第17話 富国強兵のススメ

「ラクロイド伯爵領から嫌がらせを受けてはいませんか?」


「大丈夫です。うちは聖女様の直轄領ですから、手が出せないみたいです」


「私が生きている間は安全なので、その間に領地を立て直してくださいね」


 瘴気という根本的な問題が解決したので、立て直しという観点についてエルミーゼは楽観しているが。


「わかりました! エルミーゼ様、長生きしてください!」


「頑張ります」


 苦笑を浮かべながら応じ、エルミーゼは紅茶を口に含む。前世の実績であれば、あと10年足らずで死んでしまうけれども。


(……まあ、今世ではどうなるのかは不明だけど)


 ソフィアの存在のように、変わっている部分もある。うまく立ち回れば死期を伸ばすことは可能かもしれない。


(だけど、あの王国中が私の死を願う状況をどう回避すれば――)


 前世の記憶が蘇る。王国中の人間に罵倒された恐怖と悲しみが。胸にまるで暗い霧のようなものが広がり、ざわざわとしてしまう――

 瞬間、エルミーゼは光明を見つけた気がした。


(あ、ウィルトン領!)


 前世では手にできなかった直轄領というカードを今世のエルミーゼはすでに持っている。いざというときの逃亡先があるのは実に心強い。

 問題は、ウィルトン領はそれほど力を持たない子爵領ということだ。王国が本気を出せばひとたまりもないだろう。


(……だったら、ウィルトン領をパワーアップさせたらいいんじゃない?)


 さすがに王国と比べて五分の戦力を保持するのは無理だろうけど、粘って時間を稼ぐ一定の防衛力や、外部に逃げ出すルートを確保はできるだろう。


(そういうのがないのなら、作っちゃえばいいんじゃない!?)


 その考えはとてもワクワクした。

 来るべき未来に備えて、自分好みに領地を改造していく。いいじゃないか!


「ソフィアさん、ウィルトン領の地図を書いてもらっていいですか?」


 ソフィアはクレアから紙を受け取り、地図を書いてくれた。


「……へえ、海に面しているんですね」


 エルミーゼは聖女として高い教育を受けているので、世界のありようを知っている。海の向こう側には別の大陸があり、そこに国があることも。


(……最悪、ここから外の世界に脱出することも可能ね)


 であれば、必要なのは港か。

 小さな漁船で出発するのは心許ない。どうせなら、外洋の航海にも耐えられる大きな船が欲しい。


「この辺に大きな港はありますか?」


「うーん……特には。何も有効活用できてないんですよね」


「なるほど」


 であるのなら、話は簡単だ。


「作りましょう」


「……は?」


「作っちゃいましょう、港。あると何かと便利ですよ?」


 海外逃亡以外にも、交易だって行える。多くの船が寄港するようになれば、それだけ人の往来ができるということなので、金も落ちる。なかなかの経済効果だろう。


「べ、便利なのはわかるんですけど……」


 ソフィアは明らかに困っていた。無理もない。いきなり想定外の壮大な話をぶつけられたのだから。きっと脳内はパニック状態であろう。

 そこでクレアが横から助け舟を出した。


「エルミーゼ様、確か港を作るには国の許可を得る必要があります。簡単ではないですよ?」


「国の許可なら問題ないでしょう? 教会法107条がありますから」


 聖女の直轄領は国からの命令を受ける必要はない。極端な話、好き勝手にやっていいのだ。


(……勝手に作るのはどうかと思うので形だけでも申請は出すべきでしょうけどね)


 本当の意味で好き勝手にするのは難しい。相手にも感情があるから。バランスは必要だ。

 教会法107条の権限は強力で、例えば国への税の支払いすら拒否できる。だけど、それをすれば王国側の心象は悪くなるだろう。ウィルトン領は特殊な立場にはあるが、王国側の生態系内に存在するのも確かで、勝手なことをすれば睨まれてしまう。

