第27話「チョコレート売り場の宝石箱」

 すばるは一人娘として大切に育てられた。磨りガラスの格子戸にセロハン紙でステンドグラス風に花をあしらったりと、昭和からと利残されている様な家であったが。


 貧農の娘であった前世の記憶が気付かさなかったのは、思春期まで。


 それ以降は違和感が強くなる日々だった。


 月にひとつ買っていた、アクセサリーのオマケがついたお菓子を、同級生に指を指されて笑われた事が切っ掛けだった。



 ――食玩なんて買ってるの?



 言葉と口調を覚えているだけで、いった同級生の顔は覚えていない。中学に上がる時、私立の中学へ行くと引っ越していったように思う。


 中学に上がってからは、違和感は段々とハッキリしていった。


 英家は貧乏ではなかったが、裕福でもなかったのだ、と。


 ――戦争はよくない事で、いじめはよくない事で、貧乏も金持ちも差別を受ける謂われはない。


 そういう教育に、前世の記憶は邪魔だった。召喚士として名を上げたが、果たしてプレオの名は教科書に載る程ではなかったのだから。


 救いの主は祈りでは現れず、時として努力は裏切り、運こそが最も重要な要素を占める場合がある事を、貧農という身分では感じる頻度が高かった。


 しかし現世でも出会う事になった勇者ヴァンドールは、「そんな事もあるさ」といった。


「生きづらいっていう事もないだろ」


 同世代だったヴァンドールが、今世では年下の空木慶一となっている事に違和感を覚えながらも、それ以上の違和感が昴にはある。


「そうですか?」


 現代日本が生きやすいとは思えない事だ。


「ストレス抱えてる人、多いでしょう?」


 それが元で病むまでいく人間がいる事くらい、嫌というほど巷に溢れているニュースではないか、という昴に対し、慶一は首を横に振る。


「ストレス抱えてる人なんて、世界は少なかったか? そんな事、ないだろ」


 可視化されていなかっただけで、今よりももっと多かったはずだというのが慶一の意見だ。


「自分の周りに戦争がない、餓死者の数だってずっと少ない。病気になったら気軽に病院へ通えるんだから」


「でも、例えば仕事ができないとか、みんなの輪に馴染めないとか、そういう人への圧力みたいなの、あるでしょう?」


 前世の記憶が邪魔をして、教育が適切な効果を発揮しない転生者は多い。慶一はどうか知らないが、昴は確実にそうだ。


「それは、あっちだって同じだろ。この世界だって、百年前も二百年前も、そういう人は生きづらさを抱えてたはずさ。でも寧ろ、そういう人だって、ここの方が生きやすい事も多いさ。色んな補助もあるし」


 ただし慶一の言葉は、やはり昴には釈然としない。


「うーん……」


 しかし釈然としないものの正体は、自分が今も持っている食玩のアクセサリーを指差して笑った同級生の存在だとも気付く。


 ――可愛そうだから、コレあげる。


 そういって同級生が差し出したのは、何年か前に流行った女児向けアニメのオモチャだった。電池を入れてボタンを押すとLEDが明滅を繰り返し、主役を演じていた声優の声でセリフをしゃべってくれる。


