第2話 聖騎士クレアの見たところ
聖騎士クレアは16歳の、桃色の髪が目を引く女性だ。歳のわりには雰囲気に鋭いものがあるのは武人がゆえだろう。
クレアは聖女エルミーゼ専属の護衛をしている。
ゆえに、朝になると聖女の部屋を訪れるの日課だった。今日もそのために、腰に剣を差した姿で教会を歩いている。
クレアにとって、聖女の護衛は誇らしい仕事だった。
それは相手が聖女だからというわけではない。
完全無欠の聖女エルミーゼだからだ。
時代が混乱を迎えるたび、天は『聖女』と呼ばれる人間を世に送った。聖女は世界に立ち込める負の空気『瘴気』を払う力を持っていて、何度も世界の危機を救った。
そんな素晴らしい聖女たちの中でも、最高峰と讃えられているのが聖女エルミーゼだ。
エルミーゼの御心は広く深く、慈愛は万人を包み込むほどとまで言われている。細やかな表情や所作にまで気を配り、誰にどう見られているのか――どうすれば心地よさを与えられるのか、そんなことにまで心を砕いている。
エルミーゼが美しい声で語ると、大衆の多くは涙を流して聞き入っている。
その聖女ぶりは『透徹された白』とまで評されている。
彼女こそが、傾きつつある王国の希望なのだ。
(同じ時代に生まれて……しかも、護衛にまでなれるとは。私は幸せものだ!)
その喜びと誇りだけで、クレアは打ち震えてしまう。
エルミーゼの部屋にたどり着いたクレアは、ドアをノックした。
「クレアです。参りました」
『入ってくださーい』
…………。
……………………うん?
クレアは違和感を覚えた。声は紛れもなくエルミーゼのものだったが、明らかに違う。『入ってくださーい』――その間に挟まっている『長音記号』はなんだろうか。いつもなら、もっとこう威厳があったと思うのだが。
(……うむ、聞き間違いだな……)
そんなふうにクレアは割り切り、余計な詮索をやめた。
「入ります」
ドアを押し開く。
この瞬間の光景が、クレアはたまらなく好きだった。
クレアが来る頃には、世話役たちのシスターの手によってエルミーゼの身支度は終わっている。
いつだって、クレアの目に飛び込むのは聖女の装いに身を包んだ美しいエルミーゼだ。部屋の中央に立ち、真っ直ぐにクレアを見つめて。
そして、誰もが
――今日もよろしくお願いしますね、クレア。あなたのおかげで平和な1日を送ることができます。
その言葉と光景を思い出すだけで、クレアはご飯が3杯はいけてしまう。
(ああああああ、エルミーゼ様ぁぁぁ! 一生お仕えしますぅぅぅ!)
しかし、今日のクレアが見た光景は何から何まで違った。
まずエルミーゼがいつもの場所にいなかった。もちろん、挨拶の言葉もなかった。
(え、ど、どこに……?)
焦って視線を走らせると、いた。ベッドの上に座っていた。
「おはようございます。はあ……暑いですねえ……」
気の抜けた声を発して、スカートの裾をパタパタとさせている。
この瞬間、クレアの思考は停止した。
(……あれは誰だ?)
自分が何を見ているのか分からず、思考が現実に追いつかなかった。
完全無欠の聖女エルミーゼが、ベッドの上で背中を丸めてスカートの裾を仰いでる。今まで、まるで
パタパタ。パタパタ。
「な、何をなされているのですか、エルミーゼ様!?」
「え? 何が?」
「スカートをそのような……どうしてそのようなことを!?」
「……暑いから?」
そう、時期は初夏だった。クレアも女性だ。スカートを仰ぎたくなる気持ちはわかる。だが、しかし――
「エルミーゼ様がなさっていい行為ではありません!」
「ううん……確かに前まではやらないように気をつけていたんですけど――」
少し言葉を探してから、エルミーゼが続けた。
「我慢するの、やめようかなって」
「や、やめる……?」
「だって暑いものは暑いじゃないですか? ずっと我慢していたんですよ。聖女だって夏は大変なんですよ?」
まあ、火に炙られるよりは涼しいんですけどね、という誰にも理解できないジョークを小声でボソボソと言って一人で笑っている。
(どうしたのだろう……?)
クレアは衝撃を受けた。
だが、クレアのエルミーゼに対する忠誠心は鋼鉄であり、そう簡単に揺らぐものではなかった。
幻滅した! 裏切られた!
そんなふうにクレアは思わない。
(きっとこれも大きな考えがあってのことだろう……!)
そんなふうに補正した。敬愛するエルミーゼを疑うという選択肢は存在しない。
(……おそらくは聖女として自分を高く置きすぎることを気にされたのだろう)
過去、エルミーゼは自分のことを神の如く崇め奉る民衆たちを見て、困ったような表情を浮かべていた。
――私とて、ただ天より力と使命を与えられただけの人に過ぎないのですが……彼らは私を高く敬ってくれます。それほどの価値が私にあるのでしょうか。たまに恐ろしさすら覚えます。
(……そういうことか……わざと隙を作って、親近感を与えようとしているのだな……!)
そう、聖女エルミーゼは絶対的であり完璧すぎた。
まるで完璧なまでに精緻に作り上げられた彫像だ。美しいとは思うけれども、汚してしまうのが恐ろしくて触れることなど決してできない。
エルミーゼは己の低俗的な部分を見せることで、皆との距離を詰めようとしている!
(ああ、やはり……さすがはエルミーゼ様!)
その事実にクレアは震えた。人民のための聖女――それを貫こうとされているのだ。
「素晴らしいお心遣いです。このクレア、感服いたしました」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「素晴らしいお心遣いです。このクレア、感服いたしました」
「……?」
何を理解したのか、エルミーゼには理解不能だった。そもそも、クレアの言葉の前にエルミーゼが発した言葉は、
――我慢するの、やめようかなって。
――だって暑いものは暑いじゃないですか? ずっと我慢していたんですよ。聖女だって聖女だって夏は大変なんですよ?
全く話が繋がっていない。
何を感服したんだろう?
(……クレアが納得したんなら別にいいか……)
エルミーゼは深く考えないことにした。
そこでクレアが別の話題を切り出す。
「エルミーゼ様、モーリス大司教がお呼びです」
モーリス大司教。教会内における、聖女の仕事を管轄している人物である。基本的には、彼からの指示を受けてエルミーゼは聖女として活動している。
(……ああ、そうね。確かそうだった……)
前世の今日の記憶をたどると、確かにモーリスから呼び出しを受けている。この後、彼の命令に従ってラクロイド伯爵領に瘴気を払いに行くのだ。
(前世の記憶があるのも考えものだな……)
モーリスから聞かされる話ははっきりと思い出せる。正直、同じ話を2度も聞かされるようで面倒さが先立つ。
とはいえ――
じゅるり、とエルミーゼは唾を飲み込んだ。
そうだった。今日という日には歓迎するべきうっかりがあったのだ。
(前世では釣れない態度をとったけれど――)
もう遠慮の必要はない。
(ああ、楽しみ!)
エルミーゼはクレアとともに、大司教の執務室へと向かうことにした。
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