第25話 山籠りと思わせて、温泉旅行へ!
(よおおおおおおしゃあああああああああああ!)
エルミーゼは内心でガッツポーズした。
難攻不落だったアリアナが感謝の言葉を口にしながら、ホットチョコレートをすすっている。ずいぶんと殊勝な様子である。
(これは! もう! 媚び売り成功じゃないですかね!?)
強い手応えを感じる。
前世の貴族が言っていた『口説くなら、相手が失恋した時を狙え』メソッドを使ってみた。きっと儀式に失敗した今ならば――! そんなことを強く思いつつ狙ってみたら、これである。
(チョロいじゃないですかああああああ!)
教会でミルクをもらって、持ってきたチョコレートと合わせて手作りホットチョコレートを作った甲斐があるというものだ。
「隣、失礼しますね」
そう言って、エルミーゼはアリアナの隣に座る。
アリアナはホットチョコレートを飲みながら、エルミーゼにぽつりぽつりと話をする。それは取り止めのない内容で、あまり意味はなかったけれど、問題はなかった。アリアナの心情が落ち着くためのものだから。
お代わりしたホットチョコレートを飲み終える頃、
「私……エルミーゼさんのことを誤解していたかもしれません……」
鼻をぐすぐすと鳴らしながら、アリアナがつぶやく。
「誤解?」
「あの……その……怒らないでくださいね?」
「はい、怒りません」
「もっと嫌な人かと思っていました」
(な、なんだとー!?)
アリアナの複雑な心情の流れを理解できていないエルミーゼは密かに傷ついた。なぜに初対面の人間に嫌われているのだろうか。
「エルミーゼ様ともっとお話がしたいです……エルミーゼ様を知りたいです……」
「それは素敵ですね――」
ここは時間を都合して一気に陥落させたい! 媚を売りまくりたい! 10年後も味方になっておいて欲しい!
そんなことを思ったけれど、残念ながら無理そうだった。
「ただ、ごめんなさい。教会からの依頼が立て込んでいまして。それにしばらくしたら山籠りをしますから」
あまりまとまった時間は取れなさそうだった。
「山籠り――聖女の山籠りですか……」
そうつぶやいた後、大発見しました! みたいな様子でアリアナが言葉を継いだ。
「私、エルミーゼさんの山籠りにご一緒したいです!」
(え゛)
その瞬間、エルミーゼは固まった。
だって、山籠りという名の温泉旅行だからだ。
「ああ、ええと……」
「お願いします! 私が聖女として至らないことはわかっています! 少しでも、少しでもエルミーゼさんと時間を共にして勝てとしたいのです!」
必死な目に、エルミーゼへの尊敬の念を輝かせてアリアナが懇願する。
効き目がありすぎて、なつかれすぎてしまった。
(ええと……)
断るのは簡単だ。
――理想の聖女に程遠いあなたを、あなたごときを連れていけとは我らが主人に対して無礼でしょう。分をわきまえなさい。
10年後、そこには復讐者アリアナの姿が!
(いやいやいやいや、まずい!)
サンプルの言い方が悪すぎるけれど、やんわり断ったとしても、同じことだ。アリアナの柔らかハートがどの程度で傷つくのかは誰にもわからない。
エルミーゼは息を整えてから、聖女スマイルを浮かべて答える。
「もちろん、構いませんよ」
「本当ですか!?」
「はい。私もアリアナに道を示せることが嬉しくてたまりません。ただ――」
そこで憂いを漂わせた表情をエルミーゼは浮かべる。
「リットン枢機卿がどう思われるでしょうか。別の意見をお持ちかもしれません」
「ああ……」
アリアナが露骨に、しゅんと落ち込む。
(よしよしよし! 憎まれ役をリットン枢機卿にパスしたぞ!)
これでリットン枢機卿がエルミーゼの予想通りに断れてくれれば完璧である。
で、後日、リットン枢機卿に尋ねたところ――
「それは素晴らしいアイディアですね! 理想の聖女から少しでも学ぶのですよ、アリアナ!」
「はい!」
お前、断らんのかーい!
落ち込むエルミーゼにアリアナが笑顔を向ける。
「よろしくお願いします、エルミーゼ様!」
そして、いよいよ年末も間近になったところで、山籠りが始まった。
錫杖を手に持ち、背中にテントなど宿泊道具を詰め込んだ大きなバックパックを背負ったエルミーゼが霊山へと侵入していく。
年末年始を通してこの山で過ごし、王国と人々の幸せを祈念する――そういったイベントだ。
聖女フィルターの外れたエルミーゼ的には、
(アホじゃないかな?)