 ――オモチャなんていえばいくらでも買ってくれるから、私が使わなくなったオモチャで欲しいものがあったら何でもあげるよ。


 笑顔と共に、同級生はいった。


 ――可愛そうだから。


 そういう言葉を繰り返すのだから、その同級生は優しい存在ではない。


 ――けど貧富の差から来る差別的な感情は、それこそ昔の方が酷かった……。


 そう思ったからか、昴は首にかけていた食玩アクセサリーのペンダントを握りしめる手に力を込めてしまう。


「あ!」


 その力が強かったのか、買って何年も経っていたペンダントが劣化していたのか、鎖がぷつりと切れしまった。


「あぁ……」


 ずっと共にあったペンダントであるから、昴の目にはみるみる内に涙が溜まっていくのだが、その手元を覗き込む慶一は簡単にいう。


「あぁ、それなら心配いらないよ」


 壊れても、また買えばいいといっているのではない。


「そういうのを直せる人、知ってるんだ」


 立ち上がった慶一は、「行こう」と昴に声を掛けた。


 ***


 あかね家の庭に面した濡縁ぬれえんが、宗一の定位置である。


 就職、結婚して家を建て、一人息子を成人まで育て上げ、今は定年を迎えて悠々自適の隠居生活という宗一の生きがいは二つ。


 一つは孫の晴と過ごす事。体力的な事もあり、またイタズラ好きで気ままなはるであるから、腹の立つ事も度々であるが、孫の成長は面白い。



 もう一つは、ボランティアで月に二回、玩具の修理に行く事だ。



 慶一のエアーソフト剣を作ったように、宗一の器用さは折り紙付き。ゲーム機の様な精密機器は修理できないが、「おもちゃ」ならば大抵のものを修理できる。


 それが講じて、この濡縁に座っていると、様々な仲間が――共に修理を手がける者だけでなく、おもちゃを直してもらいにくる子供も――来る。


 今日も市道から、宗一を呼ぶ男の声がした。


「宗一さん」


 わし鼻が特徴的な男は、小柄な身体で目一杯、伸ばした手を振りながらやってくる。


 濃い灰色と思ってしまう事があるくらい色黒の肌に、ひび割れのようにすら見える皺だらけの顔は、決して親しみやすいとはいえない風貌であるが、宗一にとっては大切な友人の一人だ。


「ネッツァーさん。こんにちは」


 ネッツァー――ドイツ系だと名乗る小男は、「へへへ」と笑いながら、茜家の庭へ入ってくる。


「何があるって訳でもないんですがね、遊びに来ましたよ」


「構わんよ、構わんよ」


 宗一はネッツァーへ手招きしながら、ヒルの営業を終えた由衣を呼ぶ。


由衣ゆいさん、何か摘まむモノをお願いできんかな?」


「はーい」


 由衣の間延びした返事に、ネッツァーは「悪いですねェ」と少し困った様な顔をしていた。


 由衣は返事をして何分も経たないうちに、盆にカットグラスを載せてやってくる。


「丁度、晴のおやつを作ってましたから。こういうものしかないですが」


 カットグラスに盛られているのは、羊羹を並べた後、白玉を並べて、シロップ漬けのフルーツとクリームで作った和風パフェ。なかなか老人に出すには向かないものなのかも知れないが、こういうおやつにこそネッツァーは目がない。


「いやいや、相変わらず美味しそうですねェ。この歳になると、食い意地ばかり張って、甘いものが恋しくて仕方ねェんですよ」


 スプーンで羊羹に載せる様にフルーツを掬うネッツァーは、


「うん、うまい」


 満面の笑みでいわれると、由衣は少し恐縮してしまう。


「缶詰ですけどね」


「缶詰でも、こうして並べるのは手間がかかるでしょう? その手間がうまいんですよぅ」


 パクパクと口に運ぶネッツァーは、そこで道路から庭へと投げかけられる慶一の聞いた。


「宗一さーん」


 慶一が昴を連れてやってくるのだから、宗一は和風パフェを食べようとしていた手を止める。


「おお、空木うつぎくん。どうしたかね?」


 宗一から訊ねられた慶一は、単刀直入。


「壊れちゃったオモチャがあるから、直して欲しいんです」


 昴のペンダントだ。


「あの、すみません。私、はなふさ すばるといいます。ペンダントが……」


 食玩のアクセサリーを出す昴は、少しばかり恥ずかしそうにしてしまう。おもちゃの修理をしてくれる人だと慶一から紹介されてきたが、昴にとってオモチャとは、この食玩を笑った同級生が持っていた様なステッキの事を指す。


 何百円かで買えるお菓子のオマケは、修理を頼まれてくれるのだろうか、という不安からだが、宗一は期待を裏切らない。


「おお、大切にしてたんじゃなぁ」


 昴がずっと持っていたのだから、これは何百円かの価値しかないオモチャではない、と扱うのが宗一である。


 そしてネッツァーも同じ想いだ。


「うん、使い込まれて、いい感じに馴染んでますねェ」


 プラスチックに欠けが発生し、また退色や、塗装の剥がれも存在しているペンダントは、宗一とネッツァーから見れば、古ぼけているのではなくというもの。


「ちょっと預かる事になるかな。綺麗に直せるよ」


 宗一は両手で、それこそ貴金属のアクセサリーのような受け取る。その丁寧な扱いが、また昴の心に刺さるではないか。


「大切にしてました。でも、壊してしまって……」


 また泣きそうになってしまうのだが、ネッツァーが優しく手を伸ばして昴の頭を撫でた。


「おもちゃはね、壊れるのがいいんですよ。わざと壊したんじゃない。遊んでたら壊れちまうなんて事、よくあるんですから」


 だから、宗一やネッツァーのようなボランティアがいる。宗一も「そうじゃよ」と頷き、


「しっかり遊ぶ。大切に遊んでいても壊れたなら、直して、また遊ぶ。そうやれるのが、いいんじゃよ」


 直す――ひとつ手を加えるだけで、宝物になるオモチャだってあるのだ。


「直して、また使って上げてくれな。これで世界で一つだけの、英さんのペンダントになるんじゃからな」

 今度は宗一が昴の頭を撫で、愛用のツールボックスを開く。

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