 ゆえに配慮は必要だ。


(……こちらの意見をごり押ししながらも平身低頭で――牙を剥くのは最後)


 それが理想。なんだか悪女っぽくていい。

 ソフィアが口を開いた。


「許可をもらえたとしても、建設のお金はどうしましょうか?」


 港の建築には多額の資金が必要だ。

 それほどの予算が貧乏子爵領のウィルトン領にあるはずもない。

 王国は貸してくれないだろう。107条によって踏み倒される可能性があるから。他の諸侯たちもそうだ。

 ならば――


「教会に借りましょうか」


「きょ、教会!?」


「知りませんでしたか? 私は聖女なんですよ?」


 当然のことながら、聖女は教会に対して強い発言力を持つ。

 前世では24時間365日で完璧な聖女を演じ続けたのだ。そして、退職金をもらうことなく火に焼かれて死んだ。

 今世で払ってもらってもいいだろう。


(ごちゃごちゃ言ってくるのなら、ストライキだ!)


 それくらいの覚悟である。


「わかりました……! 頑張ってみます!」


 覚悟が決まったのか、ソフィアが強くうなずいた。その瞳はエルミーゼへの信頼と尊敬で輝いている。

 そんなソフィアにエルミーゼはニコリと笑顔を向けて続けた。


「では、もうひとつ」


「――もうひとつ……!?」


「はい、これ・・に使用する食材の入手性を確保しておいてください」


 そう言って、エルミーゼが手を差し向けたのは――


「……え、ケーキですか?」


 そう、ホールのケーキがあった場所だ。今はもうエルミーゼが全て食べ尽くしてしまって虚無しかないけれど。


「はい、ケーキです。いえ、ケーキに限らず、甘いもの全て――あらゆるものに利用できる全食材を可能かなぎり」


 エルミーゼはこれからの世界を知っている。

 10年後、王国がどのように斜陽を迎えていくのか。甘味の類も例外ではなく、だんだんと入手性が困難になっていくのだ。つまり、ていよくウィルトン領に逃げ込んだとしても、もう甘いものが食べられなくなる可能性がある。


(それって悲しいじゃない?)


 そこまで追い詰められるということは、わりとエルミーゼの運命は風前の灯だろう。死の未来は見えている。ならば、せめて甘いものをいっぱい食べて死にたい。

 そんなとき、食材がありませーん、では困るのだ。


(今のうちに販路の開拓、あるいは自領で生産をしていれば、少しくらいならば……!)

 

「お菓子の食材を……どうしてですか?」


 ソフィアが口にした質問はもっともだ。


(あ、言い訳どうしよう)


 さすがに末期に甘いものが食べたいからとか言えないだろう。エルミーゼが少し斜め上に視線を飛ばしているうちに、ソフィアがハッとした表情を浮かべた。


「……わかりました! すみません、差し出がましいことをお尋ねして! 聖女の力に必要だからですよね?」


「……?」


「甘いものが聖女の力に必要で――だから、それを備蓄しようとなされていた! もっともっとウィルトン領を、いえ、王国のために聖女の力を振るうために!」


 さっきの適当な言い訳が、まさかここで復活してこようとは。

 その言葉を聞いた瞬間、クレアも目を見開く。


「そうか、そういうことなのか!」


 まさに合点が言った! という感じだ。全然違うけれども。

 興奮したままのソフィアが言葉を続ける。


「すみません、エルミーゼ様の御心をすぐ理解できず……てっきりケーキをもっと食べたいだけかと疑ってしまって!」


 はい、大命中!

 だけど、エルミーゼは大破したなんて表情はせず、いつもの聖女スマイルで迎撃した。


「いえいえ、人の心を知ることは本当に難しいこと……今、あなたが理解してくれた――それだけで私には充分すぎるほどの喜びです」


「「うう、エルミーゼ様ぁ!」」


 感無量という感じで二人がジーンとしている。

 なんとか誤魔化せたのでエルミーゼはホッとしていた。

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