第7話 言葉の行き違いってありますよね
翌日、エルミーゼたちは瘴気払いを開始した。
「こちらでございます」
「こ、これは……」
連れてこられた田園地帯を見て、一同、言葉を失った。 明らかに田畑の元気がない。実りは小さく、背丈も低い。それは太陽を目指すかのように伸び伸びと育っていたラクロイド領のものと比べると残酷なまでに明らかだった。
「こんな状況が数年も続いておりますおかげで領民の生活をしのぐのも厳しい状況で……」
ウィルトン子爵がため息まじりに口を開く。
(……まあ、それもそうでしょうね……)
実は領地に入った瞬間、聖女であるエルミーゼは瘴気の濃さに勘づいていた。なので、この惨状は想像の範囲だった。
(どうして、ここまで放置されていたの?)
放置していいレベルを遥かに超えているのだけれど。
モーリス大司教が大仰な調子で言った。
「安心して欲しい、子爵殿。聖女様が来た以上、全ての問題は解決する」
「頼もしい! 是非ともよろしくお願いします!」
「では祭壇を組み立てよう」
「必要ありません」
エルミーゼは右手を差し出した。
「人よ、光を愛し、光に愛されるものたちよ、以下略、ここに聖なる光あり。悪しきもの、穢れしもの、澱みしもの――ただただ消えよ、ただ消えよ」
エルミーゼの右手で光が生まれた。
一瞬にして、一帯の瘴気が消え去る。
「終わりましたよ」
「え、今ので?」
ぽかんとした様子で子爵がこちらを見つめている。
声を荒らげたのは大司教だった。
「エルミーゼ様!? な、なんということを!? 物事には手順というものがある――そう説明したと思うのですが!?」
その無駄に付き合う気分にはなれなかったのだ。あまりにも瘴気の被害が酷すぎる。そんな悠長なことをしている気分ではなかった。
(むう……でも、子爵の反応を見る限り、大司教の言う『演出』は大事なのね……)
子爵、むっちゃ反応が薄かったから。
ありがたみというものは大事なのだ。
エルミーゼは大司教を無視して子爵に声をかけた。
「ウィルトン子爵、残念ながら、終わっておりません。少しマシになった程度です」
「え、そうなのですか……!?」
ずっと弱り目で可哀想だなあ、と思っていた表情が、せっかく明るくなっていたのに、またしゅんとなってしまう。
「はい。残念ながら、この領にはびこる瘴気はとても濃い。瘴気溜まりが発生しています」
「しょ、瘴気溜まり……?」
「瘴気が濃くなった場合に発生するものですね。これを取り除かない限り、瘴気の汚染は止まりません」
話しながら、エルミーゼは憂鬱な気持ちになる。前世の終わり頃、瘴気の発生はとどまるところを知らず、至る所に瘴気溜まりが発生していた。あの頃の絶望感が胸に去来する。
(……こんなのが見過ごされていたら、そうなるのも無理はないか……)
ウィルトン領の瘴気払いをした記憶がないので、完全に放置されていたのだろう。
(だけど、どうして気づかなかったんだろう?)
瘴気は人の営みを破壊する毒だ。放置しないよう、教会がアンテナを張っているのに。
「モーリス大司教、ここの瘴気溜まりを解決しましょう」
「確かにそうですな。放置はできませんから」
しかし、その後のモーリス大司教の意見には耳を疑った。
「では、今回は教会に戻りましょう。こちらに調査団を派遣しますので」
そんな悠長な事態ではないのだけれど。
「……? 今すぐ我々で調査しないのですか?」
「聖女様の仕事は膨大です……前にも申し上げましたが、ここに来るにも多くの調整が必要でして……さすがに終わりの見えない作業に費やす時間は――」
そこでルークが割って入る。
「ご安心ください、聖女様。我々も協力しますので。見つかり次第、再び来訪していただくというのでどうでしょうか?」
そして、子爵に視線を向ける。
「それでいいだろう、ウィルトン子爵?」
「……そう、ですね……」
「だ、だめだよ、お父さん!?」
声を挙げたのは、同行していた娘のソフィアだった。
「今のうちにやっておいてもらわないと! 今度はいつになるか!?」
「ソフィア令嬢、わかってもらいたい。聖女様は忙しいのだ」
その後、どうするんだこうするんだという押し合いがずっと続いたが、結局のところ、話は平行線のままだった。聖女であるエルミーゼはソフィアに加担したが、頑としてモーリス大司教とルークが譲らなかった。
(……なーんで、ルークまで入ってくるのかな?)
