第6話 ウィルトン子爵領の困り事
エルミーゼたちはラクロイド伯爵領の隣にある、ウィルトン子爵領へとやってきた。
ウィルトン子爵の屋敷前で馬車から降りるなり、おそらくはすでに連絡が行っていたのだろう、玄関口で待っていた子爵が娘のソフィアに詰め寄った。
「ソフィア! お前、なんということを! 勝手なことをしおって!」
血相を変えているのは父親であるウィルトン子爵だ。その背後で子爵夫人が青ざめた様子で立っている。
ソフィアは納得していません、という感じの表情をする。
「仕方がないじゃない! こうでもしないと聖女様は来てくれないし……現に来てくれたわけだし! 私は悪くない!」
「貴族として正しくないのだ! 家が潰される可能性もあるのだぞ!?」
「だから何!? このままだと、どっちみち潰れるじゃない!」
なんと親子喧嘩が始まってしまった。
(おおお……どうしたらいいのだろう……)
エルミーゼが動揺していると、
「ウィルトン子爵、確かにあなたの認識は正しい。聖女様の寛大なご判断があったとはいえ、無礼な行いがあったのは事実。不問にするつもりはないのでそのつもりで」
颯爽とした足取りでルーク・ラクロイド伯爵令息が割り込んできだ。
(……なーんで、お前が来ているんだ?)
てっきり教会一行とソフィアだけで移動すると思っていたら、ルークがやる気を出して「道中は危険でしょう、我々、伯爵の人間が随行しましょう」などと言い出したのだ。
全力で、ノーセンキュー! とも思ったが、モーリス大司祭が乗り気だったし、そもそも筋は通っていたので断り切れなかった。
そのため、ルークと彼に仕える騎士たちが帯同している。
ルークの姿を見て、ウィルトン子爵はペコペコと頭を下げた。
「申し訳ございません! 娘が勝手なことをして! キツく言い聞かせておきますので! 何卒お許しください……!」
「不問にはしないと言ったはずだけど……まあ、その話は後にしよう」
どこまでもルークは偉そうだった。
30代半ばくらいの子爵が10以上も年下のルークに謝っている姿は痛ましい。子爵と伯爵、確かに階級の差はあるけども、それを超えている気もする。
(そう言えば、食料を譲ってもらっているとか話があったような……)
そのせいで頭が上がらないのかもしれない。
なんてことを考えていると、ルークの手がこちらに差し向けられた。
「無礼を受けたのも――それを寛大にお許しになられたのも、そこの聖女様だ。まずは聖女様に謝ることが筋では?」
ウィルトン子爵がエルミーゼに顔を向けて、再び頭を大きく下げた。
「おお、聖女様! 娘の無礼な行い、父の私が謝罪いたします!」
「いえいえ、大丈夫ですから。気にしないでください、ええ」
そこまで謝られても困るんだけどな……と思いつつエルミーゼは対応した。
「私は何も怒っておりません。むしろ、この地の苦しみを知ることができたことを喜ばしく思います。あなたたちも、ソフィアを責めるのはやめるようお願いいたします」
子爵本人よりも、ルークに対する牽制として言葉を放ったが、ルークはさりげなく視線を逸らした。あんにゃろめ。一方、子爵は「おお、聖女様。ありがたい、本当にありがたい……」と感動の涙を流していた。
そんな悶着の後、私たちは用意された屋敷の部屋に泊まることになった。ちなみに、護衛のクレアとの相部屋である。
もちろん、聖女が宿泊して何もないわけがなく、
「エルミーゼ様、晩餐の準備が整いました」
という感じで食堂に呼び出された。
いつものことなので特に驚きはないのだけど――
(食料に困っているのだから、別にいいんだけど……)
しかし、貴族というものは、こういう点で遠慮すると逆に失礼になったりもするのだから難しい。
「む」
食堂に入るなり、エルミーゼは声を漏らした。
子爵夫婦とモーリス大司教はともかくとして、ルークまで座っている。
(……確かに、賓客ではあるのだけどね?)
