悪女は国を動乱させる

第16話 悪女はケーキを食す(人生初)

 秋になった頃、エルミーゼは自室で1枚の挨拶状を受け取った。

 手紙はソフィアからのもので『秋から王都の学校に通うことになり、しばらく王都で暮らすこと』と『直接お会いして挨拶をさせて欲しいこと』が記されていた。

 もらったとき、エルミーゼの頭に浮かんだのはチャーンスという言葉だった。


「クレア、ウィルトン家のソフィアさんが王都にやってくるそうですよ」


「ほう、それは素晴らしいですね」


「歓待をしましょう。そうですね――」


 少し考える。考えたフリをする。なぜなら、答えはすでに出ているから。


「ソフィアさんはケーキが好きなんでしょうか?」


「あの方の好みは存じませんが、普通に考えて、好みかと思いますが」


「なるほど……」


 なるほど、などと言っているが、これもまた全て予定していた通りのセリフである。もったいぶりながら、ついにエルミーゼはキメの言葉を口にした。


「では、仕方がありません。ソフィアをお呼びしましょう。たくさんのケーキを用意して、ね?」


 ただ、自分が食べたいだけなのだけど。

 素直にケーキが食べたいと言えばいいのに、ソフィアさんの歓待のためなら仕方ありませんね? という空気を出している。


(仕方がないじゃない? 聖女的には遠慮する素振りも重要だし……それに、他人にかこつけて己の欲望を叶えるなんて、悪女らしくない?)


 ちっちゃいちっちゃい悪女仕草だった。

 あっという間に日にちが過ぎて、ソフィアが教会にやってきた。

 客間で再開した瞬間、ソフィアの表情がキラッと輝く。


「ご無沙汰しております、エルミーゼ様!」


「ご無沙汰というほどでもないけれど、再会できて嬉しいわ、ソフィアさん」


 エルミーゼが対面に座る。

 ほどなくして、ワゴンをゴロゴロと転がしてシスターたちが部屋に入ってくる。


「準備いたします」


 給仕を担当するシスターたちによって、テキパキと配膳が進んでいく。

 ティーポットから、ほどよい温度の紅茶がカップに注がれる。芳醇な香りが一瞬にして部屋を満たす。ちょっと感応的なほどに甘くて素敵で、油断するとそっちに意識がいってしまう恐ろしい逸品だ。


(ふわあああ……この香りだけかいで生きていきたい……)


 そんなアホなことを思ってしまう。

 テーブルには大きなホールのショートケーキが、どん! と置かれている。それをシスターが切り分けて、人数分を皿に置いていく。

 白と赤の輝きがもうね、犯罪なんですよ。


(あ、あれが……クリーム……)


 ごきゅり、と唾を飲んでしまう。

 イチゴはさすがに堅物だった前世でも食べたことがあった。おいしい、そこに異論の余地はない。だけど、クリーム、クリーム、クリーム……。

 あれもまた、前世では禁忌としたものだ。

 食べると、みんな幸せそうな顔をしてニコニコと食べていた。食べるだけで。


(クリーム――どれほど偉いの、あなたは!?)


 堅物聖女の興味は尽きない。

 準備を終えたシスターたちが一礼して部屋を出ていく。エルミーゼ、クレア、ソフィアの3人だけが残った。

 ソフィアがケーキと紅茶を眺めて目を輝かせている。


「ありがとうございます、エルミーゼ様!」


「喜んでくれて嬉しく思います。ぜひ楽しんでください」


 そこでクレアが口を開いた。


「……? 3人分、用意されていますね……?」


 自身はエルミーゼの護衛にしか過ぎない。エルミーゼの背後で息を潜めているのが仕事なわけだが――

 エルミーゼが空いている椅子に手を向けた。


「私が用意させました。せっかくですから、一緒に食べましょう?」


「エ、エルミーゼ様ぁっ!」


 感無量といった様子でクレアが着席する。


「実は食べたいと内心で思っていました……! ありがとうございます!」


「さすがはエルミーゼ様……なんてお優しい……!」


 感無量といった感じで二人が瞳をキラキラとさせている。

 なんだか、普通の尊敬を超えて狂信者感のある表情だったのでエルミーゼは少しだけ引いたが、深く考えないことにした。

 目の前においしいケーキがあるのだから!

 最初に食べたのは、ソフィアだった。本来であれば、一口でバクッといきたい心持ちであるが、そこは客を優先させるために鋼の意志で持ち堪えた。


「うわあ、すごくおいしい!」


 ほっぺに手を当てて、ソフィアが喜びの声を上げる。続いたのは、クレアの声だった。


「ああ! 確かにすごい! エルミーゼ様が召し上がるものですから、最高級品ですね!」


(え、そんなに……?)


 再びエルミーゼは唾を飲み込んでしまう。

 いいんでしょうかね、ショートケーキ初体験の初心者が、そんなものを食べても?

 いいんです。

 ショートケーキをフォークで切る。スポンジとクリームの多層構造が美しい。見ているだけでワクワクしてしまう。人生初のショートケーキなのだから、幼児メンタルなのは仕方ないのだけど。

 切ったショートケーキを口に入れる。


(ふおっ!?)


 それはもう、口の中に天上の世界が広がったようなものだった。世界の全ての喜びと幸せが集う約束の地――それほどの感動をエルミーゼに与えた。どこまでも甘くて優しいクリームの甘みと、どこまでも柔らかくて優しいスポンジのマリアージュ。味の道における究極到達点のひとつがここにある。


「ううううううん、おいしい!」


 前世では浮かべたこともない、満面の笑みでエルミーゼはそう言った。


(ええええ、えええええ!? これを食べていなかったのおおおお!? ちょっとこれは、ないんじゃないかなああああ……!?)


 エルミーゼが暮らす王国はスイーツ類の原材料が手に入りやすく、比較的、食べやすい環境にある。

 にもかかわらず、前世はその全てに背を向けていたなんて!


(カッコつけすぎたわー)


 そんなことを思いつつ、気がついたら、ホールのケーキが全て消えてしまった。

 エルミーゼが残りを食べてしまったからだ。


(あ)


 あまりのおいしさに我を忘れてしまった。

 気づいていたら、消えていた(エルミーゼの胃袋の中)。


(あ、あ、あ、あ、あ、あ……)


 うっかりやっちゃいました。


「エ、エルミーゼ様?」


 さすがの食いっぷりにクレアもソフィアも目を丸くしている。


「え、えーと、その……聖女の魔法って、お腹が空くから、みたいな?」


 絶対に通用しないだろうな、この言い訳……と思っていたら、そんなことはなかった。クレアが両手をパンと打ち鳴らす。


「なるほど、そうなんですね!」


「そうですよね、まさか聖女のエルミーゼ様が食欲に負けてしまうはずが!」 


 うんうん、とうなずくソフィアに内心で謝った。


(むっちゃ負けました……)


 だって、人生初のいちごのショートケーキおいしかったんだもん!

 エルミーゼは、ごほん、と咳払いをして話題を強引に変えた。


「……ところで、故郷ウィルトン領の状況はどうですか?」


「今年はブドウが大豊作です。もちろん、他の作物も! エルミーゼ様が瘴気を払ってくれたおかげです! 本当にありがとうございます!」


 真正面から好意と感謝をぶつけられると、色々とむず痒くなってしまう。


「喜んでもらえて光栄です」


 エルミーゼは笑顔を浮かべてソフィアの感謝を受け入れる。

 前世でエルミーゼはソフィアを救えなかったが、今回は違う。人生をやり直した価値は、ここにもあった。


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