第21話 第三王子クロノの見たところ

 傑物という言葉にセリーナは軽い驚きを覚える。

 万事――特に人の評価には厳しいクロノがそんな表現を使うなんて!


「……それほどなのですか、エルミーゼ様は?」


「あれはただの聖女ではないよ。その程度の器に収まる人間じゃあない。その視線の射程は広く、ずっと遠くの未来を見つめている」


 まさに破格の賛辞だ。それゆえにセリーナは唾を飲み込む。


「そう判断される根拠は……?」


「エルミーゼがウィルトン領を自治領として宣言したのは知っているか?」


「はい、もちろんです」


「そのウィルトン領の動きが活発になっているんだ。先日、ウィルトン領の令嬢から『港湾こうわん建築許可』の申請が提出された」


「港、ですか……?」


「今までそんなことを考えもしなかった小さな領にしては奇妙な話だ。きっとエルミーゼの指示だろう。計画書によると外国への交易も可能なほどの大きさらしい」


 もともと、エルミーゼの意図としては『外航にも耐えうる船で逃亡するため』なので、それくらいの大きさになるのは当然だった。

「交易? 何を売るのですか? ロイヤル・ワインとか?」



「なくもない。王宮に納品するべきワインを勝手に売ることは許可されていないけど、教会法107条で対抗できるからね。……ただ、そこまでの敵対的行動をとるとも思えない。なぜなら、彼らはそれとは別の商材を用意しようとしているから」


「別の商材……?」


「この国の特産品――菓子の原材料だ」


「菓子、ですか!?」


「ウィルトン子爵があちこちの商会に連絡を取って、仕入れルートを開拓しようとしている。栽培できるものであれば、自領で作れるよう経験者も誘致しているらしい」


「菓子の原材料――あるいは作った菓子そのものを輸出しようとしているのですか……?」


「間違いない」


 第三王子は力強く断言した。この推理は絶対的な真理であり、確信を持って真犯人を言い当てる名探偵のような滑舌の良さで。


「この国の菓子は品質がいい。きっと他国でも需要があるだろう。あの聖女はそこまで考えいていたんだ。ワイン作り以外は価値のないウィルトン領を切り取って、貿易の拠点にしてしまうなんて……恐ろしい女性だよ!」


 クロノはそこまで読み切っていた。

 もちろん、その先までも。


「さて、セリーナ。聖女エルミーゼは大金を手に入れて、どうすると思う?」


「完璧なる聖女ですからね……貧民たちへの施しとか?」


「ふふふ、であれば、ウィルトン領を手に入れる必要はないんだ。金を稼ぐだけならば、他にいくらでも方法はあるから。ここでウィルトン領の特殊性――ロイヤル・ワインの免状が繋がる」


「――!?」


 セリーナは衝撃を受けた。まさか、そんなところまで計算して聖女エルミーゼは動いていただなんて!?


「ロイヤル・ワインの免状は家の『格』をあげる。つまり、王位継承の投票において力を及ぼす。聖女エルミーゼの目的は、大金と免状による権力争いへの殴り込みだ」


 セリーナは背骨が震えるような感覚を覚えた。

 まさか、完璧と呼ばれた聖女が権力闘争に殴り込みをかけてくるなんて……!?

 いったい、この国の未来はどうなってしまうのか!?


「その仮説を立てたから、聖女エルミーゼに接近することにした。どういう考えを持っているのかな、と思ってね」


「……クロノ様はどう見ましたか?」


「いや、何も。うまく誘導をかけながら話を進めたんだけどね。全く何も引っ掛からなかった。まるで私は何も考えていない、企んでいない――そういう感じだった」


 クロノの顔に性悪の影がさす。

 この第三王子は、好敵手と見た楽しい相手を見つけたとき、こんな顔をする。


「なかなかやるよ、聖女エルミーゼは。あれは聖女なんて単純な、善性だけの生き物ではない。もっと奥深くに暗くて澱んだものを抱えている」


 それが第三王子の見立てだった。


「ああ、そうだ、ただひとつ気になった点がある」


 何かを思い出すかのように斜め上に視線を向けて、クロノが言葉を発する。


「ドーナツを食べたんだよ」


「お持ちになられたドーナツを、ですか?」


「聖女エルミーゼは菓子の類を全く口にしなかったらしいけど、今はそうではないらしい――その噂の真偽を確かめたくてね」


「……それを食べた、と」


「完全無欠の聖女エルミーゼは確かに菓子を食べた。王族御用達のロイヤル・ドーナツだからさぞ美味しかっただろう。問題は、その変節は何を意味するのか、だね」


「甘いものの魅力に負けた……?」


「完璧なる聖女エルミーゼに、その結論は似つかわしくない」


「はい、私もそう思います」


 聖女エルミーゼがその程度の欲に屈するはずがないのだ。絶対に間違いなく。少なくとも、彼らが今まで見てきた完璧なる聖女は。

 クロノが椅子にだらしくなく座り、後頭部に両手を回した。


「聖女の何かが変わった……あるいは……聖女が別人に変わった……? なぜ、どうして?」


 ぶつぶつと小声でクロノがつぶやいている。

 だけど、そのつぶやきは曖昧なまま、クロノが首を振って終わった。


「……今はまだ何もわからないけれど――ファーストコンタクトとしては悪くない。聖女エルミーゼの動きを注視していくとしよう」


 わずかな情報と、短い接触でそこまでたどり着くなんて!

 セリーナはそんな若き主人に尊敬の念を持っていた。その頭脳のキレは王国でも一、二を争うほどだろう。だからこそ、強く思うのだ。


「……そろそろ表舞台に立たれてはいかがですか?」


「僕の登場を喜んでくれる人が、さて、どれほどいるのだろうね?」


 クロノの顔に暗い笑みが浮かぶ。


「若いみそらで死にたくはないよ」


 その言葉の意味を、セリーナは正確に理解した。

 クロノの権力基盤はとても脆弱だった。年の離れた長男と次男がほとんどを握っており、周回遅れで幼いクロノは孤立無縁の状態だ。

 そんなところで目立てばどうなる?

 二人の兄か、あるいは彼らを立てようとする上位貴族か――何者かによって一瞬にして殺されるだろう。

 それがわかっているから、クロノは日和見主義の立場を崩さない。


「……差し出がましいことを言いました。申し訳ございません」


「構わないさ。期待してくれていることは嬉しいことだからね」


 クロノは椅子から立ち上がった。そして、窓の外に視線を向ける。


「さて、楽しみだ。兄上たちの、教科書通りの権力争いには辟易していたけれど、興味深い闖入者が現れた。さて、彼女はどのような波乱を巻き起こすんだろう?」


 クロノの瞳に強い輝きがまたたいた。

 前世ではほぼ接点のなかった第三王子の登場により、前世のシナリオは大きく変貌を遂げていく――

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