別にあなた関係なくない? と思ってしまうのも事実だ。
関係ないのに出張ってくる――なんだか、監視されているみたいで気分が良くない。
晩餐が始まった。
会話は子爵がリードした。基本的には、ひたすら聖女様に会えて光栄です! こんなところまで足を伸ばしていただいて感激しております! という意味の言葉をパターンを変えて口にしている。
話題に困っているというよりは、本当の本当に、心から感謝しているようだ。聖女に出会うということは、それほどにありがたいことなのだ。
「それはありがとうございます」
「うふふ、気になさらないでください」
「私もまた、この領に来られたことを光栄に思っています」
エルミーゼもまた、流れるように返答していく。
話題がひと段落したところで、エルミーゼが切り出した。
「ウィルトン領といえば、ロイヤル・ワインが有名ですよね? 王宮にも収められているとか?」
本題である。
食事でさりげなく供されないかなーと思っていたら、エルミーゼだけ水だった。周りはワインを飲んでいるのに。
(なんで、私だけ……聖女とかいう配慮はいらないんですけどね……! ぐぬぬぬ!)
そんなことを思っていた。
実際は、ただ未成年だからなのだけど、エルミーゼは気づいていない。そんなわけで、さりげなくワインを飲みたいアピールをしてみることにした。
子爵が応じる。
「ええ、そうですね――」
領の自慢なのだから、上機嫌に喋るのかと思ったらそうでもない。暗い顔のまま、言葉を続ける。
「ですが、最近はいいものができませんで……王宮に納めることもできていません」
「確かに、これもロイヤル・ワインじゃない」
ちん、とルークがワイングラスを指で弾く。
「というか、ワインとしても実に品質の低いものだ。ワインの産地で有名な子爵領が出して良いものかね?」
「申し訳ございません。ここ数年、ぶどうの不作が続いておりまして――」
「そんな状態で大丈夫なのかい? ウィルトン子爵家には新王の戴冠式で上物のワインを提供する義務がある。それに間に合わないではすまないぞ」
「わかっております……」
子爵の表情は渋い。
(……そうだった。もうすぐ王の代替わりがあるんだよね)
前世の記憶をたどるまでもなく、それは自明だった。だから、ルークも子爵もそれがある前提で話をしている。
なぜなら、現国王は老齢かつ病を患っており、そう長くはないからだ。そんなわけで、現在王宮は次の王を決める争いでドロドロの権力闘争中らしい。
そして、勝った側の――
エルミーゼの記憶では次男ガルガドが王として立つとき、子爵は上物のワインを献上する必要があるわけだ。間に合わないのは論外で、間に合ったとしても味がひどい場合は家の取りつぶしもあり得る。
(……うーん、結果はどうだったんだろう……?)
その辺の記憶はエルミーゼの前世にはなかった。あくまでも教会側の人間なので、王宮の細かい話までは把握していない。
ルークが口を開いた。
「私が心配することではないが、子爵の家には戴冠式における責務がある。王にとって一世一代のこと。決して泥をぬることがないように」
明らかなプレッシャーである。
空気が一段と重くなったが、エルミーゼは無視して質問した。前世ならともかく、悪女はそんなことを気にしないのだ。
「もうロイヤル・ワインは存在しないのですか?」
「この家にはありません。王宮か……作っているワイナリーにはあるかもしれません」
ほほう! 素晴らしい情報だ!
内心で、にやりとエルミーゼは笑う。
前世の行く末にも関わる、かなり重要な情報がチラチラ出てくる会話だったのだけれど、どんなことをしてでも、ロイヤル・ワインを飲んでやる! そんな意地と意思でエルミーゼの頭はいっぱいになっていた。
(どうにかしてワイナリーに行ければ……!)
酒の力は恐ろしい。
エルミーゼは、前世を含めた生涯で一滴も飲んだことがないのだけれど。
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