプロポーションを持つゴブリンは、今の世界では役に立つ。チューリップハットを目深に被り、ロングコートを着込んで肌の露出を抑えれば――ホームレスという不名誉な印象を受けてしまうが――人の中に溶け込める。
そして一度でも人間の中に溶け込めば、魔物としての格は最辺のはゴブリンとはいえ、人よりも暴力に長けている上野にとって、この街は過ごしやすい。
今、自分の周りには、自分を頭と認める半グレ集団がいる。
「半分は上野さん、残りは俺たちで山分けな」
まだギリギリ未成年であろう男が、笑いながら一万円札の束を
「あざーっす」
「やりぃ!」
品のない笑いばかりであるが、上野にとってはこれが心地良い。
――仲間……いや、手下だな。
上野にとって、この半グレ集団は仲間ではなく、群れだった。
――不自由なツラで自由を語りやがる。
上野から見て、この集団はいくらでも見下せる。
男たちは自分が見下されている自覚はなく、団扇のように扇いでいた札束をテーブルの上にばらまく。
「あのオヤジ、全部、限度額まで借りてやんの」
一際、下品な笑い声。
「来月くらい一家心中じゃね?」
「何買う? しばらく遊んで暮らせるう」
この遣り取りが、上野の昏い嗜虐心を刺激してくれる。
――カネ。カネがないと何もできない、カネを奪われたら死ぬ。
不自由な事だと笑ってしまう。その笑いは異質で、男たちの内、一人が小首を傾げるように顔を向けてくる。
「上野さん?」
「なんでもない」
上野は顔から笑みを消し、席を立った。
「べんじょ行ってくる」
立ち振る舞いに少しばかり半グレ共が眉根を寄せた顔を見せるが、振り返りもしない上野が出す言葉で、そんな顔は消し飛んでしまう。
「半分もオレに出す必要ないから、テキトーにお前等で分けろ」
「ホントですか!?」
「やりぃ!」
また上野はバカだ、と笑ったが、それはもう見られていない。
トイレの窓から見える街にしても、バカとばかり繰り返してしまう。
――人間だって本性はコレだろ。
嘲笑の下で、異世界で過ごした最後の瞬間、村を襲った自分を打ち倒した勇者の言葉を思い出す。
――奪い合うより、分け合う。憎むよりも許し合う。
だから人間の村は、闘争よりも生産で成り立つといった勇者の言葉が、今は空々しく思い出される。
――だったら、この世界は何だ? 土地を分け合い、協力し合えばいいものを、誰も彼もが自分のモノだと視聴する狭い土地に、筆のように細長いビルばかり建てる。そのビルも土地も、手放す者と奪う者がいるから、いつまで経っても景観の統一すらできない。
今、手下にしている半グレと大差ない、と上野は思う。
――あいつらも、長いものに巻かれるのが、どんなに危険か分かっていない。
洗練させない言葉でまくし立て、耳に入る言葉が正しいかどうかではなく、自分がどう思うかのみで真実を決める。
――事実と食い違うと、いつも決まって2文字を出す。
半グレに限らず、ゴブリンが笑う人間の常套句は「偏向」だ。
――人の企みを阻止する時、取る手段は反対行動じゃない。寧ろ急いで成立させる事が、一番、効率的な阻止になる。
異世界の国でもそうだった。
――新しい装備は、絶対に事故が起きる。その確率は一定だから、一気に大量配備してくれる方が、事故の数は増えていく。事故は計画の見直し、そして縮小に繋がるんだから、阻止したいなら賛成して急がすのが正解だ。
そこで上野は声を上げて笑った。
「バカしかいねェ。盲信は敵にこそ利益をもたらすぞ?」
黒女の指示は、最初に聞いた時こそ気の長い話だと思ったが、今のゴブリンには面白い手段を与えてくれたと思えている。
「人間――」
トイレの屈みに向かって、ゴブリンは両手の親指を下にしてポーズを取った。
「自滅すべし」
確かにバカしかいないのならば、自滅するしかないだろうが。
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