第4話「転移者の痕」
赤女の神官だという
ラーメン一杯400円から提供する価格設定は、儲けを殆ど出してくれないが、幸いな事に夫が高給取りである事と、この店がランニングコストを抑えられる店舗兼自由宅である事で成り立っていた。
こんな店を経営している理由はひとつ。
――こちらへ来る者に、少しでも未練を感じさせる繋がりを作って下さい。
赤女の願いだ。
悔いが残らないように生きていくとはいうが、その実、シンのように
――人同士を繋げて下さい。
人が集まる場所といわれ、由衣が思いついたのは「食事のできる場所」しかなかった。カフェでもよかったが、間口を広げようとすれば食堂がベターだと判断して。
昼営業が終わり、晴とホシにおやつを与えた後、夜営業の準備に入る。大抵の飲食店では、ランチ営業よりも夜営業こそが大変になるのだが、この立地では、寧ろ夜こそおまけのようなもの。
ただ例外はあり、16時から17時の営業を由衣は大切に思っていた。
――ラーメン、カツ丼、中華丼……。
丼物や麺を手早く支度していく。
16時から17時は、部活を終えた学生達が来るからだ。
メニューにあるラーメンや丼物が概ね400円程度の値段に抑えられている最大の理由は……、
「気軽に小腹を満たせなきゃ、ダメですからね」
学生の財布に合わせている。贅沢ではなく、日常にする事――これができるから、おしゃれなカフェではなく食堂にしている理由だ。
とりあえずの下準備を済ませたところで、ドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませー」
小さすぎず大きすぎず、何より入ってきた客が心地よく感じられる声量というものを由衣は心得ていたのだが、入ってきた詰め襟姿の男子高校生は、暗い表情。由衣にとっては、浮かない表情という言葉を実際に見たような気分だ。
――どうかしましたか?
出かかる言葉を、由衣は喉までで留める。こういうものを聞くのは、相手のタイミングを読んでからだ。
「いつも通り、ラーメンですか?」
席についても顔を俯かせたままの男子生徒に、由比は優しく問いかけた。
「あ……はい」
返事ができれば、男子生徒から言葉が流れ出て着始める。
「あの、おばさん。……覚えてる? 俺が連れてきてた……」
「彼女さん? 最近、見てないですね」
元気ですかという言葉も、由衣は自分の内に留めた。見ていないという事は、何かあったという事。それは自分から問いかけるのは無調法というもの。
「別れて……」
これが予想できるだけに、自分から聞くべきではない。
だが「別れて……」の後こそ問題だった。
「ここに、来てなかった?」
男子生徒の声は、更に小さくなっていく。
「見てないですよ」
と、答えたところで、由衣は話に入る。
「何かあったんですか?」
幸い、今は他の客もいない。
ラーメンは後にして、由衣は男子生徒の向かいに座った。
――話を聞いてくれる相手が必要なのでしょう?
誰にも話せないまま抱えてしまった悩み事を話せるというのも、由衣が赤女から命じられた役割故か。
「彼女とは、もう夏の大会が終わった頃に別れてた」
その理由は男子生徒の口から語られないし、由衣も聞き出そうとは思わない。大事な要素ではあるが、核心は別なのだから。
「別れた後、ずっと会ってなかったけど……悪い奴らとつるんでるって話も聞いてて……」
疎遠になっていた関係に変化があったのは、つい先日の事。
変化――完全な
女子高校生の転落事故死がメディアで伝えられた。
その事件は由衣も知っているが故に、あらゆる意味で驚かされてしまう。
「あの子が? 君の彼女だったんですか?」
男子生徒は震えながら頷いた。
「危険ドラッグを吸入して、足を滑らせたんだろうって」
警察は事件性なしと判断したが、男子生徒は納得していない。
「あいつ、タバコも吸わなかったんだ。何でドラッグなんて、使う訳ないのに」
彼が悲痛な叫びをあげさせられているという事は、既にこの話は警察などには話した後なのだろう。
元彼女が被害者という事で客観的になれないのでは、警察も動く力にはできない。それは教師や親族も同様だろう。別れたとはいえ、彼女を失ったショックによるものだろうと思っている。
しかし今、眼前にいるのは主観的にものを見る由衣。
――危険ドラッグって、脱法っていわれてるくらいだから、タバコも吸わない子にはハードル高いでしょうね。
タバコも吸わないのに危険ドラッグに手を出すはずがないというのは、由比の意見とも一致している。タバコは吸わないけど手を出すという者もいるが、それは「どこにも違法性はありませんが? 勝手に法律書き換えないでくれます?」と
寄り添える由衣だからこそ、男子生徒も言葉を続けられた。
「それに、あいつと連んでた奴ら、ヤバいんだ」
由衣が最も気にしなければならない言葉を。
「前はカツアゲとか万引きくらいまでだったのに、上野って奴が仲間に入ってから、パパ活とか、金だけ取って後から脅迫とか……」
エスカレートしていく行為の切っ掛けになった者がいる――由衣の直感が働く。
「ウエノ?」
「ホームレスみたいな奴が入ったんだ。それから半グレ集団から、ヤクザ顔負けに……」
男子生徒の言葉で由衣も得心がいった。
予想通り。
――転移者。
黒女が送り込んできた、人間のフリをしている魔物だ。
――半グレくらいなら、テリトリー内の利害関係から外れた人にまで危害は加えなさそうです。ましてや殺人なんて……。
今までは迷惑程度で済んでいたのが、上野という転移者によって危険な集団になってしまったかも知れない。
とはいえ、半グレ集団を犯罪者集団にする程度で世界が滅ぶはずもないのだが、由衣はこれが最も危険だと思っている。
――昔は強力な魔物を送り込んできていたけれど、今は焼け野原にすれば国が滅ぶ時代じゃないですからね。
この日本も、第二次大戦で全国が焼け野原になったが見事に復興した。何も日本だけが起こせた奇跡ではなく、今の世界はそれが当たり前といってもいい。
――人の本当の強さは、時代に繋げていく気持ちの強さですから。
転生してきた異世界の勇者たちが撃退したというのも大きいが、最も大きいのは心の強さなのだ。
――もしも、こんな国、復興させる価値がないって思わせられた時、本当に滅んでしまいます。
そのために、人の心を攻撃する――身近に半グレのような集団が増えるのは、寧ろドラゴンや巨人を転移させてくるよりも危険である。
「何か、食べて行って下さい。今日は、私が
由衣は一度、男子生徒の肩を抱いた。
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