完全に関係ないんだけど。
聖女の発言力は強かったが、今回は押しきれなかった。実際、瘴気溜まりを探すのには時間がかかる。仕切り直すのが正しいのは理解できた。
最終的に、モーリス大司教たちの意見に押し切られる形となった。
(確かに、ちょっと寄り道して払うのと、あてのない探索するのでは時間のコストが違う。ここは大司教に花を持たせるべきかな)
帰り道、ソフィアは見るからにしゅんと落ち込んでいる。
そして、エルミーゼもまた落ち込んでいた。
(くっそー……でも、このままだと、ロイヤル・ワインを飲めない……!)
明日にはウィルトン領を発して、王都への帰路に着くだろう。
チャンスは領地にいる間だけ――
ウィルトン邸の部屋に帰り着いた後も諦めきれなかったエルミーゼは、ついにその欲望を叶える答えにたどり着いてしまう。
(そうだ! これだ!)
夕食を終えた後、エルミーゼはソフィアとクレアを自室に招き入れた。そして、厳かな声で宣言する。
「夜中になったら、この屋敷を脱して、ロイヤル・ワインのワイナリーに向かおうと思うの」
突拍子のない発言に、二人は大きく目を見開く。
まずクレアが疑問を口にした。
「この屋敷を脱する……? 大司教様には?」
「もちろん、報告はなしで」
(まさか、酒を飲みに行くなんて言えないし……)
彼はエルミーゼを引きずってでも帰るつもりだろう。どんな理由でもアウトだ。
「あくまでも秘密裏にね……?」
「どうしてそのようなことを……?」
「うーん……。だって、見過ごすわけにはいかないじゃない? せっかくの機会なんだし」
こちらの返答もまた、酒とはストレートに言えなかったので、ぼかすことにした。
「大騒ぎになりますよ?」
「ちょっとだけ。すぐに終わらせるから。それくらいなら大丈夫でしょ?」
最終的には、こちとら聖女だ、文句あっかー! で押し切ればいい。
(聖女って肩書き、便利ー!)
前世で滅私奉公しまくったのだ。少しくらいのわがままは許して欲しい。
「決行は深夜1時。クレア、あなたは馬を用意と逃走ルートの確保を。ソフィア。ワイナリーまでの道案内はあなたがお願い」
一方的に言い放った。
勢いである。
真面目なクレアが冷静になって、いや、ダメでしょ? とか言ってくるかもしれない。部外者のソフィアが冷静になって、なんで私まで? とか言ってくるかもしれない。
ここは、聖女の笑顔で、あなたたちが頼りなんです、という雰囲気を発するのが一番だ。
(どう?)
そんなに甘くはないだろうなー、なんて思っていたら――
「聖女様、ありがとうございます!」
そんなことを言って、ソフィアが抱きついてきた。その目には涙が浮かび、表情にはエルミーゼへの敬愛があふれている。
「私たちを、見捨てないでくれて……!」
(――ん?)
なんだかよくわからないことを言い出した。
どういうことだろう、とクレアに目を向けると、クレアもまた感極まった表情でソフィアを見つめていた。
「素晴らしいお心です……少しでも領民のことを思い、そんな無茶なことまで……」
(――え?)
ただ、珍しくて美味しいお酒が飲みたいだけなのに?
エルミーゼには彼女たちの感動が全く理解できなかったが、都合が良かったので乗っかることにした。
「それじゃあ、始めましょう!」
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