第18話 ガルダニア王国を統べる人たち

ソフィアとの会談が終わってからしばらくして、エルミーゼは聖女として王城を訪れた。


 足を踏み入れた一室には大きなベッドが置いてあり、そこには――

 老齢の国王が休んでいた。


 もちろん、エルミーゼ1人で来たわけではない。彼女の周りにはモーリス大司教をはじめとした教会側の人間がおり、また、国王側にも国側の人間たちが並んでいた。

 合計10人くらいはいるが、広さ的には問題ない。

 なぜなら、ここは王の私室だからだ。


「お久しぶりです、ガルダニア国王様。聖女エルミーゼです」


 エルミーゼは丁寧な仕草でお辞儀した。


「うむ……今日もよろしく頼む」


 王の返事にはまだ威厳はあったが、ずいぶんと弱々しいものだった。

 無理もない。国王はまだ50代だが、大きな病に侵されていたからだ。昔は鍛え抜かれた肉体と磨き上げた剣の腕から『獅子王』とまで呼ばれたのが嘘のように、その体は細く痩せ衰えている。

 今では実務のほとんどを子供や有力貴族に任せ、ほとんどを寝て過ごす日々だ。


「それでは始めます」


 エルミーゼは横たわる王のかたわらに立ち、右手を国王の頭上、左手を腹のあたりに伸ばし、聖女としての力を解放した。


 明度を落とした薄暗い部屋に、淡い黄金の輝きが光を放つ。


 聖女の魔法には、病を治すものもある。だけど、それは全ての病を治せるものではなかった。残念ながら、国王が患っているものは『深くて重い、運命に傷跡を残すほどの病』に属していて聖女の力の限界を超えていた。

 では、何をしているのかというと、病の苦しみを軽減し、病への抵抗力を強めている。

 それは国王のたどり着く未来を変えることはできないが、その苦しみの道を少しだけ楽にすることができる。逆に言えば、それだけしかできないのだが。


 聖女エルミーゼは数ヶ月に一度、国王の苦しみを緩和するために王城を訪れていた。

 無知だった前世では、国王の苦しみを完全に癒せないことに無力感を覚えていたが――

 前世の末路を知る今は別の感慨がある。


(くっそおおおお! 少しでも生きて! お願い! 頼むから! 私のために! 奇跡よおこれえええ! 限界突破! 病気、治って!)


 それはもう必死だった。

 なぜなら、王国の本格的な崩壊は『現ガルダニア国王の死』から始まるからだ。

 すでに国王の先が長くないと見て、王宮はドロドロの派閥争いに突入している。


(……私は聖女だから、詳細はよく知らないのだけど……) 


 エルミーゼの知っている範囲だと、次の王を長男派と次男派で争っているしい。ちなみに、3男もいるらしいが、そちらはほとんど表に出てこないので噂ですら聞かなかった。

 前世の記憶では、大本命だった長男が最後に陥落して、次男が王位につく――

 だけど、次男の手腕では王国の衰退を抑え切ることができなかった。そして、その責任を問う声が聖女のエルミーゼに向いて――


(うう……頭が痛くなってきた!) 


 それが前世の結末だ。

 そんなわけで、エルミーゼ的には次男が王になるのは絶対反対。加えて、国王の死がフラグなので、死なないでくれるのが一番いいのだ。


(80歳くらいで死にたいから、国王様、130歳くらいまで生きて!)


 そんな無茶な要望をうっかりしてしまう。

 エルミーゼの治療が終わった。


「……終わりました」


「うむ、感謝するぞ、聖女よ。お前の力を受けると少し調子がいい」


「そう言っていただけて光栄です」


 ……ここまで、特に前世との違いはなかった。

 完璧なる聖女とはいえ、しょせん、国王からすれば『仕えるだけのもの』に過ぎない。用もないのに言葉をかわす価値はない。

 前世なら、いつも通り頭を下げてエルミーゼは教会の人間たちとともに下がるだけ――

 だったはずなのに。


「……ところで、ウィルトン子爵領についてだが」


(おう!?)


 前世とは違う展開に驚いたのもあるが、それ以上に、そこ突っ込んじゃう!? 王様!? みたいなノリでエルミーゼは狼狽した。


(確かに、あなたの領土を奪ったようなものですからね!?)