という感じのイベントである。なぜに、こんなクソ寒い年末に山に登ってそんなことをするんだよ、と。聖女降誕の儀も寒い中、冷水に肩まで浸かったりと、ちょっと頭がおかしい気がする。
ほら、今日とか雪がちらついてるよ?
遭難フラグか、これ?
「大丈夫ですか、アリアナ?」
「はい、問題ありません、エルミーゼ様!」
山道は6歳の子供には大変だろう。だけど、アリアナは笑顔で応じた。当然、アリアナも聖女として相当な鍛錬を積んでいる。おまけに、ある程度は聖女としての加護も発動しているので、それによるブーストもある。
(そう、なら歩き回ってもついてこれるかな……)
2人は元気に山を登っていく。
そして、霊山の山頂近くまで登ったところで、エルミーゼが足を止めた。釣られてアリアナも停止する。
「今日はこの辺でキャンプですか?」
「いいえ、もう少し歩きます。あちらのほうへ」
エルミーゼが指を差したのはトール高原のほうだった。ここから連峰を抜けて、トール高原へと向かう――それがエルミーゼの計画だった。
エルミーゼは、この後に及んでも、温泉旅行を諦めていなかった!
(こんなところで、何日も過ごすとか、ないでしょ!?)
どうせ10年後に火炙りになるのだ。だったら、嫌なものは徹底的に排除、好きに生きるのだ。
それが悪女というものだ!
(絶対に温泉宿に行ってやる! 年末は温泉宿で過ごすの!)
そうやってエルミーゼは執念で山を超えて突き進んでいく。
「……あ、あの……エルミーゼ様? この辺は霊山じゃない気がするのですけど?」
「アリアナ。この山籠りには色々な形があるのです。今、私が行なっているのはその中でも最も苦行とされるものです」
「そ、そうなんですか……!」
あっさりと信じた。
騙すつもりで言ったので後悔はないが、根は善人のエルミーゼ的にはそこまであっさり信じられると胸が痛む。
(いやいや、これは悪女としての成長痛!)
やがて、トール高原にたどり着く。
そこは観光地として有名な場所なので、それなりに人の手が入っていて、生い茂る緑は見栄えがいいように刈り込まれている。風光明媚で綺麗な場所だ――今はもう夜の闇に沈んでいて感動も何もないけれど。
「これを羽織りなさい」
そう言って、エルミーゼはアリアナに古ぼけたローブを渡した。自分も同じものを用意して上から羽織る。
エルミーゼの聖女服が隠れたので、一見だけでわからないだろう。
(聖女がこんなところに現れた……なんて噂が出ると大変だから)
エルミーゼは地図を眺めながら歩き、予約しておいた宿に近づく。
用意周到なエルミーゼは手紙を送って、ちゃんと予約をしておいたのだ。
「え、え、エルミーゼ様、これは……?」
アリアナが動揺し始めている。確かに、山籠りと宿というワードに親和性はない。
エルミーゼは振り返って、にこりとほほ笑んだ。
「大丈夫です、私を信じてください……信じられませんか?」
「いえ、そんなことは! エルミーゼ様についていきます!」
ちょろい。
エルミーゼは宿のカウンターに近づいた。ベルを鳴らすと、40歳くらいの、ガタイの大きい髭面の男が奥からのっそりと現れる。
「予約をしておいたエルミーゼと申します」
「遅いんでどうなるのかと思っていたら! 待っていたぜ!」
「連れが一人増えたんですけど、大丈夫ですか?」
「もともと2人部屋だから、別に構わないよ。ただ、食事を用意するのなら追加料金が発生する」
「それで構いません」
髭面の男から鍵を渡してもらうと、エルミーゼは割り当てられた2階の部屋に向かい、鍵を使ってドアを開ける。
エルミーゼは王宮や貴族の屋敷で大きな部屋を見慣れている。それに比べれば、グレードは落ちるだろう。
だけど、エルミーゼは嬉しい気持ちで胸がいっぱいだった。
自分が望んで手に入れた、自分が休むための小さなお城。ここでどんなふうに過ごしても、誰にも文句を言われることはない。
(ああ、いいですね……休暇……)
自分のための空間、自分のための時間。そんな言葉にエルミーゼは幸福を覚えていた。
(よおおおおし、今年の山籠りは羽を伸ばすぞおおおお!)
エルミーゼは自由を獲得した。
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