第11話「辻斬り先生」

 通り魔現る。


 翌朝から、このニュースがメディアを賑わせた。特に凶器が一メートル程度の鋭利な刃物――無責任なネット上では日本刀とハッキリいわれている――とあっては、誰からともなく付けられたあだ名は辻斬り。


 朝のニュースで流れたニュースは、出勤前のはるの父・桧高ひだかの目にも止まってしまう。


「物騒だなぁ」


 朝食を食べる習慣がない桧高の朝食は野菜ジュースのみ。その短時間で目に止まったニュースがあるのは、何かの因縁だろうか。


 物騒という感想しか抱かなかった桧高が、紙パックを握りつぶしながら見遣った由衣ゆいの顔は、初めて見たと思う程、青ざめていた。


「由衣さん、どうしたの?」


 大抵の物事に動じないと思っていた由衣が青ざめているのには、桧高も驚くばかり。


 この時、由衣は本当に動転していた。「え?」といって桧高を振り向いたのは、話しかけられていた自覚がないからだ。


 ――転生者なんです。


 とは、無論、いえない。あかね家で赤女と繋がりを持っているのは由衣だけ。ホシの存在をすんなりと受け入れてしまう度量のある夫だが、赤女と黒女の事には巻き込みたくない。愛し、愛されてできた家族なのだから。


 そして嘘を言わずに誤魔化す方法もある。


「お店に来てくれてた一家のお嬢さんだったんです」


 嘘ではない。常連という程ではないが、よく来てくれていたのは確かだ。桧高は「そうなんだ……」と呟き、テレビの方へ視線を移す。


「まだ高校生か」


 桧高も、由衣が「中高生が小遣いで食べられるもの」という感覚で金額設定しているのを知っている。由衣のショックは、その思い入れからかと納得できた。


 それも確かにあるのだが。


 ――転生者を狙った事件でしょうか?


 転生者が集まりやすい場所を作っている由衣が、転生者に案じる事は、やはり前世の記憶が邪魔をするという所。


 危機を切り抜けられる能力を持っていても、警戒心とは常識と直結しているのだから隙はある。そして転生と転移とで、最も大きな違いとして現れるのは身体だ。暴虐竜シンをも斃したヴァンドール・バック・ヴァンも今は10歳の空木うつぎ慶一けいいちになっている。


 ――前世と同じように動いて正面衝突されたら、力負けは必定です。


 ニュースが伝えている死因は、真正面から胸を一突き、続いて顔に一撃といっているのだから、一方的な攻撃だと由衣にも分かる。


 由衣の視線を追った桧高は、また「物騒だな」といって、上着と鞄を手に取った。


「行ってきます。近所だし、気をつけてな」


「えェ。桧高さんも」


 手を振って桧高と別れた由衣は、まだ寝ている晴の寝室を見る。晴は転生者ではないが、赤女の神官である由衣の、いわば急所だ。


 狙われる可能性は0ではないと分かっているのは、由衣ひとりという訳ではなかった。


 寝ている晴の隣りに座っているホシがいる。


「ハルくんなら大丈夫。僕がいるよ」


 ホシも今ではドラゴンではなく子ウサギだが、持っている魔法は強力だ。年相応に力を戻されているとはいっても。


 由衣は「ありがとうございます」といおうとするが、その言葉を飲み込んでしまう光景が来てしまう。


「僕は――ごふぅぅぅ!?」


 強いんだといおうとしたホシの頭上から、晴の足が振り下ろされたのだ。寝返りを打った拍子である。


 その直後、足だけでなく身体全体でのしかかっても、晴に悪気は一切ない。


 一切、ないが、15キロを超えている晴にのしかかられると、1キロもないホシでは塗り出す事も困難だ。


「ハルくん? ちょっと、ハルくん?」


 どいてくれというホシの声も、どこかひしゃげたような声になっていた。


 由衣は軽く息を吐き出して笑いを堪えながら、晴の身体を抱き上げる。


「はいはい、ハルくん。そろそろ起きて、朝ご飯を食べて下さい。今日も幼稚園に行きますよ」


 ***


 市街中心部から西に位置し、すぐ北側に漁港を持つという立地に糸浜いとはま小学校は存在している。


 卸売市場と漁港を校区内に要している事から、この地区は漁師町という側面もあり、そのため日が暮れてから町が眠りにつくまでが早い。



 小学校の裏に白いミニバンが停まっていても、気付く者がいないくらいに。



 ボンネットタイプの白いミニバンは、国産車では随一の低床、低重心と、開放感を高める為の広いガラス面積を持つのだが、その運転席で男が一人、銀色に輝く刀を手にしていた。