 お叱りでも受けるのかしら、とビビりまくる。


「ええと、その、教会法107条を使わせてもらいました……」


 緊張しまくっているエルミーゼが面白いのか、国王がふふふと笑う。


「私が怒るとでも思ったのかな?」


「い、いえ……そのような」


「心配するな、怒るほどの気力ももうない」


 そんなセリフを寂しそうに国王が吐く。


「好きにすればいい。そう、好きにすればいい。何もかもな……」


 その言葉が妙にエルミーゼの胸の奥に引っかかった。その声は深く広く――心の底からの本音のようだったから。ただ、為政者が口にするには微妙な言葉ではある。


「むしろ、私は礼を言いたいのだ」


「礼?」


「今年はウィルトン領のブドウが豊作だったと聞いている。死ぬまでにもう一度ロイヤル・ワインを飲みたいと思っていたからな。それを楽しみに生きておるよ」


「……完成次第、届けさせましょう」


「届けさせる、か……。そうか、今はお前の領地だったな」


 また楽しそうに国王が薄い笑いをこぼす。


「私の最期を飾るにふさわしいものを頼むぞ?」


「国王様! 滅多なことを口にしないでください!」


 血相を変えて会話に割り込んできたのは傍らで聞いていた王の近臣たちだ。しかし、老王は表情ひとつ変えない。


「事実を口にしただけだ。お前たちもいつ死ぬのか、気になっているのだろう?」


「……決してそのようなことは!」


 近臣たちは否定しているが、目が泳いでいる。彼らもまた王宮の権力闘争を生きる人間なのだから当然だ。


「そう隠すな。本人である私だって気になっているのだから」


 そこで国王の瞳がエルミーゼを向く。


「……ところで聖女よ。私の余命がどれほどなのかわかるかね?」


 気軽な調子の質問だったが、一瞬にして部屋が緊迫したのかがわかった。そう、王の命とは権力闘争に残された猶予期間でもある。そして、聖女の言葉には信頼性がある。


(ひいいいいい! 私を巻き込まないで!?)


 そんなことを思ってしまう。

 もしも、エルミーゼが正解を口にすると、それはもうあっという間に『未来における事実』として王宮を駆け巡るだろう。

 真実のところ、聖女の力で寿命はわからない。だけど、エルミーゼは知っている。なぜなら10年先までの出来事がわかっているから。

 それを口にするのはたやすいが――


「申し訳ございません。聖女としての力を超えています」


 部屋の空気が弛緩する。やや失望の色を交えながら。


(……変な刺激はやめておこう……)


 不用意な発言がどう転ぶかわからない。どうやら強い効果を持つカードのようなので、今しばらくは隠し持っておいたほうがいいだろう。


「そうか、残念だな」


 老王はあまり気にしていないようなそぶりで、そういうだけだった。

 会話が止まる。


(……ふぅ……終わった?)


 そのときだった。

 閉ざされたドアの向こう側から、王宮には不釣り合いな大声が聞こえてきた。


『なりませぬ! 今は聖女様が来訪中です! お引き取りを!』



『聖女が来ている!? ははは、ちょうどいいじゃないか! 一緒に見てもらおう!』



『おやめください、ガルガド様、ご自重を!』


(……ガルガド……)


 もちろん、その名前は知っている。

 次の王を継承した人間の名前が――

 大きな音を立てて両開きの重々しいドアが開かれた。


「はっはっは、親父、元気にしているか!? 帰ってきぞ!」


 入ってきたのは偉丈夫だった。高い身長に衣服の上からでも筋肉の盛り上がりがわかるほどの鍛え上げられた肉体。20代半ばのハンサムで、野性味あふれる顔立ちが強い印象を与える。腰に剣を差している――国王の私室に武器を持ち込める人間はとても少ない。

 恐るべきことに、肩に大きな猪を担いでいる。

 彼の名前はガルガド・ガルダニア。この王国の第二王子で、前世において王となった人物。

 そして、エルミーゼを追い詰めた人物でもある。

 ガルガドが肉食獣めいた笑顔を浮かべた。


「久しぶりだな、聖女エルミーゼ?」

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