第20話「違和感に塗りつぶされたい場所」

 居場所がない――怜治れいじが、この共同生活の場を作った動機は、その一言に集約される。


 子供の頃から抱え続けてきた違和感は、成長と共に居場所を奪っていく様に巨大化していった。


 違和感の正体。


 身体と魂が食い違っていると感じる事と、それを他人に向かって上手く説明できない事の二つに、自分と同じ相手を見つけられない予感が重なった時、怜治はを閉ざした。


 ただ父親はいった。


 ――居場所がないって、学校に席くらいあるだろう? そこに座ってればいい。座って、授業が終わるまで静かにしていればいいんだ。


 それは、どこか他人事の様に聞こえてしまう。


 ――学校なんて、たまたま近所に、同じ彗に生まれた子供が集められてるだけだ。趣味も何もかも違うのに、全員と友達になれる方がおかしい。電車一輛分、ここからここまでの乗客は今から友達です、仲良くして下さいなんていわれても困るのと同じだ。


 大人になった今の怜治が思いだしても、父親が語った言葉は他人事に聞こえ続ける。


 ――でもケンカせずに、目的地まで静かにしておく必要は絶対だ。その訓練だろ。


 これは他人事に聞こえるのも当然だ。



 父親が話しているのは、なのだから。



 自分自身の言葉でなければ、本気で悩んでいる怜治に届くはずもない。


 そこから先、怜治自身の記憶は酷く曖昧だ。


 20代でこの部屋を買えたのだから、それなり以上の成功をした自覚はあるが、それを誇りたい気持ちは起きてこない。


 ただ記憶がハッキリとし始めたのは最近の事で……、


主税ちからくん」


 このルームシェアを始めた最初の一人と出会った夜を思い出すと、怜治は思わず名前を口にしてしまった。


 独り言くらいの声量だったのだが、隣りに座って夕食のスパゲッティを食べている主税には聞こえる。


「ん?」


 顔を向けてきた主税に、怜治は「何でもないよ」と曖昧な笑みと共に言葉を濁した。


 ――あの日……。


 主税と出会ったのは、すぐ近くの公園。長身、大柄の主税であるのに、そうとは思えない話ほど、小さくうずくまっていた姿を覚えている。何があったのかは分からないし、今後も聞く気はない。ただ、誰もが無視して行く主税だから、怜治は無視できなかったのかも知れない。


 特別な存在になるまで時間はかからなかった。怜治も主税も、相手が話してくれていない事までは聞かず、話してくれる事は受け入れるという関係ができたからか。


 ――主税くんは、僕を受け入れてくれる。だから僕は、主税くんを受け入れていく。


 怜治と主税からスタートしたルームシェアは、その後、美波みなみあやが来て、最後に雅代まさよが加わって完成した。



 学校にも家にも居場所が見つからない少女3人に、居場所にできそうな場所を提供する事――怜治のしかたった事は、これだ。


 ――みんな、家に帰らなくても、学校へ「登校していますか?」と電話が来る程度で、「来ているのなら構いません」と電話を切られるような親御さんだったっけ。


 そんな美波たちに、怜治が決めたルールがある。


 ――学校にはできるだけ行く事。


 ダメだと思ったら帰ってきても良いから、とにかく遅刻しない様に登校する事を第1のルールとした。


 ――アルバイトをする事。


 学校でなくても、社会にも居場所を求める事ができると思ったからだ。


 ――人間のいるところには、三種類ある。


 怜治が考えた理由は、こう。


 ――楽な場所、楽じゃないから努力しなきゃダメな場所。その努力が過度に必要な苦しい場所。


 その三つの内、怜治は楽な場所と苦しい場所にいてはならないと思う。


 楽な場所にいるなら、努力する場所へ出なければ成長はない。


 苦しい場所にいるならば、適切な努力ができる場所に出なければ成長しようがない。


 そう思って、学校に行く事とバイトする事をルールと決めた。


 簡単に切れない人間関係がある所でなければ、希薄な関係になってしまうというのもある。良いところも悪いところも含めて付き合わなければ、交流は生まれにくいと思ってしまうのは、怜治が本で育ったからだろか。


 しかし今となっては、こうも思う。


 ――間違ってたのかな?


 雅代にとって、この部屋は簡単に切り捨てられるところだったのだ。


 それが怜治の間違いに繋がるかどうか?


 しかし、それを考え始める前に、怜治は違う方へ意識を向け、席を立った。


「あ、そうだ」


 気を取り直す様に溜息を吐いて向かうのは、自分の部屋にある金庫。


「雅代ちゃんに、これを渡さないと」


 金庫から出してきたのは銀行の通帳と印鑑であるが、それを美波は一瞬、分からなかった。


「それって……何ですか?」


「今まで雅代ちゃんが入れてくれてたバイト代を預けてるんだ。勿論、綾ちゃんと美波ちゃんのもあるよ」


 怜治はフーッと深呼吸する様に息を吐き出し、


「家賃だっていって、バイト代をいくらかもらってたでしょ? 全部、こうやって貯めてたんだ。いつか、みんなが卒業して、ここを出て行くようになった時、必要なお金になるはずだろうからって」


 お年玉のお母さん貯金みたいなものだよ、というのは、本来、ここにいるメンバーには笑えない冗談であるが、それを笑える冗談だと感じられるくらいに、このルームシェアは成功している。


 ただし雅代の通帳に対しては、美波はいい顔はできない。


「でも、雅代に渡す必要なんて……」


 嫌だから止めるといった雅代に、この通帳を渡すというのは、納得するのが難しい。


 それでも怜治は「ダメだよ」という。


「僕のルールなんだ。これは雅代ちゃんに返す」


 連絡が付けばいいけれど――という最後の部分だけは、怜治も口には出さなかった。


 ***


 雅代の姿は、どこにあったか?


 一晩明けた街を行く。


 国道から県道に入り、その県道と市道が交差する場所にある町中華の前。


 市道に面した塀越しに見える庭で、一人、スポーツチャンバラのエアーソフト剣を素振りしているはるの顔が見える場所だ。


「あれー? 今日は、あの可愛いウサちゃんいないの?」


 独り言の風を装って、晴には聞こえる声でいう。

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