「はぁ……」


 その溜息は、感じ入った吐息でもある。


 薄暗い車内であっても分かる美しさを備えた刀は、鋼鉄ではなく銀で作られているような輝きを宿していた。


「美しい、本当に」


 刀へ向けられている男の視線は、ねっとりとした、という表現そのままで、刃物に向ける視線ではない。


 昨日、転生者の女子に突き立てた刃は曇り一つ残っていない。玉鋼の日本刀ならば、血で曇るというのに。


 この刃が何でできているかは分からないが、男が抱いた印象は銀である。


 ――銀。


 男は思う。


 ――素晴らしい。金に感じる下品さがない。


 まるで月の様だ、と男はサンルーフから見える月を見上げた。今夜の空には満月が浮かんでいる。


「女は金、男は銀。女は太陽、男は月」


 どこで聞いたか忘れた言葉を発した口を歪ませて笑う。


「その通り。古来、この日本では月の運用で暦を作っていた。世界通貨だった時代は、金よりも銀が古い」


 笑いはいよいよ醜悪に歪み、歪む度に昨夜の転生者の少女を思い出していく。


「甘やかされたガキめ。時代錯誤の自虐史観的教育指導要綱が、このまま国を滅ぼすんのだ」


 男が悦に入ところで、不意に窓を叩く音がした。


「!?」


 邪魔をするなとばかりに身体を起こすが、男の顔に怒りなどはない。


 窓の外にあるのは見覚えのある男の顔だ。


「こんばんは、谷守たにもり先生」


 銀の刀を持つ男の名を口にできるのだから、の付き合いがある。


「こんばんは」


 窓を開け、谷守も笑みで返す。


「調子がいいですよ。もう一人、狩りました」


 刀を示す谷守に「そうですか」と返すと、男の笑みも強まる。


「お役に立てたのならば、幸いです。力になれる事があれば、何でも承りますよ」


 この言葉が意味する事は、刀を谷者に渡したのは、この男だという事。


 谷守は「お世話になります」と頭を下げ、


「今のところは大丈夫です。先達の過ちを正す使命に、ただ邁進まいしんできる気力に満ちていますから」


 そういわれ、やはり男は「そうですか」というのみ。


「では、引き続きお願いします」


 男は一礼し、ミニバンから離れていった。離れながら思う。


 ――邁進してくれよ。


 ほくそ笑む。


 ――俺は、もう会わない。何が起きても、お前の責任だ。


 ほくそ笑んでいた顔に男が手を這わせると、熱された寒天ゼリーが溶け落ちるかのように、顔の皮膚が崩れ落ちた。


 彼――性別すらないのだから、この表現は正確ではないが――の正体は、シェイプシフター。



 転移してきたモンスターである。



 誰にでもなれる能力を持つシェイプシフターは、もう谷守が知っている顔は捨てた。辻斬りの犯人として谷守が検挙されても、繋がりを追う事はできない。


 一つの顔を捨てると、シェイズシフターは声に出して笑ってしまう。


「教師というのは、操りやすくていい。16年も学校という空間で過ごし、その後の仕事も学校だ。挙げ句、22くらいの小僧が先生先生と呼ばれ、学歴があっても教養がない」


 シェイプシフターも、黒女から命じられている。


「そんな奴らなのに、社会的信用は並じゃない。何か起こせば、寧ろ当事者じゃない奴らが叩いてくれる。鉄だって、延ばすための叩き方と、凹ませるための叩き方は違うというのに、それを知らん連中が」


 異世界の刀を銀できていると思う程度の男は、シェイプシフターにとっては恰好の獲物だった。

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