第19話「他人」

 人間は社会的動物である、とはアリストテレスが人間を定義した言葉だ。


 その後、社会生物学などが出現し、社会を形成する動物は人間だけではないらしいといわれているが、その際いたるものが転移者といえる。


 半グレ集団を率いていたゴブリンも赤星も、一人で生きていけるメンタリティを持っていなかったからこそ、他者と関わりを持った。


 そして、ここにも一人……。


 ***


 マンションの一室へ制服姿の女子が一人、帰ってくる。4LDKという広々とした間取りのマンションで、玄関ホールから直接。繋がっているLDKには同い年くらいの女子が二人。


「お帰り」


 帰ってきた女子が「ただいま」という前に、ダイニングテーブルについていた女子が笑顔と言葉を向けた。


 帰ってきた少女も笑顔を見せる。


「ただいま、あや


 ダイニングテーブルについていた絢はもう一度、白い歯を見せて笑い、カウンターキッチンに男へ声をかけた。


怜治れいじさん、美波みなみも帰ってきましたよ~」


 声が投げかけられたカウンターキッチンに立つ男は、小柄で華奢、一見しただけならば女性かと思う程、線が細い。


 その男・怜治は背伸びするように顔を覗かせ、「お帰りなさい」と告げる。


「おやつあるよ。ラムネのゼリー」


 透明なカットグラスに乗るゼリーは、ミントの葉がアクセントとなって涼しげだった。


「嬉しいです!」


 美波は鞄をソファーに立てかけ、絢の隣りに座る。ラムネとガムシロップを使った手製のゼリーは、見た目の通り爽やかな甘さだった。


「おいしい。相変わらず、怜治さんは上手ですね」


 パクパクと忙しなくゼリーへスプーンを運ぶ美波は、この怜治が作る簡単なおやつに目がない。ゼリーを食べきり、「ごちそうさまでした」と手を合わせると、怜治の方を見遣る。


「ちょっと休憩したら、バイト行ってきますね」


 怜治は、また背伸びする様に身体を伸ばして「うん」と頷き、


「気をつけて。夕食はスパゲッティにするつもり」


 パスタではなくスパゲッティというのは怜治の拘りである。パスタは小麦を使った麺食品の総称であり、スパゲッティ、マカロニ、ペンネなど様々な種類がある、と思っているからだ。怜治はパスタと括ると、うどんすら含んでしまう。


 それが可笑しいと、美波は「はーい」と笑い声混じりに返事をした。



 怜治、絢、美波と、まるで共通点のない三人の関係は、一言で表すならば知り合い――つまり他人である。



 学校にも家庭にも居場所のなか絢と美波を、この部屋のオーナーである怜治が誘って始めた奇妙なルームシェアだ。


 ただ本来、この部屋でルームシェアをしているのは3人ではなく、5人。女子学生3人と男二人だ。


 その残り一人の女子学生を、綾が言及する。


雅代まさよは……まだ?」


 省略された言葉は「帰ってないの?」だ。



 最後の一人・雅代は、昨日から帰ってきていない。



 怜治も「うん……」と語尾を濁して頷く……そんな中だった。


「はい……はい……」


 LDKに隣接した部屋の一つから、男の声が聞こえる。


 電話中だろうか。


 男はパーティションで区切られた4畳半のスペースを居室にしているため、特別、大きな声を出さずともLDKには聞こえてくる。


「うちはデートクラブとかではないし、何かの間違いでは?」


 聞こえてくるのは男の声だけであるから、何の内容かは推測するしかない。しかし男の口調からだけでも、あまり歓迎できる内容ではない事は分かった。


 怜治は、恐る恐るではあるが、男のいる四畳半のパーティションへ向かう。


主税ちからくん?」


 パーティション越しに呼びかけた声も弱々しく、男・主税には届かなかったらしい。


「はい……はい……」


 主税のしかめられた声には、隠しきれない苛立ちがあった。


「……」


 ややあって、パーティションから無言のまま長身の男が出てくる。小柄で痩せ型の怜治と比べると好対照とでもいうべきか、180センチを超える長身に、筋骨隆々という表現そのままのがっちりとした体格の主税は、怜治、絢、美波に視線を一巡させ、


「雅代は、帰ってきてないか」


 電話は、ここにいない雅代に関わる事だった。


 怜治は首を横に振り、


「まだ帰ってきてないよ……」


 大柄で強面の主税は誤解されやすいが、この時、怜治でも声を震わせてしまう程、異様な雰囲気を纏っていた。


「ただいまー」


 そこへ少女の声が投げかけられたのは、狙った様なタイミング。


 後に本当に狙っていた事がわかる声は、今、話題に上がっている雅代である。


「ちょっとトラブってて、遅くなりました~」


 悪びれずにいう雅代だったが、この時ばかりは主税もスルーせず大股に近づくと、


「トラブルが起きた時は、必ず連絡しろ。俺が対処する」


 電話の事は何一ついわないが、主税の言葉は端々にトラブル発生を臭わせる響きを持っていた。


 しかし雅代は、やはりというか、悪びれた様子はまるでなく、「はーい」と間延びした声を出す。


 その内容は――、


「やっぱり、動機付けが弱い男はダメかぁ。ホスト風のチャラ男なんて無視しないと」


 雄弁にトラブルの中心にいるのが自分だと白状しているようなものだ。


 しかもどんなトラブルかも想像がついてしまい、その想像は寧ろ女子の絢が深読みしてしまう。


「え? 何を……」


 その想像が間違いであってくれ、という気持ちが絢の声を震わせていたのだが、雅代はくるりと身体ごと振り返ると、想像が間違いないと告げる。


「小銭くらいはもってそうなオヤジでないと。もっと知り合いが縦にも横にもいなさそうで、卑屈でバカの方がトラブルにはならなさそうね」


 美波は呆然とした顔をしていたが、声だけは出た。


「みんなが危ないんじゃないの?」


 トラブルの原因は、やらずぼったくり。


 そこから発展したヤクザとのトラブルである。主税が険しい顔をしているのも、このルームシェアには、そういった犯罪行為をしないというルールがあるからだ。


 家でのネグレクトにより自信らしい自信を身につけられず、それ故に学校での孤立を招いた美波と絢にとって、ここは自分の居場所。


 しかし雅代はあくまでも悪びれない。


「嫌ならやめれば?」


 小馬鹿にした様な笑みを浮かべるのみ。


「ここは学校じゃない。この世界のどこを探しても平等なんてないっていうのも、お互い、知ってる話よね?」


 嘲笑と共にいう言葉は、吐瀉物を美波の顔面にぶつけるつもりで吐き出される。


「私は、私の物差しを見つけたんだから」


 りったけあざけりを込めた言葉を、最後に怜治と主税へぶつける。


「じゃ、私は嫌になったからやめる」


 片頬を吊り上げた笑みは、酷く歪んで見えた。


「気をつけてね」


 もう本当の他人にしてしまった4忍を、雅代は振り返らない。


 振り返らずに部屋を出た雅代は、その湯やガンだ笑みを浮かべている顔に手をかける。


 まるでマスクでも脱ぎ去るかの様に動かした顔の下から出てくる雅代の素顔。



 その正体は、シェイプシフター。



 ――未成年の売春行為。それを発端としたヤクザとのトラブル。全く……。


 シェイプシフターの素顔に表情はない。


 笑おうにも笑えない顔だが、心中では笑い転げる。


「我ながら、楽しい事になった。これが事件になったら、ネットが無責任に踊ってくれる。後先考えないバカって」


 続けていく事に意味が見いだせない国にする――確実にそう進められる妙手であると自画自賛しつつ。

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