第15話 ラクロイド伯爵令息、その人となり
伯爵家に戻ったルークを待っていたのは、冷たい父親――ラクロイド伯爵の視線だった。
簡単なお使いもできないのか、このグズは?
そんな感情が伝わってくる。
執務室の大きなデスクの向こう側に座る父親に、ルークは頭を垂れた。
「申し訳ございません……」
「何年もかけて進めていた計画が水の泡だ。この失敗は重いぞ」
伯爵の重いため息が続く。
それは言われるまでもなく、ルークにもわかっていることだ。
全ては、王位継承にまつわる権力闘争に帰結する。
この国の国王は貴族たちの投票で決まることになっている。もともとは暴君を生み出しにくくするために生まれた仕組みだが、上位貴族たちの支持を受けなければ国王になるのが難しいため、貴族たちの暗躍をうむ温床ともなっている。
現国王の間もない崩御が噂される中、王国貴族たちは次代の権力を手に入れるための権力闘争に終始していた。そこでラクロイド伯爵が目をつけたのが、ウィルトン子爵家のもつ『ロイヤル・ワインの免状』だった。
貴族たちの票は平等ではなく、公爵の票は伯爵よりも重い。そして、階級だけではなく、家の格もまた重さを左右する。王宮にワインを卸し、新王への祝杯を許される『ロイヤル・ワインの免状』は家の格に影響を及ぼすものだった。
つまり、発言力の増加だ。
ウィルトン子爵家は代々、免状の重さを理解し、己の立場を律してきた。居丈高になりきれない子爵家という地盤の弱さもあるが、血統的に穏健な人物が多いからでもある。
そこで仕掛けたのがラクロイド伯爵だった。
ウィルトン子爵を立ち行かなくさせ、合法的にロイヤル・ワインの免状を奪い取る――そういう作戦だった。
「全ては水の泡だ。そして、事態はただの失敗どころではない」
「……? どういうことでしょうか?」
「聖女の、直轄領宣言だ。あっという間に貴族たちの話題の種になるだろう」
「珍しいから、でしょうか?」
「その程度の洞察力でどうする。聖女はウィルトン子爵領を手に入れた。子爵領などどうでもいいのだ。そんなもの、好きにすればいい。重要なことは、だ。聖女はロイヤル・ワインの免状をも手に入れた、ということだ」
「――!?」
ルークは一瞬にして背筋が凍るような感覚を覚えた。
(まさか、そこまで考えての、直轄領宣言!?)
あの聖女は、そんなことまで考えていた……? 聖女然とした笑顔の裏に、それほどの深い戦略が……?
「本当に、そこまで考えての行動なのですか……?」
「愚かだな、お前は」
これみよがしに伯爵がため息をこぼす。
「教会法107条とは、聖女の切り札だ。そんなものを、子爵領ごときに使うか? お前なら、使うのか?」
「……使いません……」
「そうだ。使うはずがないのだ。ならば、そこには必ず意図がある。ロイヤル・ワインの免状を狙ったと考えるのが妥当だ。我々貴族にとっては価値のある、大きなものをな……」
「……しかし、聖女がそんなものを手に入れて、なんの意味が……?」
「さあな。だが、聖女エルミーゼが国政に関与するきっかけをつかんだのは事実だ。それが何を意味するのか――聖女が何を考えているのか……王国貴族たちは頭を悩ませるだろうな」
ふふふ、と伯爵が笑う。
「面白くなってきた。大きな波乱が起こるぞ」
こんな状況でも、楽しそうに笑う父のことをルークは尊敬してしまう。
「ルーク、お前は王都に向かえ」
「王都に?」
「ああ、貴族たちを監視しろ。王族たちを監視しろ。そして、聖女を監視しろ」
ゴクリ、とルークは唾を飲み込む。
「失敗したと落ち込む必要はない。次の成功で取り返せばいいのだ。王の代替わり――人生で一度あるかないかの祭りだ。せいぜい楽しめ」
「承知いたしました」
頭を下げて、ルークは執務室を辞する。
部屋を出て、自室に戻る。
ベッドに腰掛けて息をつき――
己の胸に宿る『喜び』と向かい合うことにした。
「――くっ!」
ルークは奥歯を噛み締めて、胸を掻きむしる。
王都に向かえ、と言われた瞬間、まるで蝋燭に通る炎のように、ぽっと感情がわいた。
さらに、聖女を監視しろ、と言われた、それは業炎のように燃え盛った。
聖女エルミーゼの顔が浮かぶ。
その聖女スマイルはあっという間にかきかわり、次に浮かんだのは――
「あっちいけ!」
ルークをぶん殴る瞬間の、すごい形相のエルミーゼだった。
酷い過去だった。殴られてしばらくは、思い出すだけで屈辱だった。無様にも女に殴られて気絶した? 誰にも言えやしない。だから、影にやられたと嘘をついた。
だけど、いつからだろうか。
その映像のリフレインが快楽に変わっていったのは。ただ思い出すだけで、愛し子を見たような感情が湧き上がってくる。
(なぜだ!? なぜ!? どうして、あんなものに!)
ルークは己の感情を認めない。
だけど、悲しかな、今のこれは現実だった。ルークは険しい顔をした女の子にぶん殴れることに喜びを見出すタイプの人物だった。
もう腫れも痛みも引いてしまったが、頬の感触を思い出すだけで喜びを感じてしまう。
あの痛みを、あの屈辱を、また味わってみたい。
その頬に触れようと無意識のままに左手が動いて――
ルークは己の左手をベッドに叩きつけた。
「くっ……ありえぬ! どういうことだ!? どうして、俺は!? こんなことがあってたまるか! これでは、変態のようではないか!」
己の感情を認められないルークはベッドに身を横たえ、邪念を払うかのように瞳を閉じる。
聖女は子爵領を手に入れ、ロイヤル・ワインの免状まで手に入れた。その動きに動揺する貴族たちに加えて、聖女に片想いする宿敵までも――
前世のシナリオは、本人の知らないところで書き変わっていく。
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